テーマ:静岡

足柄峠

足柄峠は駿河国(現静岡県)と相模国(現神奈川県)との国境にある峠で、 かつてはここを足柄坂と呼び、ここより東を坂東と称していたとのことです。 現在は景勝地として観光客が訪れ、富士山の景色を楽しむことができます。
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足柄之関跡

足柄の関は当時の官道・公道として利用されていた足柄峠に、昌泰2年 (899年)、出没する強盗団等を取り締まるために設けられたそうです。 黒沢明監督の映画「乱」で使われた城門のセットが伝承地へ移築されています。
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首供養塚

静岡県と神奈川県の県境にある足柄峠にある首供養塚。 ここは以前、足柄の関所があった所で、凶悪な盗賊や関所破りをした人達 を処刑し「さらし首」にした場所で、のちに供養塔を建て弔ったとのことです。
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足柄城址

現在の神奈川県と静岡県の境界にある旧東海道の足柄古道、足柄峠付近に あった山城。天文5年(1536年)、北条氏綱による築城だそうですが定かでは ないとのこと。天正18年(1590年)の小田原征伐の時に落城しています。
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竹之下合戦供養塔

現在の静岡県小山町竹之下周辺で、建武2年(1336年)12月11日に、 足利尊氏勢と新田義貞勢の間で、所謂竹之下合戦が行なわれました。 竹之下字堀之内の興雲寺の境内には戦没者の供養塔があります。
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爪切り地蔵

静岡県駿東郡小山町竹之下の興雲寺からやや北、道路際にあるお地蔵様。 金太郎の母親八重桐が視力快復のため、箱根の姥子温泉に湯治に行き 全快をしたので、お礼の意味で金太郎が爪で彫ったものと伝えられています。
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二条為冬墓

二条為冬は藤原定家のひ孫、歌道二条派の祖二条為氏の孫にあたり 歌道の継承者でしたが、所謂公家大将として箱根・竹之下の戦いに参戦。 戦いは敗れ、自害した二条為冬の墓が竹之下の白旗神社境内にあります。
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源頼朝・北条政子の腰掛石

三嶋大社の境内にある源頼朝・北条政子腰掛石と呼ばれている石。治承4年(1180年)5月、源頼朝が平家追討の心願をこめて百日の日参をした時に、この石に腰をかけて休憩したと伝えられているそうです。
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厳島神社(三嶋大社)

三嶋神社の境内にある神池中の島に鎮座する神社で、ご祭神は市杵嶋姫命。北条政子が勧請したと伝えられていて、家門繁栄、商売繁盛、安産、裁縫等の守護神として広く信仰されているそうです。
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安達藤九郎盛長警護の松

治承4年(1180年)、源頼朝が源家再興の祈願の為、百日間毎晩蛭島より三嶋大社に日参するに際し、従者盛長がここで警護したと伝えられています。現在は黒松と赤松が一つの根から生え出た「相生松」が植えられています。
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源頼朝旗挙げの碑

源頼朝が旗挙げをしたのは治承4年(1180年)8月17日のこと。この日は三島大社の祭礼があり、山木館が手薄になるので、頼朝はこの祭礼の日に合わせて山木兼隆を夜討ちしたとも伝わってます。
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大泉寺

静岡県沼津市にある曹洞宗のお寺で、阿野全成の館跡でもあります。阿野全成の幼名は今若で、牛若(源義経)の同母兄にあたり、源平の争乱後に駿河の阿野荘を賜って阿野全成と呼ばれるようになったそうです。    
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竹採公園

静岡県富士市にある日本最古の小説といわれる竹取物語に因む公園。かぐや姫はここで生まれ育ち、ここから天へ帰ったとか富士山に帰ったとか。公園内では竹取物語に関連する幾つかの場所を見ることができます。
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平家越え

治承4年(1180年)の富士川の合戦の際、富士沼の水鳥が群れ立つ羽音に驚いた平氏は源氏の襲来かと思い、慌てて逃げ去ったとのことです。その場所がこの付近と伝えられていて、和田川の畔に碑が建てられています。
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呼子坂

治承4年10月20日(1180年11月9日)の富士川の合戦に際し、源頼朝率いる源氏の軍勢がこの付近の高台一帯に陣を敷き、ここで呼子を吹いて軍勢を集めたことから、この呼び名が付けられたと伝えられています。
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源太坂

寿永3年(1184年)、木曽義仲追討の源氏軍がこの付近に留まったとき、梶原源太景季と佐々木四郎高綱が頼朝から拝領した生食(池月)、摺墨の名馬をめぐって争いになろうとした場所と伝えられています。
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善得寺城跡

  善得寺は現在の静岡県富士市にあった臨済宗の大寺院。太原雪斎の呼び かけにより、甲相駿三国同盟の実現した場所として有名です。善得寺城は、 善得寺に併設されていた城郭だったそうです。  
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弥次喜多像

お江戸は神田八丁堀の住人、栃面屋弥次郎兵衛と居候の喜多八が東海道を江戸から上方へと旅をするのが『東海道中膝栗毛』。主人公の弥次さんと喜多さんの像が、駿府城のお堀端にあります。
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富士川

一級水系富士川の本流であり、日本三大急流の一つに数えられている川。治承4年(1180年)に源頼朝と平維盛が戦い、水鳥の羽音に驚いた平家軍が敗走した、富士川の合戦が行われた場所としても知られています。
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二俣城

遠江国豊田郡二俣(現在の静岡県浜松市天竜区二俣町)にあった山城。武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げ、また、家康の嫡男信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られています。
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梶原景時一族供養碑

静岡県静岡市清水区の高源寺の境内にある梶原景時一族の供養碑で、もとは梶原一族の首がさらされた場所に建てられていたそうです。碑の両脇には、梶原一族のレリーフとウナリ地蔵が建てられています。
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梶原一族墓(梶原堂)

正治2年(1200年)正月20日、梶原景時は一族とともに京へ上る途中、東海道の駿河国清見関近くで在地の武士たちとの合戦となり、敗れて自害。静岡市清水区の梶原堂の傍らに、梶原父子の墓と伝わる石塔があります。
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梶原堂

静岡県静岡市清水区、梶原山の麓にある梶原景時を祀った堂。梶原堂は元々は梶原山龍泉院という矢崎山の山腹 にあったお寺でしたが、明治の廃仏毀釈により龍泉院は廃寺となり、 梶原堂として残ったそうです。
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毘沙門堂(梶原堂)

静岡県静岡市清水区、梶原山の麓の梶原堂のすぐ傍らにある堂。梶原氏の家紋(矢筈)を示した毘沙門堂内には、梶原景時と源頼朝の2つの位牌、それに毘沙門天像と如意輪観音像が安置されているそうです。
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梶原山

翌正治2年(1200年)正月20日、東海道の駿河国清見関付近での合戦に敗れた梶原景時とその一族は、この山の山頂で自害したとのことです。首は翌日に探し出され、一族33名の首が路上に懸けられたそうです。
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鬢水(梶原山)

静岡県静岡市の梶原山公園頂上付近にある梶原一族縁の史跡。駿河国清見関で在地の武士たちとの戦闘に敗れた梶原一族は自害を決意。この池で鬢のほつれを直して、自刃の地である山上を目指したとのことです。
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馬食い笹

梶原山公園頂上付近に育成している葉先が馬の歯形のように枯れるという笹。戦いに敗れた梶原一族が自害するために梶原山の頂上を目指したとき、景時の馬が空腹のあまり笹を食べて以来、このようになったとのことです。
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沓掛石

御殿場市に鎮座する新橋浅間神社の創建は不詳ですが、伝承によると、建久4年(1193年)、源頼朝が富士の巻狩りの際に勧請されたとも云われています。境内には源頼朝が巻狩りの際に足をかけたと伝わる沓掛石があります。
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徳川家康公御殿土塁跡

現在の御殿場高校から吾妻神社・穂見神社にかけての一帯が「御殿場」の地名の由来ともなった徳川家康の御殿のあった所と伝えられています。吾妻神社の境内には、その御殿の土塁跡と思われるものが残されています。
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地名「御殿場」発祥の地

元和元年(1615年)、徳川幕府は家康が江戸~駿府を往復する際の宿泊所として、現在の吾妻神社がある辺りに御殿を造営しました。その「御殿のある場所」という意味で御殿場の地名が発症したそうです。
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