テーマ:千葉

戸定邸

千葉県松戸市松戸にある水戸藩最後の藩主、徳川昭武が造った別邸。国の重要文化財で、重要文化財指定名称は旧徳川家住宅松戸戸定邸。現在は松戸市に寄贈され、「戸定が丘歴史公園」として整備されています。
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亥鼻城跡

千葉常重が大治元年(1126年)に現在の千葉市に築城した城。城跡は明治42年(1909年)以降公園として開放され、昭和34年(1988年)に歴史公園「亥鼻公園」として整備されて、模擬天守閣が建てられています。
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千葉常胤像

千葉常胤は平安時代末期から鎌倉時代前期の武将で千葉家中興の祖。安房に上陸した源頼朝が鎌倉に向かう途中の9月17日に、千葉常胤は一族300騎を率いて下総国府に赴き、頼朝に参陣したと伝えられています。
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君待橋之碑

冶承4年(1080年)、千葉常胤一族が源頼朝をこの橋の袂に出迎えたことが「 君待橋」という名前の由来の一つになっているそうです。現在の「君待橋」はここから北方約200mの都川に架けられています。
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白幡神社

治承4年(1180年)9月17日、源頼朝が千葉城の城主千葉常胤に味方するように求めた際、結城稲荷の境内に源氏の白旗をたてて奉納したとのこと。それ以降白旗大明神と称し、明治に至って白幡神社と社号を改めたそうです。
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大蘇鉄(日本寺)

千葉県鋸南町の日本寺境内にある頼朝の手植えと伝えられている蘇鉄。石橋山の戦いに敗れた源頼朝は房州に逃れ再起を図った折に、日本寺で武運を祈願して自ら蘇鉄を手植えしたと伝わっています。
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頼朝上陸地

伊豆の蛭ヶ小島で挙兵した源頼朝は石橋山の合戦で敗れ、真鶴岬から小船で安房国へ逃れました。頼朝が安房に上陸したのは治承4年(1180年)8月29日と伝えられていて、上陸地点は現在の竜島付近とされています。
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里見城跡

豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼした直後の天正19年(1591年)頃、里見義康は居城を館山城へ移し、館山湾に面した新井浦を港として城下町を建設。この城下町が現在の館山市街地の原形となっているそうです。
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館山城

千葉県館山市館山にあった里見義頼によって築城されたとされる城。現在建つ天守は、昭和57年(1982年)に丸岡城を模して再建された模擬天守閣で、館山市立博物館分館(八犬伝博物館)として利用されています。
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洲崎神社(館山)

千葉県館山市洲崎に鎮座し江戸時代に安房国一宮とされた神社。治承4年(1180年)、安房に逃れた源頼朝は、上総介及び千葉介へ参上を要請する使者を送り、洲崎神社へ参拝して交渉の成功を祈願したそうです。
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経塚(下立松原神社)

千葉県南房総市千倉町牧田に鎮座する下立松原神社の境内にある経塚。源頼朝が自ら書写し奉納したと伝わる大般若経600巻が、江戸時代中期の明和9年(1772年)に経塚に納められたとのことです。
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下立松原神社

千葉県南房総市千倉町に鎮座する神武天皇元年の創建と伝えられる神社。「義経記」によると石橋山の合戦に敗れた源頼朝は安房に逃げのび、まず、洲崎神社に参拝した後、瀧口大明神(当社)で一夜を明かしたとのことです。
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仁右衛門島

千葉県鴨川市太海の沖合約200mにある周囲約4kmの個人所有の島。石橋山の戦いに敗れた源頼朝が安房に逃れた際、平野仁右衛門に助けられ、この島で平家軍から一時身を隠し巻き返しを図ったと伝えられています。
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頼朝隠れ穴

千葉県鴨川市太海の仁右衛門島内にある源頼朝が隠れたと伝わる洞窟。石橋山の戦で大敗した源頼朝は九死に一生を得て安房の国に逃れてきましたが、平野仁右衛門に助けられ、この島に一時身を隠していたとのことです。
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神楽岩

日蓮聖人が青年時代に清澄山の清澄寺で修行中に仁右衛門島に来て、島の東側にあるこの場所で朝日を拝んだと伝えられるところです。その後の建長5年(1253年)、島主の平野家は法華宗に改宗したそうです。
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一戦場

千葉県鴨川市にある古戦場で、現在は魚見塚一戦場公園になっています。石橋山合戦で敗れた源頼朝が安房に逃れて来たあと、この場所で地元の豪族との戦いに勝ち、天下取りの足掛かりを作ったと伝わっている場所です。
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硯山長福寺

千葉県いすみ市に所在する大同2 年(807年) 伝教大師の建立と伝わる古刹。房総に逃れてきた源頼朝が、平家追討の書状を当寺でしたためた時、差し出された硯が素晴らしかったので「硯山」の山号を付けたとも伝えられています。
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筆掛けの槇

千葉県いすみ市の硯山長福寺にある源頼朝伝説にまつわる槇の古木。頼朝がこの寺で書状を認めていた折、近くで馬のいななきが聞こえ、平家の追手と考えた頼朝は手にしていた筆をこの槇の枝に掛けたと伝わっています。
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玉前神社

千葉県長生郡一宮町に鎮座し、ご祭神を玉依姫命とする神社で上総国一宮。玉依姫命が海からこの地に上がり、豊玉姫命から託された鵜葺草葺不合命を養育し、後に鵜葺草葺不合命と結婚して神武天皇らを産んだとされています。
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小林一茶寄寓の地

現在は「一茶双樹記念館」となっている千葉県流山市にある古商家。漂泊の俳人・小林一茶は流山の商家・秋元三左衛門(俳号・双樹)のもとを度々訪れたことから、流山は一茶の第二のふるさとともいわれています。
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近藤勇陣屋跡

甲州勝沼の戦いで敗れた近藤勇が会津を目指す途中で陣を布いたところ。しかし官軍に包囲され、流山の街を兵火に巻き込むことを嫌った近藤勇はここで自首し、吟味を受けた後、板橋の刑場で処刑されました。
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