テーマ:静岡

源頼朝・北条政子の腰掛石

  三嶋大社の境内にある源頼朝・北条政子腰掛石と呼ばれている石。治承4年 (1180年)5月、源頼朝が平家追討の心願をこめて百日の日参をした時に、こ の石に腰をかけて休憩したと伝えられているそうです。  
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厳島神社(三嶋大社)

  三嶋神社の境内にある神池中の島に鎮座する神社で、祭神は市杵嶋姫命。 北条政子が勧請したと伝えられていて、家門繁栄、商売繁盛、安産、裁縫等 の守護神として広く信仰されているそうです。  
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安達藤九郎盛長警護の松

  治承4年(1180年)、源頼朝が源家再興の祈願の為、百日間毎晩蛭島より 三嶋大社に日参するに際し、従者盛長がここで警護したと伝えられています。 現在は黒松と赤松が一つの根から生え出た「相生松」が植えられています。  
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源頼朝旗挙げの碑

  源頼朝が旗挙げをしたのは治承4年(1180年)8月17日のこと。この日は 三島大社の祭礼があり、山木館が手薄になるので、頼朝はこの祭礼の日に 合わせて山木兼隆を夜討ちしたとも伝わってます。  
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大泉寺

  静岡県沼津市にある曹洞宗のお寺で、阿野全成の館跡でもあります。 阿野全成の幼名は今若で、牛若(源義経)の同母兄にあたり、源平の争 乱後に駿河の阿野荘を賜って阿野全成と呼ばれるようになったそうです。  
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竹採公園

  静岡県富士市にある日本最古の小説といわれる竹取物語に因む公園。 かぐや姫はここで生まれ育ち、ここから天へ帰ったとか富士山に帰ったと か。公園内では竹取物語に関連する幾つかの場所を見ることができます。  
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平家越え

  治承4年(1180年)の富士川の合戦の際、富士沼の水鳥が群れ立つ羽音 に驚いた平氏は源氏の襲来かと思い、慌てて逃げ去ったとのことです。その 場所がこの付近と伝えられていて、和田川の畔に碑が建てられています。  
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呼子坂

  治承4年10月20日(1180年11月9日)の富士川の合戦に際し、源頼朝 率いる源氏の軍勢がこの付近の高台一帯に陣を敷き、ここで呼子を吹いて 軍勢を集めたことから、この呼び名が付けられたと伝えられています。  
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源太坂

  寿永3年(1184年)、木曽義仲追討の源氏軍がこの付近に留まったとき、 梶原源太景季と佐々木四郎高綱が頼朝から拝領した生食(池月)、摺墨 の名馬をめぐって争いになろうとした場所と伝えられています。  
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善得寺城跡

  善得寺は現在の静岡県富士市にあった臨済宗の大寺院。太原雪斎の呼び かけにより、甲相駿三国同盟の実現した場所として有名です。善得寺城は、 善得寺に併設されていた城郭だったそうです。  
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弥次喜多像

  お江戸は神田八丁堀の住人、栃面屋弥次郎兵衛と居候の喜多八が東海道 を江戸から上方へと旅をするのが『東海道中膝栗毛』。主人公の弥次さんと 喜多さんの像が、駿府城のお堀端にあります。  
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富士川

  一級水系富士川の本流であり、日本三大急流の一つに数えられている川。 治承4年(1180年)に源頼朝と平維盛が戦い、水鳥の羽音に驚いた平家軍 が敗走した、富士川の合戦が行われた場所としても知られています。  
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二俣城

  遠江国豊田郡二俣(現在の静岡県浜松市天竜区二俣町)にあった山城。 武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げ、 また、家康の嫡男信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られています。  
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梶原景時一族供養碑

  静岡県静岡市清水区の高源寺の境内にある梶原景時一族の供養碑で、もと は梶原一族の首がさらされた場所に建てられていたそうです。碑の両脇には、 梶原一族のレリーフとウナリ地蔵が建てられています。  
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梶原一族墓(梶原堂)

  正治2年(1200年)正月20日、梶原景時は一族とともに京へ上る途中、 東海道の駿河国清見関近くで在地の武士たちとの合戦となり、敗れて自害。 静岡市清水区の梶原堂の傍らに、梶原父子の墓と伝わる石塔があります。  
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梶原堂

  静岡県静岡市清水区、梶原山の麓にある梶原景時を祀った堂。梶原堂は もともと梶原山龍泉院という矢崎山の山腹 にあったお寺でしたが、明治の 廃仏毀釈により龍泉院は廃寺となり、 梶原堂として残ったそうです。  
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毘沙門堂

  静岡県静岡市清水区、梶原山の麓の梶原堂のすぐ傍らにある堂。梶原氏 の家紋(矢筈)を示した毘沙門堂内には、梶原景時と源頼朝の2つの位牌、 それに、毘沙門天像と如意輪観音像が安置されているそうです。  
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梶原山

  翌正治2年(1200年)正月20日、東海道の駿河国清見関付近での合戦に 敗れた梶原景時とその一族は、この山の山頂で自害したとのことです。首は 翌日に探し出され、一族33名の首が路上に懸けられたそうです。  
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鬢水(梶原山)

  静岡県静岡市の梶原山公園頂上付近にある梶原一族縁の史跡。駿河国 清見関で在地の武士たちとの戦闘に敗れた梶原一族は自害を決意。この 池で鬢のほつれを直して、自刃の地である山上を目指したとのことです。  
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馬食い笹

  梶原山公園頂上付近にある、葉先が馬の歯形のように枯れるという笹。 戦いに敗れた梶原一族が、自害するために梶原山の頂上を目指したとき、 景時の馬が空腹のあまり笹を食べて以来、このようになったとのことです。  
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沓掛石

  御殿場市に鎮座する新橋浅間神社の創建は不詳ですが、伝承によると、 建久4年(1193年)、源頼朝が富士の巻狩りの際に勧請されたとも云われ、 境内には源頼朝が巻狩りの際、足をかけたと伝わる沓掛石があります。  
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徳川家康公御殿土塁跡

  現在の御殿場高校から吾妻神社・穂見神社にかけての一帯が、「御殿場」 の地名の由来ともなった、徳川家康の御殿のあった所と伝えられています。 吾妻神社の境内には、その御殿の土塁跡と思われるものが残されています。  
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地名「御殿場」発祥の地

  元和元年(1615年)、徳川幕府は家康が江戸~駿府を往復する際の 宿泊所として、現在の吾妻神社がある辺りに御殿を造営しました。その 「御殿のある場所」という意味で御殿場の地名が発症したそうです。  
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深沢城跡

  深沢城は現在の静岡県御殿場市にあった戦国時代の城で、深沢氏の城館を、 16世紀初頭に今川氏親が深沢城として築城したそうです。今川氏、後北条氏、 武田氏、徳川氏が入れ替わりに支配した城です。  
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陣場

  南北朝時代の建武2年12月11日(1336年1月24日)に、現在の静岡県 小山町竹之下周辺で足利尊氏勢と新田義貞勢の間で合戦が行われました。 官軍の先手がここに布陣したとのことで「陣場」の石柱が建てられています。  
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釜沢

  南北朝時代の建武2年12月11日(1336年1月24日)に、現在の静岡県 小山町竹之下周辺で足利尊氏勢と新田義貞勢の間で合戦が行われました。 その際、湧き水があり、ここで官軍が兵糧を炊いたとされる場所です。  
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千束橋

  建武2年12月11日(1336年1月24日)に、現在の静岡県小山町竹之下 周辺で行われた竹之下合戦の際、官軍が退くときに橋を落とした為、足利 軍は薪を千束投げ入れて、橋の代わりとして渡ったと伝わるところです。  
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金太郎像

  足柄山の金太郎として有名な金太郎伝説は、現在の神奈川県南足柄市 から、静岡県駿東郡小山町にかけて様々に伝わり、金太郎の像も点在し ています。この写真の像は、JR足柄駅の駅前広場にある像です。  
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竹之下古戦場

  竹ノ下の戦いは南北朝時代の建武2年12月11日(1336年1月24日)に、 足利尊氏と新田義貞の間で、現在の小山町竹之下周辺で行われた合戦。 足利尊氏が新田義貞(官軍)を破り、この結果、建武政権は崩壊しました。  
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渡り上り

  南北朝時代の建武2年12月11日(1336年1月24日)に、現在の静岡県 小山町竹之下周辺で行われた竹之下合戦で、官軍側は敗れて敗走。二条 為冬が退陣する際、川を渡って所領部落に向かった場所とされいます。  
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