テーマ:江戸城

田安門

東京都千代田区北の丸公園内、江戸城(現・皇居)に造られた門で、北面する高麗門と西側に直交する渡櫓門からなる桝形門。昭和36年(1961年) に「旧江戸城田安門」として国の重要文化財(建造物)に指定されています。
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富士見多門

多聞とは城郭の石垣上に建てられた長屋状の櫓のことで、江戸時代の江戸城には、このような多聞が26棟ほど築かれていたそうです。現存するのはこの富士見多聞だけで、内部は一般公開されています。
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坂下門

江戸城の門で、現在は宮内庁への出入り口になっている門。文久2年 (1862年)、公武合体論を推進し、和宮降嫁を実現させた老中安藤信正 が、尊王攘夷派の志士に襲撃された「坂下門外の変」の現場です。
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江戸城外堀跡・地下展示室

東京都千代田区霞が関の地下鉄虎ノ門駅11番出口近くにある江戸城外堀 の展示施設。この文部科学省構内に残る石垣は、江戸城を取り巻く外堀の一 部で、寛永13年(1636年)に幕府が全国の大名を動員して築いたものです。
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江戸城 大手門

元和6年(1620年)に、伊達正宗等の外様大名の普請で完成したと伝わる旧江戸城の正門で、江戸時代には、この門から300諸侯が登城したそうです。 現在は、皇居東御苑の出入り口として一般に公開されています。
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富士見櫓

明暦3年(1657年)の大火で江戸城の天守閣が焼失した後、天守閣の代用とされていたのが、この三重構造の富士見櫓。万治2年 (1659年)に再建されたもので、江戸城本丸の貴重な遺構です。
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巽櫓(桜田二重櫓)

江戸城の本丸から見て東南(辰巳)の濠(桔梗濠)の角にあることから 巽櫓と名付けられたそうで、桜田二重櫓とも呼ばれています。富士見櫓・ 伏見櫓とともに、現在の江戸城に残る3つの櫓の中の一つです。
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和田倉橋

内濠(和田倉濠)に架かり、皇居外苑東側から日比谷通りに通じる橋で、 平川橋とともに江戸城の貴重な木橋の景観を復元したコンクリート製です。 江戸時代には大名や武士が通行する橋で、一般人は通行不可でした。
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和田倉門跡

和田倉門は元和6年(1620年)に構築され「蔵の御門」とも呼ばれていた士衆通行の橋。明治元年(1868年)の明治天皇の初めてのご東幸の際には、 呉服橋門から和田倉門を通って江戸城西ノ丸に入られたとのことです。
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伏見櫓

皇居の正面鉄橋の傍にある櫓で、別名「月見櫓」とも呼ばれているそうです。 江戸城築城の第2期(3代将軍家光の時)の寛永5年(1628年)に、京都の 伏見城から移築したものと伝えられ、皇居で最も美しい櫓と言われています。
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正門石橋(皇居)

皇居の入り口に架かる橋で二重橋と誤認されている橋ですが、この石橋は二重橋ではなく、正門鉄橋が本来の二重橋とのことです。皇居に入るのには、皇居前広場→ 正門石橋→正門→正門鉄橋→宮殿、が正式ルートだそうです。
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同心番所(江戸城)

同心とは、江戸幕府の諸奉行・所司代・城代・大番頭などの配下に属し、与力の下にあって、庶務・警備の仕事をしていた下級役人を総称したも の。江戸城の同心番所には大手三の門を警固する与力・同心が詰めていました。
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中之門跡(江戸城)

江戸城の中之門は、本丸の玄関となる中雀門と一体となって一つの大きな虎口を作り、 百人番所や大番所とともに本丸護衛として重要な役割を果たしていました。 中之門石垣は江戸城の中でも最大級の巨石(35t前後)が使用されています。
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百人番所

江戸城の大手門から大手三の門を抜けたところの左手にあるのが、大手三 の門を守衛し本丸御殿最大の検問所であった長さ50mを超える百人番所。 同心が常時百人詰めていたので百人番所と呼ばれるようになったそうです。
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大番所

番所とは警備の詰所のことで、大番所は大手中之門の内側に設けられ、他 の番所よりも位の高い与力・同心により警備されていたといわれています。 本丸への最後の番所であり、警備上の役割はきわめて重要だったそうです。
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松の大廊下跡

元禄14年(1701年)3月14日、勅使の接待役(勅使饗応役)であった浅野内匠頭がここで吉良上野介に 斬りかかり、あの有名な忠臣蔵の物語が始まりました。皇居東御苑内に碑がたてられています。
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平川門

江戸城の当時の高麗門、渡櫓門、木橋がそのまま残っている門。当時は江戸城三の丸の正門で、徳川御三卿の田安・一橋・清水の各徳川家の登城口であり、また、奥女中の通用門として「お局御門」とも云われていたそうです。
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帯曲輪門(不浄門)

不浄門は江戸時代、大名・旗本などの屋敷の練り塀に設けられた戸板一 枚程のくぐり門で、糞尿汲み取り人や死者・罪人などを出入りさせる門のこと。 江戸城では平川門の脇にある小さな門、帯曲輪門が不浄門とされていました。
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太田道灌公追慕之碑

江戸城は扇谷上杉氏の家臣であった太田道灌により長禄元年(1457年) に築城されました。この石碑は江戸城築城者の太田道灌を偲び、太田道灌の没後450年にあたる昭和11年(1936年)に建立されました。
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日比谷見付跡

見附というのは、おもに城の外郭に設けられた城門のこと。日比谷見附跡は江戸城を囲む「江戸城36見附」の一つの日比谷御門があったところです。 現在は、日比谷公園の北東側角(有楽門)から入ったところに石垣が残されています。
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数寄屋橋碑

数寄屋橋は寛永6年(1629年)に江戸城外濠に架けられた橋で、 昭和4年(1929年)に石造りの二連アーチ橋に架け替えられました。 その後、取り壊されて現存はしていませんが、地名が残されています。
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虎ノ門記念碑

東京都港区虎ノ門の虎ノ門交差点の北東角に「虎ノ門記念碑」があります。 「虎ノ門」とは江戸城の南端(現在の虎ノ門交差点附近)にあった門の名前で、明治6年(1873年)に門が撤去された後も、近隣地域の地名として使われてきました。
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桜田濠

江戸城の内堀の一つで半蔵門から桜田門までのお濠。この濠を掘った土で日比谷の入り江が埋め立てられて大名屋敷が造られていったとのことです。この濠 沿いには国立劇場、最高裁判所、憲政記念館、警視庁などが並んでいます。
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半蔵門

江戸城(現在の皇居)の大手門とは正反対の位置にある門。 半蔵門の名称については、この門の警固を担当した徳川家の家来、服部正成・正就父子の通称「半蔵」に由来するのが定説とのことです。
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芝口御門跡

宝永7年(1710年)、朝鮮の聘使の来朝に備えて我国の威光を顕示す るため、新井白石の建策に基づき、現に外桜田門に見られるような城門が新橋の北詰に建設されて、芝口御門と呼ばれたそうです。
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一石橋

東京都中央区にある旧江戸城外濠と日本橋川の分岐点に架橋された橋。 橋の南北にあった二つの後藤家が橋の再建に大きく貢献したために、後藤の読みから、「五斗+五斗で一石」の洒落で、一石橋となったと伝わっています。
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江戸城天守台

江戸城天守(寛永の天守)は、明暦3年(1657年)の火災で焼け落ち、翌年に 加賀前田家の普請により高さ18mの花崗岩でできた天守台が築かれました。 これが現在残る天守台ですが、天守閣は再建されることはありませんでした。
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桔梗門脇の石垣

桔梗門の内側にある石垣で、石を持ってきた大名の印が刻んであります。 多くの石は伊豆半島の安岩石が多いと言われていますが、遠くは四国、 九州からの石も諸大名から献上されているとのことです。
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桔梗門

江戸城の門の一つで、この門の瓦に太田道灌の家紋である桔梗がついてい たことから「桔梗門」と呼ばれていて、「内桜田門」の別名もあります。現在は皇居参観者などの出入りする門とし て利用されています。
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常盤橋

東京都千代田区大手町と中央区日本橋本石町との間を流れる日本橋川に架 かる橋。元は「大橋」と称され、江戸城の大手門から浅草に直接向かう本町通 り上にあり、浅草に通じていることから「浅草口橋」とも呼ばれていました。
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