テーマ:兵庫

天空の白鷺

姫路城は平成21年(2009年)6月から平成27年(2015年)3月までの工期 で平成の修理が行われ、工期中は「天空の白鷺」と名付けられた大天守を覆っ ている素屋根の施設から大天守上層部の修復作業の見学ができました。
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お菊井戸

姫路城の本丸下の「上山里」と呼ばれる一角にある「お菊井戸」。 姫路城第9代城主小寺則職の代に起きたお家騒動の犠牲になったのが お菊で、それが元になり、様々な「皿屋敷」の物語ができたそうです。
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円教寺

兵庫県姫路市の書写山にあるお寺で、天台宗の別格本山。 西国三十三所のうち最大規模の寺院で、「西の比叡山」と呼ばれるほど寺格は高く、中世には、比叡山、大山とともに天台宗の三大道場と称されました。
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楠木正成戦没地

楠木正成は後醍醐天皇の忠臣で、建武の新政に大きく貢献した武将。太平記に拠れば、湊川の戦いで敗れた正成は、弟正季と共に「七生」を誓い、現在の湊川神社の北にある廣厳寺の塔頭で、共に自害したとされています。
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楠木正成公墓所

楠木正成は延元元年(1336年)5月25日、湊川の戦いに敗れて自害。湊川神社(明治5年創建)の境内にある墓所には、元禄5年(1692年)、徳川光圀によって、墓碑「嗚呼忠臣楠子之墓」が建立されました。
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旧湊川跡

建武3年(1336年)5月25日、摂津国湊川で、九州から東上して来た足利尊氏・足利直義兄弟らの軍と、これを迎え撃った後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成の軍との間で合戦が行われました。
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大楠公像(湊川)

楠木正成は河内金剛山の西、南河内郡千早赤阪村に居館を構えていたと云われる武将で、建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に活躍しました。足利尊氏の反抗後は、湊川の戦いで尊氏の軍に破れて自害しました。
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願成寺

神戸市兵庫区にある浄土宗のお寺で、平安後期、衰退していた観音寺を法然上人の弟子住蓮坊が中興して、願成寺と称したとのことです。住蓮は世に有名な承元の法難で、近江で斬罪に処せられました。
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平業盛之塚

神戸市兵庫区の善光寺境内にある平業盛の塚。平業盛は清盛の弟の平教盛の三男で、通盛、教経、忠快らは兄弟。一ノ谷の戦いにおいて、源範頼の軍の手にかかり討死にをしました。
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会下山

神戸市兵庫区にある長田区との区境に隣接する標高80~85mの山。建武3年(1336年)、湊川の戦いでは、楠木正成がここに本陣を置いて僅か数百名の手勢で数万の足利軍を迎え撃ったことで知られています。
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厳島神社(兵庫)

兵庫県神戸市兵庫区永沢町に鎮座する神社で、治承4年(1180年)の創建。平清盛によって兵庫津の発展と住民の繁栄を析廟し、平家一門の氏神である安芸国厳島神社を勧請して、この地に創建されたと伝えられています。
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久遠寺

神戸市兵庫区にある法華宗のお寺ですが、平清盛の経ヶ島築造の頃、このあたりが浜辺であったことから「浜の寺」とも呼ばれているそうです。この場所には当時、別な「築島寺」と呼ばれる寺があったとも伝わっています。
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恵林寺

神戸市兵庫区にあるお寺で、境内にはかつて弁財天の社があったとのこと。平清盛が経が島築造の際に人柱を用いてようやく成就しましたが、その後、7ヶ所に弁財天を建てた中の北の端の社がここあったと伝わっています。
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済鱗寺

治承4年(1180年)の福原遷都の際、平清盛が安芸国厳島神社を福原京の周りの七つの地に勧請し、それが七弁天と呼ばれたとのことです。七弁天の中の一つである「べんきょう弁天」がこのお寺の境内にあります。
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鎮守稲荷神社

神戸市兵庫区西出町にあり「ちぢみさん」の愛称で親しまれている神社。創建については不明だそうですが、平清盛が兵庫津の整備を進めるにあたり、工事の安全を祈願して創建したという説もあるとのことです。
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平経俊塚

神戸市兵庫区の鎮守稲荷神社の境内にある平経俊を供養する五輪塔。平経俊は平清盛の異母弟である平経盛の子で、経正、敦盛らは兄弟。平知盛の指揮下で生田の森で源氏軍と対戦し、奮戦の末に討死にしました。
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高田屋嘉兵衛本店の地

神戸市兵庫区西出町にある高田屋嘉兵衛の本店があったとされる推定地。淡路島から来住した嘉兵衛は、 当地で船乗りとしての頭角をあらわし、嘉兵衛が引退する文政五年(1822年)まで、本店が置かれていたとのことです。
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七宮神社

神戸市兵庫区七宮町に鎮座する神社で、生田裔神八社の一社。平清盛の経ヶ島築造の際、塩槌山に住む神が怒って暴風雨を起こすことが判り、神社を七宮町に移築し祀ったところ、無事築造できたと伝わっています。
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松王小児入海之碑

神戸市兵庫区島上町の来迎寺(築島寺)の境内にある碑。平清盛が経が島を築くとき、暴風大波のために工事が進まず、清盛の児童であった17歳になる松王丸が進んで人柱になり完成したと伝わっています。
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妓王妓女の塔

神戸市兵庫区の来迎寺(築島寺)の境内にある妓王妓女の塔。妓王と妓女は姉妹の白拍子で平清盛に大変寵愛されましたが、平家滅亡後、嵯峨野から兵庫に移り住み、平家の菩提を弔ったと伝わっています。
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金光寺

兵庫県神戸市兵庫区にある高野山真言宗のお寺で、通称は「兵庫やくし」。平清盛が福原に運河の開鑿を行おうとした際、兵庫大輪田の海中から黄金の薬師如来像が出現したので、大伽藍を建立したのが金光寺とのことです。
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平相國廟

神戸市兵庫区にある能福寺の境内にある平清盛の墓。平清盛は養和元年(1181年)、閏2月4日に京で死去、享年64歳。能福寺は平清盛が出家した寺と伝えられ、平家一門の祈願寺でした。
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瀧善三郎正信碑

神戸市兵庫区の能福寺にある瀧善三郎正信の供養碑。滝善三郎正信は幕末の備前岡山藩士で、神戸事件の責を一身に背負い、永福寺において外国人検視7名を含む列席が見守る中で切腹しました。
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一遍上人墓

神戸市兵庫区の真光寺の境内に一遍上人の御廟所があります。一遍上人は鎌倉時代中期の時宗開祖の僧侶で、文永11年(1274年)に遊行を開始し、15年半後に兵庫津の観音堂(後の真光寺)で没しました。
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楠公供養石

神戸市兵庫区の阿弥陀寺の境内にある大きな石。延元元年(1336年)の湊川合戦の際、魚の御堂(所在地不詳)に本陣を置いた足利尊氏らが、戦いに敗れた楠木正成の首を置いて首実検した石だと伝わっています。
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清盛塚

高さ約8.5mの十三重の石塔で、大正12年(1923年)の調査では遺骨は発見されず、墓ではなく供養塔であることが判明したとのことです。石塔の隣には平清盛像と、平経正に因んだ「琵琶塚」碑が建てられています。
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琵琶塚 平清盛像

琵琶塚はもとは前方後円式の古墳石でしたが、平敦盛の兄で琵琶の名手であった平経正に結びつけて琵琶塚(経正塚)と呼ばれるようになったそうです。琵琶塚の横には平清盛像が建てられています。
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萱の御所跡

神戸市兵庫区の薬仙寺境内にある「萱の御所跡」の碑。平清盛が対立を深めていた後白河法皇を幽閉したのが萱の御所だそうで、文覚上人が忍びこみ、法皇から平家追討の院宣を得たとの説もあります。
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霊泉

神戸市兵庫区の薬仙寺境内にある「薬仙寺」の名の由来ともなった霊泉。建武年間(1334年~1337年)に後醍醐天皇が隠岐島より帰京の途次に病気となり、この霊泉で薬を調進すると忽ち平癒されたと伝えられています。
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三石神社

神戸市兵庫区に鎮座し、神功皇后・天照皇大神・素盞嗚大神をご祭神とする神社。602年に推古天皇がこの地を訪れて禊を行った際に、玉座とした石を三石と呼び、天平時代にその旧跡に祠を立てたのが三石神社の始りとのことです。
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