テーマ:愛知

徳川家康像(しかみ像)

この像は「しかみ像」と呼ばれる肖像画をもとにつくられた石像です。 徳川家康は三方ケ原の戦いで武田信玄に惨敗したとき、自戒の念を 忘れることのないように「しかみ像」を描かせたと云われています。
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松平元康像

松平元康は松平広忠の嫡男として岡崎城で生まれた後の徳川家康。 人質として身を寄せていた駿府で元服し、今川義元の元の字を賜り 次郎三郎元信と名乗りましたが、さらにまた蔵人左元康と改めました。
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徳川家康像(岡崎城)

徳川家康は松平広忠の嫡男として天文11年(1542年)岡崎城で誕生。 6歳の時、人質として駿府に送られたために岡崎城を離れましたが、 桶狭間の戦いで今川義元が討たれた直後に、岡崎城に戻りました。
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本田平八郎忠勝像

本田平八郎忠勝は徳川家康の家臣で、徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑の一人。 家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本田平八郎とまで言われた程。 槍の使い手で、空を飛ぶトンボを切るほどであったと伝わっています。
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熱田神宮

三種の神器の一つである草薙剣を祀る名古屋市熱田区にある神社で、伊勢神宮に次いで権威のある神社とされています。 かつては、伊勢湾に突き出ていた岬上に位置していたとのことです。
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那古野城跡

現在の名古屋城のある処に今川氏親が築城した城で、 織田信秀がこの城を奪い古渡城に移るまでの居城としていたとのことです。また、 織田信長はここで生まれて清須に移るまで、ここを居城としていたそうです。
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藩訓秘伝の碑

名古屋城の二の丸跡にある「王命に依って催さる事」と刻まれた碑。 この言葉は、初代藩主徳川義直の「軍書合鑑」の中にある一項の題目で、 勤王の精神について述べているそうです。
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清正公石曳きの像

加藤清正は秀吉子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍にも数えられている武将。 関ヶ原の戦いでは徳川方につき、その功により熊本藩主となりました。また、 慶長15年(1610年)の名古屋城の普請にあたっても大きな貢献をしました。
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名古屋城

姫路城、熊本城とともに日本三名城に数えられている城で「尾張名古屋は 城で持つ」といわれています。織田信長誕生の城と云われる那古野城跡に徳川家康が築城しました。現在、本丸御殿の復元工事中です。
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織田信長と濃姫像

清洲公園内にあり、夫婦円満、必勝祈願等のパワースポットになっているとのことです。 織田信長の像は桶狭間出陣の時の様子を表し、桶狭間の方を向いています。 また、濃姫の像は、平成24年(2012年)に天守閣近くからここに移設されてきたそうです。
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清洲城

織田信長の初期のころの居城で、桶狭間の戦いもこの城から出陣しました。 本能寺の変の後、清須会議が開かれた場所としても知られています。また、 小牧長久手の戦いの時は織田信雄の居城でした。
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小牧山城

織田信長が桶狭間の戦いの後、美濃攻略の拠点として築城した城。美濃攻略 後、信長が岐阜に本拠地を移すと小牧山城は廃城となりましたが、小牧長久手 の戦いでは、徳川家康の本陣として重要な役割を果たしました。
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二重堀砦跡

小牧長久手合戦の折、秀吉方が築いたとされる砦の跡。 徳川方の小牧山に対する最前線の砦で、日根野備中守弘就が布陣。 現在は砦の遺構などは全くなく、小さな祠と碑があるのみです。
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岩崎山砦跡

岩崎山砦は天正12年(1584年)の小牧長久手の戦いの時に築かれた秀吉方の砦。 徳川、織田連合軍の拠点である小牧山を望むことができる最前線の砦で、 稲葉一鉄が4千の兵を率いて布陣したと伝わっています。
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楽田城跡

楽田城は犬山城と小牧城のほぼ真ん中にある平城。小牧長久手の戦いの際には羽柴秀吉も入り、羽柴軍の拠点となった城です。また、天守が つくられたことが記録に残る最古の城だそうです。
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羽黒古戦場

小牧長久手合戦の緒戦になったのが羽黒(八幡林)の戦い。 岳父の池田恒興とともに秀吉方についた森長可は3千の兵力で羽黒に出陣。 徳川方の酒井忠次等の5千の軍がこの森軍を攻撃して敗走させました。
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野呂塚

天正12年(1584年)の小牧長久手合戦の始まりとなった古戦場。 南下してきた羽柴方・森長可勢と北上してきた徳川方・酒井忠次勢が戦い、 森勢は敗走、その時、森勢の野呂助左衛門が討死をしたのがこの場所とのことです。
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薩摩義士の碑

宝暦3年(1753年)、徳川幕府は木曽川の治水工事を薩摩藩に命じました。 薩摩藩家老の平田靱負が指揮を取りましたが、幕府役人の妨害にもあい工事は難航。工事完成後に平田靱負は切腹、義士として讃えられています。
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中川清蔵主の碑

天正12年(1584年)、池田恒興が突如犬山城を攻撃し、これが小牧長久手合戦の発端となりました。 犬山城は落城し留守を預かっていた中川清蔵主は討死。 その討死をした所に榎が植えられて榎塚と呼ばれるようになったそうです。
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犬山城

木曽川沿いの高さ約88mの丘の上に築かれた城で別名は白帝城。現存 天守12城の1つで、天守閣は国宝にもなっています。小牧長久手の戦いはこの城の争奪戦から始まりました。
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木下勘解由塚

長久手の戦いでの羽柴軍の総大将は三好信吉(後の豊臣秀次)。羽柴軍はこの戦いで敗れ、三好信吉も馬を失い徒歩で敗走しました。 この時、自分の馬を信吉に譲り自らは討死したのが木下勘解由利匡です。
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堀久太郎秀政本陣地跡

長久手の戦いで秀吉方の武将、堀秀政が本陣をおいたとされる場所。 堀秀政は小牧長久手の戦いに軍艦として進軍、桧ヶ根の戦いで徳川方の榊原康政軍を撃退し、これが秀吉方の唯一の勝利となりました。
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首塚(長久手)

羽柴軍が徳川軍の後方を突こうとして発生したのが長久手の戦い。 この戦いでは多くの戦死者が出ましたが、安昌寺の雲山和尚は村人たちと ともに、野晒しにされた多くの亡骸をこの地に集め手厚く葬ったとのことです。
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長久手城跡

長久手城は戦国期には徳川方の加藤氏の居城でした。小牧長久手の戦いの際には、城主加藤忠景は岩崎城の戦いに参戦し討死。長久手城は城主 の弟である氏重が守備するも焼失、後に廃城となりました。
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加藤太郎右衛門忠景宅の碑

加藤太郎右衛門忠景は小牧長久手合戦当時の長久手城主。 忠景は岩崎城主の丹羽氏次の姉を妻としていて、長久手合戦の際には 岩崎城の守備に入り、羽柴方軍の攻撃により岩崎城が落城した際に討死しました。
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鞍掛の松

長久手の合戦の際、武将たちがこの付近にあった池で血に染まった刀や槍を洗ったそうです。そのため、池の水が血で赤くなりその池は血の池と呼ばれたそうです。また、 血の付いた刀や槍を洗う際、この松に鎧を掛けたと伝わっています。
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武蔵塚

森長可は森武蔵守長可と自称し、その秀でた武勇から鬼武蔵と称されていました。 小牧長久手の戦いでは義父の池田恒興(勝入)とともに秀吉方として参戦。 徳川方の背後を突く作戦に出ましたが失敗し長久手で戦死しました。
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庄九郎塚

庄九郎とは池田恒興(勝入)の長男である池田之助の幼名。 池田之助は父の池田恒興(勝入)とともに小牧長久手の戦いに参加し、徳川方の背後を突こうとしましたが、その作戦が失敗し長久手のこの地で討死しました。
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池田勝入塚

池田恒興は通称勝三郎、晩年に入道して勝入と号した戦国時代の武将。 小牧長久手の戦いでは秀吉方として参戦し、 徳川方の背後を突く作戦に出ましたが失敗して長久手のこの地で討死をしました。
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長久手古戦場碑

天正12年(1584年)に、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄の間で戦いが発生。 両軍は小牧付近で睨みあいを続けましたが、その中で秀吉軍が徳川軍の背後 を突こうとして発生したのが長久手の戦い。長久手の戦いは徳川軍の圧勝で終わりました。
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