鬼鹿毛の墓

  鬼鹿毛は小栗判官伝説に登場する名馬で、種々様々な伝説がありますが、 荒馬だった鬼鹿毛を小栗判官が上手に乗りこなしたところは共通なようです。 藤沢遊行寺の長生院の小栗判官の傍に墓があります。  
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照手姫墓

  照手姫は、小栗判官伝説に登場する小栗判官の愛した美しい姫で、伝説 の中で小栗判官とともに数奇な運命をたどります。照手姫が晩年に住んだ という藤沢遊行寺の長生院に墓があります。  
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小栗判官墓

  小栗判官は小栗伝説の主人公ですが、常陸小栗氏の小栗満重や、その 子である小栗助重がそのモデルと云われています。神奈川県藤沢市にあ る遊行寺長生院に墓があります。  
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早雲寺

  足柄下郡箱根町湯本にあるお寺で、北条早雲の遺言により北条氏綱が建 立した後北条氏の菩提寺。境内には北条五代のお墓があります。小田原 合戦のときには、一時豊臣軍の本営が置かれたところでもあります。  
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花應院

  藤沢市西俣野にある、小栗判官伝説の伝わる曹洞宗のお寺。小栗判官を 蘇らせたのが、このお寺に安置されている閻魔大王だったそうで、また、 「小栗判官照手姫縁起絵巻」と「地獄変相十王図」が伝わっているそうです。  
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閻魔堂跡

  藤沢市西俣野の小栗判官伝説に関わる場所の一つで、小栗墓塔がありま す。かつてこの地にあった閻魔堂は天保11年(1840年)に焼失しましたが、 閻魔大王像は焼失を免れ、花応院に移されて安置されているそうです。  
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天海僧正髪塚

  天海僧正は、江戸時代初期に徳川家康の側近として活躍した天台宗の僧。 家光の代に、江戸城の鬼門にあたる忍岡に寛永寺を創建したのも天海僧正。 天海僧正は、実は明智光秀であったという興味深い異説もあります。  
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一幡袖塚

  鎌倉の妙本寺にある、焼け跡の中から僅かに見つかったという袖を祀る塚。 一幡は二代将軍源頼家の息子で、将来の将軍候補でしたが、北条氏の軍 勢に攻められて、屋敷のあったこの地で焼死したと伝わっています。  
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蛇苦止堂

  建仁3年(1203年)の比企の乱で、比企の娘の若狭局は井戸に投身自殺。 その後、文応元年(1260年)、北条政村の娘が若狭局の霊に祟られたので、 政村が若狭局を蛇苦止明神として、この蛇苦止堂に祀ったと伝わっています。  
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蛇苦止の井

  建仁3年(1203年)、北条氏の軍勢は比企館を急襲し、比企一族は滅亡。 その時、2代将軍頼家側室の若狭局は、家宝を抱えてこの井戸に投身。 若狭局は蛇身となり、今でも井戸の中で家宝を守っていると伝わっています。  
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モレル像

  エドモンド・モレルは、日本の鉄道開業に大きく貢献した英国人の鉄道技師。 日本の実情に即した鉄道建設を行い、日本鉄道の恩人と讃えられています。 明治4年に30歳で横浜で死去、鉄道開通は翌年の明治5年のことでした。  
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左女牛井戸跡

  左女牛井は京の名水の一つで、堀川五条のやや南に碑が建てられています。 この辺りは、源氏の本拠地で、源頼義・義家・為義・義朝・義経などが居を構え た六条堀川館があった所で、左女牛井はその邸内にあったとのことです。  
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前川家(壬生)

  文久3年(1863年)から2年間、新選組の屯所となった京都の壬生にある家 で、池田屋事件の端緒となった古高俊太郎の拷問はここの土蔵で行われた とのことです。現在は個人の住宅のため、内部は一般公開されていません。  
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八木家(壬生)

  文久3年春、江戸から京に入った浪士隊が宿営した京都壬生村の郷士の家。 その後分裂した浪士隊の一部が新撰組を結成し、この八木家を屯所としまし た。内部抗争で芹澤鴨が暗殺された部屋とその時の刀傷が残されています。  
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池田屋跡

  池田屋は、京都三条木屋町(三条小橋)にあった旅館で、池田屋事件の現場。 元治元年(1864年)6月5日、池田屋で会合をしていた長州藩・土佐藩などの 尊王攘夷派志士を、新選組が襲撃したのが池田屋事件です。  
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将門塚

  東京都千代田区大手町にある平将門の首を祀っている塚。伝承では、将門 の首級は平安京まで送られて都大路で晒されましたが、3日目に故郷に向か って飛んでゆき、数カ所に落ちたとされています。ここはその中の一つです。  
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神奈川運上所跡

  運上とは、現在の言葉で言うと税金のことで、運上所とは税関のこと。 しかし、当時は税関、外交、港湾などに関する総合的な役所でした。 神奈川県庁本庁舎敷地内に、神奈川運上所跡の碑が建っています。  
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英一番館跡

  横浜が開港したのは安政6年6月2日(1859年7月1日)のことで、開港と 同時に多くの外国商社が横浜に進出してきました。ここは居留地1番地で、 英国商社ジャーディン・マセソン商会横浜支店が店舗を構えたところです。  
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小諸城

  武田信玄の東信州経営のために縄張りされた城で、酔月城、穴城、白鶴城、 鍋蓋城、などの別名を持ち、日本100名城の28番に選定されています。 現在は、市営公園小諸城祉懐古園として整備されています。  
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上杉景勝屋敷跡

上杉景勝は上杉謙信を家祖とする米沢上杉家2代目で上杉宗家17代目。 上杉謙信の甥に当たり、長兄が早世したので長尾家の世子となりましたが、 永禄7年(1564年)に春日山城に入って謙信の養子となったとのことです。
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春日山城跡

春日山城は現在の新潟県上越市にあった山城で、上杉謙信の城として知られています。 「春日山」の名称は奈良の春日大社から分霊勧請した春日神社に由来する とのことですが、春日神社の創建年代は諸説あり、はっきりしていないそうです。
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直江山城守宅跡

直江兼続は戦国時代から江戸時代前期にかけての武将で上杉氏の家老。 永禄7年(1564年)に長尾政景が死去すると上杉輝虎(謙信)の養子となった 政景の子顕景(後の上杉景勝)に従って春日山城に入ったと伝わっています。
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春日山神社

春日山山腹に鎮座する神社で、米沢の上杉神社より分霊された上杉謙信命をお祀りしています。 明治20年(1887年)、祭神の遺徳を慕う旧高田藩士小川澄晴が発起し前島密らの援助を受けて、明治34年(1901年)に創祀されたとのことです。
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名胡桃城址

沼田氏が沼田城の支城として築城したとも、また、真田氏が沼田領侵攻のための前線基地として築城したとも云われている城です。 天正17年(1589年)に北条氏がこの城を奪取したことが小田原征伐の原因となりました。
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平八石

天正9年(1581年)3月、沼田平八郎景義は沼田を真田から奪還するため沼田へ攻め込みました。しかし、沼田城内にいた伯父の金子美濃守泰清の陰謀に 遭い殺害され、平八郎の首級は真田昌幸が実検の後、この石の上に置かれたとのことです。
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沼田城址

北関東の要衝の地にあり、軍事上の重要拠点として諸勢力の争奪戦の的となった城。 後北条氏滅亡後は大坂夏の陣の頃までは真田氏の本拠地となっていまし たが、現在は沼田公園として整備され市民に親しまれています。
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真田信之・小松姫像

群馬県沼田市の沼田城跡に建つ真田信之とその正妻である小松姫の像。 真田信之は真田昌幸の子、真田信繁の兄で、一時期沼田城主でした。 また、小松姫は本多忠勝の娘で才色兼備の女性だったと伝えられています。
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岩櫃城跡

岩櫃城は、現在の群馬県吾妻郡東吾妻町、岩櫃山の東側にあった城。 武田氏がこの地域を支配するようになると、武田家郡代として真田氏が城主となり、吾妻郡支配の中心的役割を担うようになっていったそうです。
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二宮尊徳像

二宮尊徳は江戸時代後期の経世家、農政家、思想家で、経世済民を目指 して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導しました。 明治24年(1891年)11月16日に従四位が追贈されています。   
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報徳二宮神社

二宮尊徳は報徳社を設立して農村の救済・教化運動を積極的に行い、 死後に従四位が贈られました。そして、尊徳を祀る神社創建の動きが起き、明治27年 (1894年)、尊徳の生地である小田原の小田原城址内に報徳二宮神社が建立されました。    
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摩利支天像空間

小田原城天守閣の耐震改修工事を機会に、天守閣の最上階に再現された摩利支天像を祀る空間。再現するにあたり、地元小田原市産材を使い、 地元小田原の職人さんや関連団体により事業が進められたそうです。
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二宮金治郎像(小田原駅)

二宮尊徳は、江戸時代後期の経世家、農政家、思想家で、通称は金治郎(金次郎と表記されることが多いとのこと)。 相模国足柄上郡栢山村(現在の小田原市栢山)に百姓二宮利右衛門の長男として生まれ、小田原では郷土の生んだ偉人として讃えられています。
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桜田門

江戸城の内堀にある門の一つで、国の重要文化財に指定されています。 安政7年(1860年)3月3日の雪の日、この門の近くで、大老井伊直弼が水戸浪士に襲撃され暗殺された事件(桜田門外の変)の現場として有名です。
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伊達政宗終焉の地

出羽国と陸奥国の戦国大名・伊達氏の第17代当主、仙台藩初代藩主の伊達政宗は、寛永13年(1636年)5月24日卯の刻(午前6時)、仙台藩桜田上屋敷(現在の日比谷公園)で亡くなりました。享年70(満68歳没)。
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日比谷見付跡

見附というのは、おもに城の外郭に設けられた城門のこと。日比谷見附跡は江戸城を囲む「江戸城36見附」の一つの日比谷御門があったところです。 現在は、日比谷公園の北東側角(有楽門)から入ったところに石垣が残されています。
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日比谷公園

東京都千代田区、江戸時代には大藩の上屋敷が置かれていた所にある公園。 明治4年(1871年)、日比谷・霞が関の旧武家地一帯に陸軍操練所が設置され、明治26年(1893年)に東京市が軍から払下げを受け、その跡地が日比谷公園となりました。
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数寄屋橋碑

数寄屋橋は寛永6年(1629年)に江戸城外濠に架けられた橋で、 昭和4年(1929年)に石造りの二連アーチ橋に架け替えられました。 その後、取り壊されて現存はしていませんが、地名が残されています。
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歌舞伎座

東京都中央区銀座四丁目にある歌舞伎専用の劇場で、かつては歌舞伎以外の催しも行われることもあったようですが、平成5年(1993年)以降は、「歌舞伎の本拠地」として原則通年で歌舞伎を興行しているとのことです。
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東京盲唖学校発祥の地

東京盲唖学校は明治後期に存在した官立の盲教育・聾唖教育機関。 明治21年(1888年)に築地にあった文部省直轄の訓盲唖院を改称して 設立され、ここで明治23年(1890年)に日本点字が創られたそうです。
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