テーマ:愛知

東照公えな塚

岡崎城天守閣の近くにある東照公のえな塚。この城で生まれた徳川家康のえな(胞衣・へその緒・胎盤)を埋めた塚で、もとは本丸南にあったものを、ここに(坂谷曲輪跡)移して記念としたとのことです。
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東照公産湯井

岡崎城の天守閣近くにある井戸。天文11年(1542年)12月26日 に岡崎城内で誕生した竹千代君(家康公)の産湯に、この井戸の水が用い られたとのことで、開運スポットにもなっているそうです。
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岡崎城

愛知県岡崎市にある徳川家康生誕の城で龍城とも呼ばれています。 家康はその後、浜松城、江戸城へと本拠地を移していきました。現在の天守閣は、昭和34年(1959年)に再建されたものです。
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芭蕉句碑(岡崎城)

岡崎城公園内、天守閣近くの龍城神社の脇にある松尾芭蕉の句碑。     「木のもとに 汁も鱠も 左久良哉」元禄3年(1690年)3月2日、伊賀で歌仙を開いた時の発句とのことです。 >
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沓掛城址

沓掛城は尾張国愛知郡沓掛(現・愛知県豊明市沓掛町)にあった城。永禄 3年(1560年)、桶狭間の戦いの前日に今川義元は2万5千の大軍を率いてこの城に入り、5月19日にここから桶狭間に向かって行ったとのことです。
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戦人塚

永禄3年(1560)5月19日の桶狭間の戦いでの戦死者(約2500人)を、 曹源寺2世快翁龍喜和尚が明窓宗印に命じて村人とともに各所に葬り引導焼香した塚の一つ。愛知県豊明市前後町にあります。
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今川義元・織田信長像

愛知県名古屋市の桶狭間古戦場公園にある今川義元と織田信長の像。 永禄3年(1560年)5月19日、おけはざま山の今川義元の本陣に奇襲 攻撃を仕掛けた織田信長軍は見事に今川義元を討ち取りました。
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井伊直盛陣地跡

永禄3年(1560年)の桶狭間合戦の際、井伊直虎の父である井伊直盛が今川軍の先陣として約1千で陣を張ったと伝わる処。今川軍は織田軍からの攻撃で総崩れになり、直盛もこの地で亡くなったとのことです。
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七ツ塚(桶狭間)

桶狭間の戦いで勝利を収めた織田信長は、村人に戦死者を葬るよう命じて引き揚げ、村人はこの辺りに七つの穴を掘り埋葬したと伝えられています。 桶狭間古戦場公園の北300m程の所に七つの塚の一つが現存しています。
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戦評の松

愛知県名古屋市緑区にある松の木。桶狭間の戦いにおいて義元の本陣の設営を終えた瀬名氏俊隊はこの大松の下で軍議を開いたといわれ、 戦評の松と呼ばれています。現在の松は3代目だそうです。
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瀬名氏俊陣所跡

愛知県名古屋市緑区にある瀬名氏俊の陣所跡。瀬名氏俊は今川義元の家臣で、永禄3年(1560年)5月19日の桶狭間の戦いでは、今川本隊の先発隊として偵察、桶狭間にて本隊の陣所の設営等を行ったとのことです。
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おけはざま山

愛知県名古屋市にある「おけはざま山」(今川義元本陣跡)の碑。織田信長軍はこの本陣に突撃し、桶狭間の戦いの主戦場になったとされる処です。そして今川義元は現在の古戦場公園辺りまで追い込まれて討ち取られたとのことです。
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田楽坪(桶狭間古戦場)

愛知県名古屋市緑区の田楽坪と呼ばれていたこの一帯は桶狭間の戦い の中心地であり、おけはざま山の本陣から追われた今川義元が打ち取られ た最期の地と言われています。現在は桶狭間古戦場公園となっています。
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今川義元戦死の地(名古屋市)

愛知県名古屋市緑区の桶狭間古戦場公園にある「今川義元戦死之地」碑と今川義元の墓碑。おけはざま山の本陣から追われた今川義元が、 服部小平太と毛利新介によって討ち取られた最期の地と言われています。
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松井宗信墓

松井宗信は戦国時代の武将で今川氏の家臣。二俣城主として今川氏の最盛期に貢献し、桶狭間の戦いでは主君を守るため壮絶な戦いを繰り広げて戦死。桶狭間の古戦場、愛知県豊明市の高徳院境内に墓があります。
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桶狭間古戦場(豊明市)

愛知県豊明市に伝わる桶狭間古戦場。大軍を率いて尾張に侵攻した駿河の今川義元の本陣を織田信長が少数の軍勢で強襲 し、見事に義元を討ち取り今川軍を退却させた歴史上有名な戦いの跡です。
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今川義元墓(豊明市)

愛知県豊明市の桶狭間古戦場にある今川義元の墓。永禄3年5月19日 (1560年6月12日)今川義元は桶狭間山で休息中に織田信長の攻撃を 受け、織田家家臣・毛利良勝に首級を奪われました。享年42歳。
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今川総介義元戦死所

愛知県豊明市の「桶狭間古戦場伝説地」にある七石表の1号碑。今川義元が討ち取られた処とされ、古戦場伝説地の中で一番古い史跡で、明和8年 (1771年)に尾張藩士人見弥衛門・赤林孫七郎により建立されたそうです。
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今川義元本陣跡

愛知県豊明市の高徳院境内にある今川義元公本陣跡の碑。永禄3年5月 19日(1560年6月12日)に尾張国桶狭間で行われた合戦で、今川義元が本陣をおいたと伝えられている場所です。
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徳川家康像(しかみ像)

この像は「しかみ像」と呼ばれる肖像画をもとにつくられた石像です。 徳川家康は三方ケ原の戦いで武田信玄に惨敗したとき、自戒の念を 忘れることのないように「しかみ像」を描かせたと云われています。
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松平元康像

松平元康は松平広忠の嫡男として岡崎城で生まれた後の徳川家康。 人質として身を寄せていた駿府で元服し、今川義元の元の字を賜り 次郎三郎元信と名乗りましたが、さらにまた蔵人左元康と改めました。
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徳川家康像(岡崎城)

徳川家康は松平広忠の嫡男として天文11年(1542年)岡崎城で誕生。 6歳の時、人質として駿府に送られたために岡崎城を離れましたが、 桶狭間の戦いで今川義元が討たれた直後に、岡崎城に戻りました。
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本田平八郎忠勝像

本田平八郎忠勝は徳川家康の家臣で、徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑の一人。 家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本田平八郎とまで言われた程。 槍の使い手で、空を飛ぶトンボを切るほどであったと伝わっています。
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熱田神宮

三種の神器の一つである草薙剣を祀る名古屋市熱田区にある神社で、伊勢神宮に次いで権威のある神社とされています。 かつては、伊勢湾に突き出ていた岬上に位置していたとのことです。
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那古野城跡

現在の名古屋城のある処に今川氏親が築城した城で、 織田信秀がこの城を奪い古渡城に移るまでの居城としていたとのことです。また、 織田信長はここで生まれて清須に移るまで、ここを居城としていたそうです。
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藩訓秘伝の碑

名古屋城の二の丸跡にある「王命に依って催さる事」と刻まれた碑。 この言葉は、初代藩主徳川義直の「軍書合鑑」の中にある一項の題目で、 勤王の精神について述べているそうです。
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青松葉事件之遺跡

青松葉事件は、慶應4年(1868年)に名古屋城内で起きた事件。 第14代藩主徳川慶勝の命令により、14名の佐幕派藩士が斬首されました。 処刑された一人の渡辺在綱の家が「青松葉の渡辺」と云われていたそうです。
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清正公石曳きの像

加藤清正は秀吉子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍にも数えられている武将。 関ヶ原の戦いでは徳川方につき、その功により熊本藩主となりました。また、 慶長15年(1610年)の名古屋城の普請にあたっても大きな貢献をしました。
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名古屋城

姫路城、熊本城とともに日本三名城に数えられている城で「尾張名古屋は 城で持つ」といわれています。織田信長誕生の城と云われる那古野城跡に徳川家康が築城しました。現在、本丸御殿の復元工事中です。
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織田信長と濃姫像

清洲公園内にあり、夫婦円満、必勝祈願等のパワースポットになっているとのことです。 織田信長の像は桶狭間出陣の時の様子を表し、桶狭間の方を向いています。 また、濃姫の像は、平成24年(2012年)に天守閣近くからここに移設されてきたそうです。
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