テーマ:大阪

関大明神社

大阪府三島郡島本町に鎮座する神社で、ご祭神は大己貴命・天児屋根命。この地は西国街道の宿場町で、古くは山崎橋も存在したことなどから交通の要衝として関所が設置されており、この神社自身が関所跡地であるそうです。
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水無瀬神宮

大阪府三島郡島本町に鎮座する神宮。承久3年(1221年)の承久の乱により配流され、そこで崩御した後鳥羽上皇、土御門上皇、順徳上皇の神霊を配流地から迎えて合祀した神社とのことです。
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島本町 道標

現在の大阪府島本町桜井にある、慶応三年のものと伝わる西国街道の道標。  正面「右 柳谷/左 西ノ宮そうじ寺道」  左面「右 山崎道,」と刻まれてます。柳谷は、長岡京市の山中にある柳谷観世音を案内しているそうです。
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楠公父子像

楠木正成は後醍醐天皇の忠臣として活躍し「大楠公」と称された武将。 楠木正行は楠木正成の嫡男で、父の意志を継ぎ足利尊氏と戦い 「小楠公」と呼ばれた武将。父子は桜井の駅で今生の別れをしました。
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旗立松(桜井の駅跡)

大阪府三島郡のJR島本駅のすぐ近く、桜井の駅跡史跡公園内にある古木。 建武3年5月(1336年6月)、兵庫を目指した楠木正成は、途中の西国街道の桜井の駅に留まり、その際に軍旗を立てかけたと伝わっている古木です。
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桜井の駅跡

桜井駅は現在の大阪府三島郡島本町にあった古代律令制度下の駅家。「楠公父子訣別之所」として知られ、敷地内には陸軍大将乃木希典筆の碑、明治天皇御製で海軍大将・元帥東郷平八郎筆の碑、などがあります。
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安居天神

大阪市天王寺区にある神社で、安居天満宮、安井神社とも呼ばれています。元々は、少彦名神を祀る神社ですが、菅原道真が大宰府に流されるときに、風待ちのために休息をとったことで、その名がついたとの伝承があるそうです。
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真田幸村像(安居神社)

真田幸村(真田信繁)は大坂冬の陣では大坂城の南側に真田丸を築いて徳川勢を撃退し、夏の陣では家康の本陣に突撃するなどの活躍をしました。真田信繁の討死にした場所と伝えられる安居神社境内に像があります。
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真田信繁戦死の地

慶長20年(1615年)5月7日午後の天王寺・岡山合戦において、真田信繁(幸村)は、茶臼山のすぐ北側にある安居神社境内で、越前松平隊鉄砲頭の西尾久作という者に首をとられたと伝わっています。
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真田幸村戦没地碑

  真田幸村(本名真田信繁)は、大坂夏の陣において3500の兵を率いて 徳川家康の本陣まで攻め込み、徳川家康を窮地に追い込みました。しか し、目的を果たせず、安居神社境内で討ち取られたと伝わっています。  
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四天王寺

大阪市天王寺区四天王寺にあるお寺。蘇我馬子の法興寺(飛鳥寺)と並び、日本における本格的な仏教寺院としては最古のものとのことです。日本仏教の祖とされる聖徳太子による建立で、太子建立七大寺の一つです。
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義経よろい掛け松

大阪市天王寺区の四天王寺境内にある源義経が鎧を掛けたと伝わる松。源義経が京を逃れて大物浦からの船出に失敗して和泉国に流れ着き、四天王寺に一宿した際に鎧を掛けた松と伝わっているそうです。
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淀殿墓

淀殿は浅井長政の娘で本名は浅井茶々。豊臣秀吉の側室であり秀頼の生母であることで知られていて、大坂夏の陣で大坂城落城の際、秀頼とともに自刃したと伝わっています。大阪市北区の太融寺に淀殿の墓とされる石塔があります。
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大坂城

石山本願寺跡地に豊臣秀吉によって築かれ、豊臣氏の本拠となった城。しかし慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で落城し、豊臣氏は滅亡しました。天守閣は、市民の寄付金により、昭和6年(1931年)に再建されました。
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山里曲輪跡

慶長20年(1615年)の大坂夏の陣での大坂城落城の際、豊臣秀頼とその母淀殿をはじめとする主従約30名が、大坂城内で自刃しました。その場所として、山里曲輪の一角の矢倉の中とする説が有力とのことです。
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石山本願寺跡

石山本願寺は戦国時代に現在の大阪城のある地にあった浄土真宗の寺院。当時から「大坂城」とも呼ばれるほどの堅固な城塞で、さらに戦国大名並みの兵力を持ち、織田信長との間に11年間の武力抗争を続けました。
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難波宮跡

難波宮は飛鳥時代・奈良時代の難波(現在の大阪城の南側)にあった宮殿。白雉3年(652年)に完成し、天皇制の始まり、元号の始まりである大化の改新とよばれる革新政治は、この宮殿で行われたとのことです。
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真田の抜け穴跡

大阪城から南に1.5kmほど下ったところに鎮座する三光神社の境内に、大阪城へと通じる地下道の出入り口と伝わる穴があります。この付近は、真田幸村が陣を構えた真田丸があった場所とされています。
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真田信繁像(三光神社)

真田信繁は真田幸村として知られている安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将で、大坂冬の陣における真田丸の戦いで知られています。真田丸があった場所とされている三光神社の境内に像があります。
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真田丸跡

真田丸は慶長19年(1614年)の大坂の陣(冬の陣)において、豊臣方の武将真田信繁が大坂城平野口の南に構築した曲輪(出丸)のこと。現在の真田山公園、明星学園付近に存在したと推定されているそうです。
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竹本義太夫生誕地

竹本義太夫は江戸時代の浄瑠璃語りで、義太夫節浄瑠璃の創始者。摂津国天王寺村の農家の生まれということで、現在の大阪市天王寺区、谷町筋に沿った天王寺駅の北側に生誕地の碑があります。
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安井道頓道卜紀功碑

大阪府大阪市中央区の堺筋、日本橋北詰交差点北東角に建つ石碑。東横堀川と西横堀川を結ぶ堀川は安井道頓が掘削を開始ましたが、道頓の死後は安井道卜らが引き継ぎ、元和元年(1615年)に完成しました。
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山口重信墓

山口重信は幕府の許可を受けていない婚姻をしたために、蟄居の身でしたが、大坂夏の陣では武功を立てようと、井伊直孝の軍に属して参戦。奮戦しましたが、木村重成に討ち取られて26歳の若さで戦死しました。
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木村重成墓

木村重成は幼少から秀頼の小姓として仕え、秀頼の信頼が厚かった武将。大坂夏の陣が勃発すると豊臣軍の主力として八尾・若江方面に出陣し、藤堂軍の右翼を破りはしたものの、井伊軍との激戦の末に戦死しました。
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河内音頭発祥の地

室町時代、八尾の常光寺の伽藍再興の際に、造営材木を川を流して運ぶ運搬者の掛け声が「木遣り音頭」となり、念仏踊りと一体となったそうです。昭和初期、音頭取り有志がそれを「流し節正調河内音頭」と表示したそうです。
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常光寺

大阪府八尾市本町にある臨済宗南禅寺派の寺院で、通称は八尾地蔵尊。大坂の役において、徳川方の武将・藤堂高虎は本堂の北にある住職の居間(方丈)の縁側に敵方の首級を並べて「首実検」をしたと伝わっています。
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河内街道

大阪府の枚方市から八尾市をつなぐ街道で、江戸時代には枚方道と呼ばれていたようですが、明治になって河内街道と記されるようになったそうです。八尾ファミリーロード北に「河内街道」の碑があります。
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小松山古戦場

小松山は大坂夏の陣の際に行われた道明寺合戦の激戦地。慶長20年(1615年)5月6日未明、豊臣軍の後藤又兵衛は小松山を占拠。徳川軍はこれを包囲し、約8時間の激闘の末、後藤又兵衛は戦死しました。
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東西両軍戦死者供養塔(玉手山)

大阪府柏原市の玉手山公園内にある道明寺の戦いの戦死者の供養塔。かつて玉手山付近と石川の対岸にある道明寺付近にかけては、大坂夏の陣の激戦地で、両軍合わせて約5万の軍勢が激闘をしました。
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玉手山古墳

大阪府柏原市の大和川と石川との合流点の東南に、南北にのびる玉手山の洪積丘陵上に古墳が点在し、玉手山古墳群と呼ばれています。古式古墳群、横穴墓、後期古墳、の3種類から構成されているとのことです。
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