テーマ:一の谷

平業盛之塚

  神戸市兵庫区の善光寺境内にある平業盛の塚。平業盛は清盛の弟の 平教盛の三男で、通盛、教経、忠快らは兄弟。一ノ谷の戦いにおいて、 源範頼の軍の手にかかり討死にをしました。  
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平経俊塚

  神戸市兵庫区の鎮守稲荷神社の境内にある平経俊を供養する五輪塔。平 経俊は平清盛の異母弟である平経盛の子で、経正、敦盛らは兄弟。平知盛 の指揮下で生田の森で源氏軍と対戦し、奮戦の末に討死にしました。  
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琵琶塚 平清盛像

  琵琶塚はもとは前方後円式の古墳石でしたが、平敦盛の兄で琵琶の名手 であった平経正に結びつけて琵琶塚(経正塚)と呼ばれるようになったそう です。琵琶塚の横には、平清盛像が建てられています。  
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平忠度腕塚堂

  薩摩守忠度は平忠盛の6男で、平清盛の異母弟。一の谷の合戦で討ち死 にする際、右腕をひじの下からから切り落とされ、その右腕を埋めたとされ ているのがこの場所です。  
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平忠度胴塚

  平忠度は一の谷の合戦の際、西の木戸口を守る大将でしたが、敗れて 駒ヶ林を目指す途中、源氏方の岡部六弥太忠澄に討ち取られました。 平忠度の腕塚から西方約300mの所に胴を埋めたとされる塚があります。  
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戦の濱

  神戸市須磨区の須磨浦公園の東側にある源平合戦古戦場に建つ碑。 一の谷の合戦当時、この付近には平氏の陣があったといわれ、寿永3年 (1184年)2月7日、源義経率いる騎馬隊が奇襲攻撃をしたところです。  
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安徳帝内裏跡

  安徳天皇は平清盛の娘、建礼門院徳子を母とし、わずか2歳で即位。源平 合戦時の一の谷の陣では、ここに安徳帝の内裏があり、源義経はここにあ ったとされる三種の神器を狙って奇襲をかけたとの説もあります。  
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鉄拐山

  神戸市須磨区にある標高236mの山で、眼下に須磨浦が見下ろせます。 寿永3年(1184年)2月7日、三種の神器の奪還を目指した源義経が馬 で駆け下り、平家軍を壊滅させたのが、この山と云われています。  
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敦盛塚

  神戸市須磨区の須磨浦公園から西に少し歩いたところにある五輪の塔。 寿永3年(1184年)2月7日、当時16歳の平敦盛が熊谷次郎直実によって 討ち取られ、その供養のためにこの五輪塔を建立されたと伝わっています。  
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敦盛公首塚

  神戸市須磨区の須磨寺境内にある平敦盛の首塚と伝わる五輪塔。寿栄3年 (1184年)2月7日に起きた一の谷の戦いで、熊谷直実に討たれた平敦盛の 菩堤を弔う為に建立されたということです。  
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敦盛公首洗いの池・義経腰掛の松

  神戸市須磨区の須磨寺境内にある源平合戦の史跡。一の谷の合戦のあと、 首実検の前に敦盛公の首を洗い清めたとされる池と、源義経公が敦盛公の 首と笛を実検した際に座った松とのことです。  
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弁慶の鐘

  神戸市須磨区の須磨寺に伝わる弁慶の鐘。 一の谷の合戦の際、弁慶が 山田庄の安養寺からこの鐘を長刀の先に掛けて担いできて、陣鐘の代用 にしたという伝説のある鐘です。  
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青葉の笛

  青葉の笛は、弘法大師が中国(唐)から持ち帰り、嵯峨天皇に献上し、 その後皇室から平家の手に渡ったといわれている笛です。この青葉の 笛と、髙麗笛の2本が平敦盛遺愛の笛と伝えられています。  
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源平の庭

  熊谷次郎直実が平敦盛を呼び返している場面の像。一の谷合戦の際、熊谷 直実は海上に馬を乗り入れて沖へ逃れようとする平敦盛を呼び戻し、須磨の 浜で組み討ち、その首をはねたという名場面です。須磨寺境内にあります。  
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平重衡とらわれの松跡

  平重衡は平清盛の五男で、母は清盛の継室・平時子。翌寿永3年(1184年) 2月の一の谷の戦いで、重衡は源範頼・義経の鎌倉源氏軍に大敗を喫し、敗 軍の中、馬を射られて捕らえられました。  
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生田川

  神戸市を流れる二級水系の本流で、河川敷にある生田川公園は桜の名所。 一の谷の合戦の際には、平家軍は生田の森の城戸として陣をこの生田川に 置き、逆茂木を並べて防御をかため源氏軍と相対したとのことです。  
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箙の梅

  源平一の谷合戦の時、梶原景時、景季父子は生田森で奮戦しましたが、 その時に梶原景季は、ここの咲き乱れる梅の枝を箙に挿して戦い、その 優雅さを平家の公達も賞賛したとのことです。  
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生田の森

  神戸市中央区にある、かつて生田神社付近一帯に広がっていた広大な森。 近くに生田川をひかえた軍事的な要衝地で、数々の合戦の場ともなり、源平 合戦での梶原景季、南北朝戦争での楠正成などの活躍が有名です。  
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梶原の井

  源平生田の森の合戦の折、梶原景季がこの井戸の水を汲んで生田の神に 武運を祈ったと伝えられています。、また別説では、景季がこの井の水を掬 った時、咲き盛った箙のうめの花影が映ったとの伝もあるとのことです。  
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河原霊社

  兵庫県神戸市中央区の三宮神社境内にある河原兄弟の霊を祀る社。 河原太郎・次郎の兄弟は、現在の埼玉県行田市南河原出身で、源平 生田の森の合戦で一番乗りの功名手柄をたてたあと、討死をしました。  
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小野八幡神社

  神戸市中央区八幡通にある厄除け・交通安全にご利益のあるとされる神社。 源平合戦の生田の森の戦いで、源氏方の河原兄弟が先陣を飾るも討死。源 頼朝が兄弟を弔うために報恩寺を建立、報恩寺の鎮守にしたのがこの神社。  
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岡部六弥太墓

  埼玉県深谷市普済寺に、岡部六弥太忠澄の墓と伝わる塔があります。 岡部六弥太忠澄は、治承・寿永の乱の際には源氏方について出兵し、 一の谷の戦いで、平家の名将平忠度を討ったことで知られる武将です。  
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平忠度墓

  平忠度は平安時代の平家一門の武将で、平忠盛の六男、平清盛の異母弟。 一ノ谷の戦いで、源氏方の岡部忠澄に討たれましたが、岡部忠澄は忠度の 菩提を弔うため、現在の埼玉県深谷市の清心寺に供養塔を建立しました。  
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