テーマ:発祥

横浜海岸教会

  横浜の開港広場に隣接して建つ日本で最初のプロテスタント教会。当初は 横浜公会として、明治5年(1872年)2月2日に設立されましたが、明治8年 (1875年)に教会堂が建設されて、横浜海岸教会と改称されました。  
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鎌倉ハム倉庫

  明治10年、上柏尾村で英国人が、ハム・ソーセージなどの製造を開始。 現在の上柏尾町は当時は鎌倉郡だったため、鎌倉ハムと呼ばれました。 この倉庫は、赤レンガ倉庫と同じころの明治20年代の建造だそうです。  
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製油発祥の地

京都府大山崎町に鎮座する離宮八幡宮境内にある「本邦製油発祥地」の碑。平安時代初期、離宮八幡宮では搾油器を発明して荏胡麻油の製油を始め、朝廷より「油祖」の名を賜り、荏胡麻油の販売権を独占して、大変栄えました。   
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青山学院記念の地

青山学院は、米国の宣教師により創立された3つの学校を源流としていますが、その源流の一つである、「女子小学校」が「救世学校」を経て、明治10年に築地に移転してきて「海岸女学校」と改称し、青山学院の基礎となりました。
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女子聖学院発祥の地

女子聖学院は、現在は東京都北区中里にある私立の女子中学校・高等学校ですが、明治38年(1905年)に、米国人女性宣教師、バーサ・F・クローソンにより、女子聖学院神学部として東京築地で設立されたのがその始まりです。
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明治学院発祥の地

「明治学院は明治10年(1877年) ここ築地17番地に開設された東京一致神学校を基とする」と碑文に記されています。 東京一致神学校は明治20年に、ヘボン塾の後身である一致英和学校等と合併して明治学院となりました。
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立教学院発祥の地

立教学院は明治7年(1874年)に築地の外国人居留地に私塾「立教学校」が開かれたのが始まり。その後幾度か名称を変え、 明治40年(1907年)には「立教大学」を開設し、大正7年(1918年)に豊島区池袋に移転しました。
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女子学院発祥の地

女子学院は明治3年 (1870年)に築地居留地に開設された「A六番女学校」がその発祥で、 明治23(1890年)には他の女学校と合併して、現在の校舎のある千代田区一番町に移転し、 校名も「女子学院」となったとのことです。
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慶応義塾発祥の地

福沢諭吉は、中津藩の命により江戸築地(鉄砲洲)に蘭学塾を開きましたが、外遊によって西洋文明を摂取した結果、蘭学より英学の振興が必要と考え、慶応4年(1868年)に「慶応義塾」と称する私塾をこの地に開設しました。
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蘭学の泉はここに

東京都中央区明石町にある解体新書翻訳の記念碑。この地は豊前中津藩の中屋敷跡で、ここで、前野良沢、杉田玄白たちが4年かけてオランダの医学書を翻訳し、安永3年(1774年)「解体新書」が完成したとのことです。        >  
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駒林神社

  兵庫県神戸市長田区駒ヶ林にある八幡神社で、別称駒ヶ林八幡宮。 平清盛が厳島神社に参詣の途中に上陸したところと伝わっています。 また、いかなごのくぎ煮の発祥の地であるとのことです。  
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灘五郷酒造の発祥地

  「灘五郷」とは, 神戸市灘区・東灘区・西宮市にまたがる “灘の生一本” で知られる日本酒の生産地で、今津郷・西宮郷・魚崎郷・御影郷・西郷と 呼ばれる5つの地域からなるそうです。  
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モース臨海実験所跡

  大森貝塚を発見したことでよく知られているエドワード・S・モースは、江の島 に漁師小屋を借り上げて、我国初と言われる「臨海実験所」を開設しました。 このことから、江の島は、日本近代動物学発祥の地とされています。  
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代々木

  明治神宮参道に立つ「代々木」の地名の由来となったとされている樹木。 江戸時代に彦根藩井伊家下屋敷であった当地には代々樅の巨木があり、 「代々大きな木があった」という意味で「代々木」の地名が発祥したそうです。  
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豪徳寺

  東京都世田谷区豪徳寺にある曹洞宗のお寺。井伊直孝が猫に招かれ て門内に入ったために落雷から避けられたと云われ、招き猫(豪徳寺で は招福猫児)の発祥の地とされています。  
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地名「御殿場」発祥の地

  元和元年(1615年)、徳川幕府は家康が江戸~駿府を往復する際の 宿泊所として、現在の吾妻神社がある辺りに御殿を造営しました。その 「御殿のある場所」という意味で御殿場の地名が発症したそうです。  
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納豆発祥の地

  後三年の役の折、農民に煮豆を俵に詰めて提出させたところ、数日経って 糸を引くようになり、食べてみたら美味しかったというのが始まりととのこと。 金沢の柵跡に、納豆発祥の地の碑があります。  
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ウチキパン

  横浜の元町通りに並行して通る元町仲通りの入り口にあるパン屋さん。 開港当初、イギリス人のパン職人の店で修行をしていた打木彦太郎が、 暖簾を引き継いで始めたお店で、ここで日本の食パンの始まったそうです。  
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日本国新聞発祥の地

  アメリカから帰国したジョセフ彦は、文久4年(1864年)に横浜で初めて 手書きの新聞を創刊し、定期的に刊行するようになったとのこと。 「海外新聞」という名の外国新聞の翻訳を用いた新聞だったそうです。  
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我国西洋歯科医学発祥の地

  横浜中華街の近く、勤労会館角に建つ「我国西洋歯科医学発祥の地」の碑。 歯科医師として横浜に来日した米国人のウィリアムス・イーストレーキ師が 3度目に来日して診療所を明治44年(1911年)に開設した地とのことです。  
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卵形下水管

  横浜市中区山下町の中土木事務所の前に展示されている卵形下水管。 明治3年(1871年)に、関内居留地内全域に埋設された陶管で、 これが、わが国最初の近代的下水道だったとのことです。  
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二条城撮影所跡

  京都市立中京中学校の南東角に建つ、二条城撮影所跡を示す碑。この地 に明治43年(1910年)、横田永之助の横田商会により、京都初の撮影所 である「二条城撮影所」が開設され、2年間使われたそうです。  
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平塚商業発祥地(八幡大門通り・浜大門通り)

  八幡大門通りは八幡神社(現平塚八幡宮)の表参道で、東海道までの区間。 明治20年(1887年)平塚停車場(現平塚駅)開業以来、最初は浜大門通り が繁昌し、次いで八幡大門通りに中心が移ったとのことです。  
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頂法寺(六角堂)

  頂法寺は、京都市中京区にある天台宗系単立のお寺ですが、本堂が平面 六角形であることから、一般には「六角堂」の通称で知られています。華道、 池坊の発祥の地としても知られているとのことです。  
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蕎麦切り発祥の地

  山梨県甲州市大和町木賊にある天目山栖雲寺に碑が建てられています。 蕎麦は初め、実を粉にして食べるそばがき、そば餅として食べられており、 今の様な細く切って茹でた蕎麦(蕎麦切り)はここ栖雲寺の発祥だそうです。  
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信州そば発祥の地

  長野県伊那市の西方郊外、駒ケ岳神宮境内にある行者そば発祥の地の碑。 里人たちが役小角か らもらった「そば」の種を 大事に育て「行者そば」と呼び、 その「そば」が信州全域 に広がり「信州そば」といわれ発展したとのことです。  
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憲法草創の碑

  明治20年(1887年)に、料亭東屋で明治憲法の草案づくりが始まったこと を記念して、昭和10年に、東屋の庭に「憲法草創の碑」が建てられました。 その後、東屋の廃業により、碑は40m程東の現在地に移設されたそうです。  
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明治憲法起草の地

  ここは料亭「東屋」があった所で、明治20年(1887年)6月から、伊藤博文、 伊東巳代治、金子堅太郎、井上毅がここに集まり、ドイツ人顧問ロエスレルの 意見書、伊藤らのドイツでの講義筆記などを基に検討を開始したそうです。  
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小田原馬車鉄道・電気鉄道湯本駅跡

  小田原馬車鉄道は、現在の箱根登山鉄道の前身で、小田原と箱根を結ぶ ことを目的として、明治21年(1888年)年に設立され、その後電化により 明治29年(1896年)には小田原電気鉄道となりました。  
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駅伝発祥の碑

  我が国最初の駅伝は、奠都50周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競走」 として、大正6年(1917年)4月27日~29日の3日間にわたり開催され、 京都三条大橋をスタート地点、上野不忍池をゴールとして行われたそうです。  
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