テーマ:東京

天海僧正髪塚

  天海僧正は、江戸時代初期に徳川家康の側近として活躍した天台宗の僧。 家光の代に、江戸城の鬼門にあたる忍岡に寛永寺を創建したのも天海僧正。 天海僧正は、実は明智光秀であったという興味深い異説もあります。  
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将門塚

  東京都千代田区大手町にある平将門の首を祀っている塚。伝承では、将門 の首級は平安京まで送られて都大路で晒されましたが、3日目に故郷に向か って飛んでゆき、数カ所に落ちたとされています。ここはその中の一つです。  
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渋沢栄一像(常盤橋公園)

  日本銀行のすぐ近く、東京都千代田の常盤橋公園内にある渋沢栄一 の像。渋沢栄一は、第一国立銀行や東京証券取引所等の多種多様な 企業の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」とも云われています。  
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道了堂跡

東京都八王子市鑓水の現在の大塚山公園内にある絹の道(神奈川往還)に関連する文化財。明治7年(1874年)に鑓水商人が浅草花川戸から道了尊を勧請したことが始まりとのことですが、現在はその跡があるのみです。    
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大塚山公園

かつての絹の道(神奈川往還)の中継地点であった所を八王子市が平成2年(1990年)に整備した公園。公園内には道了堂跡をはじめ、石段や石灯籠などが残っていて、また、公園の入り口には絹の道の碑が建てられています。    
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絹の道

幕末から明治時代にかけて、八王子から横浜まで生糸をや絹織物が運んだ裏街道として繁栄した道。御殿橋から「絹の道」碑までの約1.5 kmの区間は八王子市の史跡に指定されており、「歴史の道百選」にも選ばれています。
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絹の道資料館

東京都八王子市鑓水にある絹の道に関する資料館。この資料館は鑓水の生糸商で「石垣大尽」と呼ばれた八木下要右衛門家屋敷跡に、木造の門や入母屋屋根を持つ建物をつくり、平成2年(1990年)3月に開館しました。
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府中高札場

旧甲州街道と府中街道の交差するかつての府中宿の中心地にあったのがこの高札場。往来の多い宿場にあったため、他の村よりも多くの高札が掲げられていて、天保9年(1838年)には10 枚の札が掲げられていたそうです。
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弁慶硯の井戸

東京都府中市片町の高安寺境内にある井戸。平家滅亡後に鎌倉入りを許されなかった源義経が、京都に戻る途中か奥州への途上か、この寺に立ち寄り、武蔵坊弁慶が大般若経を書き写したと伝わっています。
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秀郷稲荷大明神

東京都府中市、藤原秀郷の館跡とされている高安寺境内に鎮座する神社。この地は分倍河原の戦いの際、新田義貞が本陣を構えたり、また、応永の乱、永享の乱、享徳の乱など、様々な戦いの際に軍事拠点となった処です。
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高安寺

東京都府中市、大國魂神社の西に位置する曹洞宗のお寺で、平安時代に藤原秀郷が武蔵国府近郊の居館を市川山見性寺に改めたのが始まりとのこと。後に足利尊氏が臨済宗の禅寺として再興し、高安寺となったそうです。
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磨墨像

磨墨は佐々木高綱の乗る池月と宇治川の先陣争いをしたことで知られている梶原景季の愛馬。この名馬・磨墨は馬込村の産と伝わっていて、東京都大田区南馬込の万福寺の山門脇に像が建てられています。
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磨墨塚

東京都大田区南馬込にある梶原景季の愛馬の墓とされている塚。名馬として知られた磨墨に乗った景季は、寿永3年(1184年)の宇治川の戦いで、やはり名馬の誉れ高い池月に乗る佐々木高綱と先陣を争いました。
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大森貝塚遺跡庭園

東京都品川区にある大森貝塚を整備した庭園。モース博士による発掘は明治10年(1877年)9月から12月に行われ、この発掘は日本初の学術的発掘であり、このことから大森貝塚は「日本考古学発祥の地」と呼ばれています。
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モース像

エドワード・S・モースは、米国の動物学者。標本採集に来日し、東京大学の教授を2年務め、大学の社会的・国際的姿勢の確立に尽力しました。また、モースは大森貝塚を発見し、日本の人類学、考古学の基礎をつくりました。
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大森貝塚

東京都品川区から大田区にまたがる縄文時代後期 - 末期の貝塚。明治10年(1877年)6月17日に横浜に上陸した米国人の動物学者モースが、6月19日に横浜から新橋へ向かう途中、列車の窓から発見した貝塚です。
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佃島渡船場跡

隅田川に架かる佃大橋の東袂近く、東京都中央区佃1丁目に碑があります。徳川家康が、摂津国佃村の漁民を招いて住まわせたところが佃島で、この島と対岸の船松町との間に、正保2年(1645年)に通ったのが佃の渡しです。
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佃島渡船場跡

東京都中央区湊3丁目、隅田川に架かる佃大橋の西の袂にある佃島渡船場跡の碑。「佃の渡し」と呼ばれたこの渡船は、佃島(現在の佃一丁目1~10番)が築かれた江戸時代から昭和期まで約320年間続いた渡船だったそうです。
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青山学院記念の地

青山学院は、米国の宣教師により創立された3つの学校を源流としていますが、その源流の一つである、「女子小学校」が「救世学校」を経て、明治10年に築地に移転してきて「海岸女学校」と改称し、青山学院の基礎となりました。
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女子聖学院発祥の地

女子聖学院は、現在は東京都北区中里にある私立の女子中学校・高等学校ですが、明治38年(1905年)に、米国人女性宣教師、バーサ・F・クローソンにより、女子聖学院神学部として東京築地で設立されたのがその始まりです。
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明治学院発祥の地

「明治学院は明治10年(1877年) ここ築地17番地に開設された東京一致神学校を基とする」と碑文に記されています。 東京一致神学校は明治20年に、ヘボン塾の後身である一致英和学校等と合併して明治学院となりました。
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立教学院発祥の地

立教学院は明治7年(1874年)に築地の外国人居留地に私塾「立教学校」が開かれたのが始まり。その後幾度か名称を変え、 明治40年(1907年)には「立教大学」を開設し、大正7年(1918年)に豊島区池袋に移転しました。
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女子学院発祥の地

女子学院は明治3年 (1870年)に築地居留地に開設された「A六番女学校」がその発祥で、 明治23(1890年)には他の女学校と合併して、現在の校舎のある千代田区一番町に移転し、 校名も「女子学院」となったとのことです。
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浅野内匠頭屋敷跡

聖路加国際病院と河岸地を含む一帯は赤穂藩主浅野家の江戸上屋敷があった所で、浅野内匠頭長矩もこの屋敷で生まれたとのこと。吉良邸討ち入り後の47士は、この上屋敷跡の前を通って泉岳寺まで引き揚げたそうです。
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シーボルト像

江戸蘭学発祥の地である東京築地のあかつき公園にあるシーボルトの像。シーボルトは、文政9年(1826年)3月4日からの約1か月間、江戸で蘭学者を直接指導して、江戸蘭学発展のために大きく貢献しました。
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慶応義塾発祥の地

福沢諭吉は、中津藩の命により江戸築地(鉄砲洲)に蘭学塾を開きましたが、外遊によって西洋文明を摂取した結果、蘭学より英学の振興が必要と考え、慶応4年(1868年)に「慶応義塾」と称する私塾をこの地に開設しました。
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蘭学の泉はここに

東京都中央区明石町にある解体新書翻訳の記念碑。この地は豊前中津藩の中屋敷跡で、ここで、前野良沢、杉田玄白たちが4年かけてオランダの医学書を翻訳し、安永3年(1774年)「解体新書」が完成したとのことです。        >  
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関戸古戦場

  関戸の戦いは、元弘3年(1333年)5月16日に霞ノ関(現在の東京都多摩市 関戸)一帯で、北条泰家率いる鎌倉幕府勢と新田義貞率いる反幕府勢との間 で行われた合戦。この戦いで新田軍は勝利を収め、鎌倉へと進撃しました。  
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武蔵国府跡

  武蔵国府は現在の府中市に奈良時代の初め頃から平安時代の中頃に かけて置かれ、武蔵国の政治・文化・経済の中心地として栄えていました。 大國魂神社境内及びその東側の地域に武蔵国府があったそうです。  
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大國魂神社

  東京都府中市に鎮座し、大國魂大神(大国主命と同神とされる)を 主祭神と する神社。景行天皇41年の創建と伝えられ、源頼朝が妻の安産祈願をし、 また源頼義と義家が奥州に向かう際に戦勝祈願をした等の伝承があります。  
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