テーマ:栃木

機神山古墳群17号墳

栃木県足利市の機神山から両崖山にかけて分布している機神山古墳群 の中の一つ。径10~12m、高さ約2mの円墳で、機神山山頂へ至る道の途中に両袖型の横穴式石室の一部のみが残されています。
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足利城跡

栃木県足利市にある標高250mの両崖山に平安時代後期に築城され た山城の跡。両崖山城とも呼ばれていたこの城を巡っては4度の 合戦が勃発していて、其々足利城の戦いと呼ばれています。
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稲葉一里塚

稲葉一里塚は日光道中壬生通り(日光西街道)、現在の栃木県下都賀郡壬生町に設けられた一里塚。江戸日本橋から数えて24里目にあたり、江戸時代の古文書によれば、塚の上には松が植えられていたそうです。
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吉次観音堂

栃木県下都賀郡壬生町、金売吉次の墓から程近い処にある小さなお堂。吉次は病に倒れこの地で生涯を終えましたが、吉次の墓とともに吉次の守護仏である観音像を祀ったお堂が里人たちにより建てられたと伝わっています。
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金売吉次墓

金売吉次は源義経が奥州藤原氏を頼って奥州平泉に下るのを手助けしたとされる伝説的人物。義経が頼朝と不仲になり奥州へ逃亡する際に、吉次 が同行し途中で病死したとされ、栃木県下都賀郡壬生町に墓があります。
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天海僧正像(日光)

天海僧正は徳川家康の側近として朝廷政策・宗教政策に深く関与した僧。 家康は自らの神号や葬儀に関する遺言を天海らに託し、天海は家康の神号を「東照大権現」と決定し、家康の遺体を久能山から日光山に改葬しました。
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日光食堂本店

神橋脇に建つこの建造物は、明治時代後期に土産品店として創業した創業当時の面影を残し、高い天井・太い柱や梁、随所に見られる装飾的な彫刻は往時をしのばせ、国の登録有形文化財に 指定されています。
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板垣退助像

板垣退助は土佐藩出身で自由民権運動の主導者として知られる政治家。 戊辰戦争の際には新政府軍の将として日光廟に立てこもった大鳥圭介らの旧幕府軍を説得し、社寺を兵火から守ったと伝えられています。
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想像の像

日光東照宮の上神庫の屋根下にある狩野探幽の下絵とされる大きな彫刻。 狩野探幽が実際には象を見た事がなかったことから「想像の象」と呼ばれ、 「三猿」「眠り猫」「想像の象」で東照宮の三彫刻と云われているようです。
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唐門

日光東照宮の拝殿の入口にあたる場所にある門で国宝。 全体が胡粉で白く塗られ「許由と巣父」や「舜帝朝見の儀」など細かい 彫刻がほどこされています。
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徳川家康墓所

徳川家康の死は元和2年(1616年)4月17日巳の刻(午前10時頃)。 家康は始め駿府の南東の久能山(現久能山東照宮)に葬られていましたが、一周忌を 経て、江戸城の真北に在る日光の東照社に改葬されたとのことです。
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眠り猫

日光東照宮にある左甚五郎の作品と伝わる国宝になっている彫刻作品。 奥社入口を護る「眠り猫」は、徳川家康を護るために寝ていると見せ掛け、 いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれています。
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三猿

日光東照宮の神厩舎の長押上に彫られている三匹の猿の彫刻。 この三猿は「見ざる・言わざる・聞かざる」を示し、子供のころには、悪い事を 「見ない、言わない、聞かない」ように教育すべしとの意味だそうです。
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日光東照宮

徳川家康を神格化した東照大権現を祀る栃木県日光市にある神社。 絢爛豪華な社殿群は殆どが寛永13年(1636年)に建て替えられたもので、 陽明門、唐門などの国宝もあり、世界文化遺産にも登録されています。
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唐沢山神社

唐沢山神社は栃木県佐野市の唐沢山山頂に鎮座する藤原秀郷を祀る神社。 祭神の藤原秀郷は俵藤太(田原藤太)の別名でも知られ、下野国押領使と して唐沢山に唐沢山城を築城し、秀郷の子孫の佐野氏が居城としました。
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唐沢山城跡

唐沢山城は藤原秀郷が築城したと伝わる山城で、関東七名城の一つ。 唐沢山(247m)の上にあり、関東一の山城とも称されていて、戦国時 代には上杉謙信の10度に及ぶ攻撃を撃退したと伝わっています。
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米山古墳

栃木県佐野市犬伏新町にある古墳で、一時、北関東最大の前方後円墳であると云われていましたが、実際には、自然の丘陵だったそうです。 麓には、真田父子の「犬伏の別れ」で有名な、新町薬師堂があります。
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新町薬師堂(犬伏)

栃木県佐野市犬伏新町にある薬師堂は、慶長5年(1600年)、天下分け目 の関が原の合戦を前に、真田父子3人(昌幸、信幸、信繁)が、東軍と西軍に 分かれて戦うことを決断した密議の場所だと伝承されています。
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宇都宮城

平安時代に藤原秀郷あるいは藤原宗円が築城したと伝わる城。江戸時代初期 の宇都宮城釣天井事件の舞台として知られ、また幕末には、戊辰戦争で攻 防戦の舞台ともなった所です。
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日光田母沢御用邸記念公園

栃木県日光市にある県立の都市公園で、元は皇太子時代の大正天皇の静養所として造営された旧御用邸を公園として整備し一般公開しているもの。 明治期以降の数多い御用邸建築のうち、ほぼ完存する唯一の例だそうです。
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古川掛水倶楽部

約110年前の明治時代に、足尾銅山を経営した古河市兵衛が足尾の迎賓館として建設した2階建の洋館で、接待や宿泊施設として使用したそうです。 近くの当時の社員住宅や鉱石資料館、電話ミニ資料館等も見学できます。
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足尾銅山

栃木県日光市の足尾地区にある銅山跡。足尾銅山は天文19年(1550年) の発見で、江戸時代には年間1200トンもの銅を産出していましたが、現在では閉山されて観光施設になっています。
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小山城跡

小山城は栃木県小山市(下野国都賀郡小山)にあった城で、別名は祇園城。 鎌倉時代には下野国守護を務めた小山氏の主要な居城でしたが、 関ケ原の合戦後の、元和5年(1619年)、小山城は廃城になりました。
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小山評定跡

徳川家康は会津の上杉景勝を征伐するために出陣。この地まで来たときに三成挙兵の報に接し、慶長5年(1600年)7月25日、評定を開いて東軍の結束を固めたと伝わる場所です。 栃木県小山市の小山市役所敷地内に小山評定跡の碑が建てられています。
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鑁阿寺

栃木県足利市にある真言宗大日派の本山。「足利氏宅跡(鑁阿寺)」として国の史跡に指定されていて、足利尊氏が幕府を開いた原因とされる「鑁阿寺の置文」で知られています。また、日本100名城の一つでもあります。
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足利尊氏像

足利尊氏は鎌倉時代後期から南北朝時代の武将で、室町幕府の初代将軍。初めは北条高時の偏諱を受け高氏と名乗りましたが、六波羅探題を滅ぼし幕府滅亡の勲功第一とされ、後醍醐天皇の偏諱を受けて尊氏に改めました。
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孔子像(足利学校)

栃木県足利市の足利学校にある儒教の始祖である孔子の像。足利学校の教員は禅僧などの僧侶であったものの、教育内容は仏教色を排したところに特徴があり、教育の中心は儒学であったとのことです。
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足利学校

下野国足利荘にあった平安時代初期、もしくは鎌倉時代に創設されたと伝えられる中世の高等教育機関で、国の史跡に指定されています。室町時代から戦国時代にかけて、関東における事実上の最高学府でした。
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盲蛇石

昔、五左ェ門という湯守がこの辺りで盲目の大蛇を助けたところ、湯の花を授かったそうです。神の使いの蛇から湯の花の作り方を伝授されたと思い、村人達は蛇の首に似た石を「盲蛇石」と名付け信仰の対象としたそうです。
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殺生石

栃木県那須町にある「鳥獣が近づけば命を奪う」と古くから知られている溶岩。鳥羽上皇が寵愛した伝説の女性、玉藻前(白面金毛九尾の狐の化身)が正体を現し、数万の軍勢によって殺害され、この石となったという伝説があります。
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