テーマ:頼政挙兵

頼政道

平家打倒の挙兵に失敗した源頼政が再起を図るために近江の三井寺から奈良へと逃れようとして、以仁王と兵50余騎とともに通った道が頼政道。京都市伏見区の醍醐寺裏手の長尾天満宮参道の傍らに碑があります。
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宇治橋

宇治橋は京都府宇治市の宇治川に架かる橋で、大化2年(646年)に初めて架けられたという伝承があり、日本三古橋の一つに数えられています。治承4年(1180年)5月26日、源頼政と平家の間で橋合戦が行われました。
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宇治川

琵琶湖から流れ出て大阪湾に注ぐ川で、琵琶湖から流れ出た付近では瀬田川と呼ばれ、京都府内では宇治川と名を変え、さらに、大山崎町で桂川・木津川と合流し、この合流地点より下流は淀川と呼ばれています。
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源頼政墓

源頼政は平安時代末期の武将で、平氏の専横に不満が高まる中、以仁王と結んで平氏打倒の挙兵を計画しました。しかし、事が露見し準備不足のまま挙兵。平氏の追討から逃れる途中、宇治平等院の戦いに敗れ自害しました。
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太敬庵通圓墓

太敬庵通圓は古川右内という源頼政の家臣で、武術に優れた武士でした。源頼政が平家に対して反旗を翻したとき、主君頼政のもとに馳せ参じ、主君とともに宇治橋の合戦で平家の軍と戦い、討ち死にを遂げています。
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平等院

源氏物語の舞台でもあった現在の宇治市にある藤原氏所縁のお寺で、「古都京都の文化財」として、世界文化遺産にも登録されています。鳳凰堂は平安時代後期の建造物で、10円玉のデザインになっています。
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扇の芝

治承4年(1180年)、源頼政と以仁王は平家打倒を企てましたが失敗。宇治橋の戦いで敗れ、源頼政は平等院で腹を切り最期を遂げました。平等院境内にある扇の芝が、源頼政が腹を切った場所とされています。
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以仁王墓

以仁王は後白河天皇の第三皇子でしたが、治承4年(1180年)4月、平氏討伐を決意、挙兵を促す令旨を全国の源氏に発しました。しかし、決起前に事が露見し、奈良に逃れる途中、南山城で戦死しました。
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高倉宮跡

後白河院の第3皇子でありながら不遇の身であった以仁王の御所の跡。三条高倉にあったことから高倉宮と呼ばれていたということで、ここから平家追討の令旨が各地の源氏に発せられ、源平の争乱が始まりました。    
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