テーマ:発祥

代々木

明治神宮参道に立つ「代々木」の地名の由来となったとされている樹木。江戸時代に彦根藩井伊家下屋敷であった当地には代々樅の巨木があり「代々大きな木があった」という意味で「代々木」の地名が発祥したそうです。なお当時の木は、昭和20年5月の空襲の際、撃墜されたB-29が直撃して焼失したそうです。
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中消防署開設地跡

大正8年(1919年)に横浜の2つの消防署の中の一つである第二消防署(現在の中消防署)がこの地に開設され、9月1日から事務を開始したとのことです。昭和51年(1956年)に伊勢佐木長者町駅の近くに3代目の庁舎が落成し、現在の中消防署はそちらにあります。
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近代のパン発祥の地

開港の翌年(安政7年、万延元年、1860年)年にフランス人にパンの製法を習った内海兵吉が国内初のパン屋として「富田屋」を開業したのが、現在の大桟橋通りに面したこの辺りだそうです。内木彦太郎の元町「ウチキパン」の英国流の山型食パンが登場したのはその後のことです。
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日本ガソリンスタンド発祥の地碑

横浜駅の東口、ヨコハマプラザホテルの前に小さな石碑がたてられています。 横浜米油が此処にガソリンスタンドを建てたのが日本最初のガソリンス タンドということで、昭和49年(1974年)9月19日に碑が建てられたそうです。
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クリーニング発祥の地

横浜が開港すると外国人相手のクリーニング業が始まりました。安政6年(1859年)の青木屋忠七に続いて、次々と業者が開業し、清水屋という大規模な洗濯屋のあった谷戸坂に記念碑がつくられました。
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所沢航空記念公園

明治44年(1911年)4月5日に徳川好敏大尉が操縦するフランス製複葉機 アンリ・ファルマン機が高度10m、飛行距離800m、飛行滞空時間1分20秒 の飛行を行なった日本初の航空機専用飛行場の跡にできた県営公園です。
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カフェパウリスタ(銀座)

明治44年(1911年)に銀座に開業したカフェで「日本初のカフェ」との こと。「銀ブラ」の語源は「銀座をブラつくこと」ではなく「銀座パウリスタに ブラジルコーヒーを飲みに行くこと」だそうです。
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横浜海岸教会

横浜の開港広場に隣接して建つ日本で最初のプロテスタント教会。当初は横浜公会として、明治5年(1872年)2月2日に設立されましたが、明治8年(1875年)に教会堂が建設されて、横浜海岸教会と改称されました。
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ホテル発祥の地

万延元年(1860年)、オランダ人船長C・J・フフナーゲルが開業した日本初の近代ホテル「ヨコハマ・ホテル」が、この地(居留地70番)にありました。このホ テルには、シーボルト父子や画家のW.ハイネなども滞在していたとのことです。
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鎌倉ハム倉庫

明治10年(1877年)、上柏尾村で英国人がハム・ソーセージなどの製造を開始。現在の上柏尾町は当時は鎌倉郡だったため、鎌倉ハムと呼ばれました。この倉庫は赤レンガ倉庫と同じころの明治20年代の建造だそうです。
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パン祖の碑

江川英龍は国防上の観点からパンの効用に日本で初めて着目してパン(堅パンに近いもの)を焼いた人物で、日本のパン業界から「パン祖」と呼ばれています。伊豆韮山の江川邸にパン祖の碑が建てられています。
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旧居留地消防隊地下貯水槽遺構

明治4年(1871年)から明治32年(1899年)まで、ここを本拠地としていた居留地消防隊の防火貯水槽として建造され、昭和47年(1972年)まで使用されていたそうです。横 浜消防局本部も置かれていたことがあり、消防救急発祥の地でもあります。
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電気鉄道事業発祥地

京都駅のすぐ近く、京都市下京区塩小路通東洞院南西角にある記念碑。 明治28年(1895年)、この地を起点として日本最初の電気鉄道である京都電気鉄道株式会社の伏見線が、伏見町下油掛までの約6kmを走りました。
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ちりめん洋服発祥の地

京都市中京区木屋町、武市瑞山寓居跡の碑と並んで碑が建てられています。 昭和47年(1972年)に、田中佐起三氏が (株)さきぞう(SAKIZO)を創業し、 ちりめん素材を使った洋服を創作し、ここから世に送り出したそうです。
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島津製作所創業之地

島津製作所は島津源蔵が設立した我国初の計測器・精密機器メーカー。 明治8年(1875年)、島津源蔵はこの地を選んで理化学器械製造の業を興し、 二代目島津源蔵がこれを継承、これが島津製作所の始めとのことです。
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工部大学校跡

工部大学校は明治時代初期に工部省が創設した教育機関で、現在の東京大学工学部の前身の一つ。キャンパスは現在の千代田区霞が関三丁目、文部科学省および金融庁のある一帯にありました。
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蕃書調所跡

前身の神田小川町にあった洋学所が安政の大地震で全壊焼失したため、 蕃書調所と改称して九段坂下に講舎を新築し開講した洋学研究教育機関。開成所の前身で東京大学の源流諸機関の一つです。
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横浜為替会社設立の碑

「為替会社」は、我国最初の会社組織の金融機関として全国に8社設立されたものです。その中の一つである横浜為替会社は横浜港での貿易上必要な洋銀券(ドル紙幣)も含め、紙幣を発行するとともに、生糸売込商などの横浜商人の資金需要に応じていました。
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西洋理髪発祥之地

横浜の山下公園の中に「ザンギリ」という彫刻名の碑が建てられています。 明治2年(1869年)、横浜に我が国初の「西洋理髪店」が開業され、欧米風 の「ザンギリ頭」は文明開化の一翼を担うこととなりました。
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東京盲唖学校発祥の地

東京盲唖学校は明治後期に存在した官立の盲教育・聾唖教育機関。 明治21年(1888年)に築地にあった文部省直轄の訓盲唖院を改称して 設立され、ここで明治23年(1890年)に日本点字が創られたそうです。
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上無川跡

上無川は神奈川本宿の、中の町と西の町の間の道を横切って流れていた川。 カミナシガワのミとシを略してカナガワというようになったとの説があります。 現在は埋め立てられていて、神奈川小学校東脇に記念碑があります。
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ヘンリ・スペンサー・パーマー像

ヘンリー・S・パーマーは日本初の近代的水道である横浜水道を完成させた英国陸軍の工兵少将。 明治18年(1885年)に来日し、道志川を水源として野毛山配水池に至る総延長48kmの横浜水道を2年に及ぶ工事で完成させました。野毛山公園の近代水道発祥の地の記念碑と共にパーマーの像が建てられています。
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電信創業の地

明治2年(1869年)に、日本で初めての電報が始まりました。 横浜電信局と東京電信局の間で始められたのがその始まりで、 横浜では横浜地方検察庁入口に碑が建てられています。
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済生学舎発祥の地

済生学舎は長谷川泰により明治9年(1876年)に開校された医学校で、 医術開業試験の予備教育を目指して創立されました。現在の日本医科大、 日本女子医科大、東京医科大等が流れをくんでいます。
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横浜ボウリング発祥の碑

港の見える丘公園の北西部分のフランス山の下に碑がたてられています。 横浜のこの地にボウリング場が開かれたのは長崎に遅れること3年の元治 元年(1864年)のことだったそうです。
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日刊新聞発祥の地

明治3年(1870年)12月8日、日本初の邦字日刊新聞「横浜毎日新聞」が発行されました。発行所が現在の中区本町6丁目にあったとのことで、当 初、碑は旧生糸検査所にありましたが、平成21年(2009年)にここに再建されました。
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太陽の母子像

この「太陽の母子像」はアイスクリーム発祥の地を記念したもの。明治2年 (1869年)6月、横浜の馬車道のこの地で日本最初のアイスクリームが 販売されたそうです。
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商法講習所跡

商法講習所は、明治8年(1875年)、駐米日本代理公使を終えて帰国した 森有礼が銀座尾張町に創設した商業学校で、現在の一橋大学の源流。 校舎は当初、この地にあった鯛味噌屋の2階を使用したそうです。
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江戸歌舞伎発祥の地

出雲阿国が京都で歌舞伎の始まりとされている“歌舞伎踊り”を始めましたが、その20年後の寛永元年(1624)年に、猿若勘三郎が江戸の京橋付近に猿若座(後の中村座)を開設したのが江戸歌舞伎の始まりだそうです。
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日本橋魚市場発祥の地

徳川家康の関東入国と共に江戸の街の整備が始まり、その一環として 摂津(大坂)の漁民が佃島へ移り住んで幕府へ魚を納めていたそうです。 余った魚が街中でも売られるようになり、日本橋魚市場が始ったとのことです。
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