テーマ:青森

弘前病院

前身は明治30年に設立された弘前衛戍病院。弘前病院の広報誌72号によると、八甲田山雪中行軍で遭難し救助された山口少佐が運び込まれたのは、この病院だそうです。
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三内丸山遺跡

青森県青森市郊外にある縄文時代の大規模な遺跡。建物群跡から、最盛期の縄文時代中期後半には約500人の居住者がいたとも推定され、縄文時代の文化がかなり進んだものであったことを示しています。
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青森市森林博物館

青森市柳川にある森林に関する総合博物館。明治41年(1908年)築の ルネッサンス様式木造洋式建築で、特別に復元されている営林局長室は、 映画「八甲田山」の撮影に使用されたとのことです。
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旧弘前市立図書館

明治39年(1906年)に市内の篤志家により建設されて市に寄贈された建物。 昭和5年(1930年)に民間に払い下げられましたが、平成元年(1989年)に市が再取得し、市立郷土文学館の施設として保存・一般公開されています。
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弘前城

江戸時代に建造された天守や櫓等が現存し、国の史跡に指定されている城。江戸時代には、弘前藩4万7千石の居城として津軽地方の中心でした。現在は弘前公園として整備され、桜の名所として全国的に有名です。
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津軽為信像

戦国時代から江戸時代前期にかけての武将で、陸奥弘前藩初代藩主。津軽為信が鷹岡(現在の弘前)に築城を開始して、それが弘前の街の始まり。津軽氏が代々弘前藩の藩主となり、明治維新まで続きました。
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第八師団司令部跡

第八師団は旧日本帝国陸軍の師団の一つで、弘前に司令部がありました。日露戦争に備えての雪中訓練を実施して遭難したのが八甲田山雪中行軍。司令部の跡地は現在、弘前大学農学生命科学部になっています。
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弘前歩兵第31連隊営門跡

八甲田山雪中行軍に参加したのは弘前歩兵第31連隊と青森歩兵第5連隊。 弘前歩兵第31連隊は、明治35年(1902年)1月20日にこの営門を出発し、 11泊12日の行程で37名が雪の八甲田山の踏破に成功しました。
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義経寺

青森県外ヶ浜町字三厩にある浄土宗のお寺で、源義経が北海道に落ち延びていく途中に立ち寄ったという伝説の地です。地名の三厩というのも、義経北行伝説にまつわるものです。  
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厩石

伝説によると、平泉を脱出後、蝦夷を目指してこの地に来た源義経は3頭の龍馬に助けられ、無事に蝦夷に渡ることができたとのことです。その3頭の龍馬の厩がこの岩で、三厩という地名の由来とも云われています。
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平沢第1露営地

青森歩兵第5連隊が駐屯地を出発したのが、明治35年(1902年)1月23日。当初の予定では1泊2日の行軍で、この日の宿泊予定地は田代温泉。しかし、悪化した天候のために行軍は難航し、やむなくこの地で露営することになりました。
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鳴沢第2露営地

八甲田山雪中行軍に挑んだ青森歩兵第5連隊の2日目の露営地。第1露営地からは直線にして僅か700m移動しただけの位置で、食料も凍結していて食べられず、ここで多くの将兵が凍死したとのことです。
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後藤伍長像

後藤房之助は宮城県出身で青森第5連隊の伍長として雪中行軍に参加。遭難4日目の1月27日午前10時頃、仮死状態で発見されました。この像は全国からの将校の寄付により制作されたものとのことです。
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中の森第3露営地跡

青森歩兵第5連隊が駐屯地を出発したのが、明治35年(1902年)1月23日午前6時55分。八甲田山に入って3日目の1月25日の露営地がこの付近。この時すでに、死者・行方不明者合わせて70名以上になっていたそうです。
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後藤伍長発見の地

青森歩兵第5連隊が駐屯地を出発したのが明治35年1月23日の早朝。その後、同連隊は雪の八甲田山中を彷徨して遭難。1月27日10時半頃、雪中に佇立している後藤伍長がここで発見されました。
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田茂木野

田茂木野は八甲田山に向かう途中にある村で、八甲田山雪中行軍を実施した青森歩兵第5連隊も通過したところです。遭難事故発生後、此処には遺体安置所が設置されました。
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遭難凍死者英霊塔

幸畑墓苑(旧幸畑陸軍墓地)の隣接地にある雪中行軍遭難者の慰霊塔。 遭難者の捜索には2匹のアイヌ犬が活躍しましたが、そのうちの1匹が 子犬を2匹出産し、「八甲」「ベンケイ」と名付けられ、狛犬となっています。
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幸畑陸軍墓地

八甲田山雪中行軍で遭難死した青森第5連隊の将兵199名の眠る墓地。明治8年(1875年)にこの地に陸軍墓地が造営され、青森第5連隊も八甲田山に向かう途中で、この墓地にお参りをしたそうです。
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青森歩兵第五連隊正門

青森歩兵第5連隊は、明治11年(1878年)5月1日にこの地に創立。日露戦争に備えての耐寒訓練を実施し、明治35年(1902年)1月23日午前6時55分にこの営門から八甲田山へと向かいました。そして深い雪の中で遭難して多くの犠牲者が出ました。
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