テーマ:新選組

本光寺

京都市下京区油小路にある日蓮宗のお寺。慶応3年(1867年)11月18日、 伊東甲子太郎は近藤勇に呼ばれ妾宅で接待を受け、酔わされたその帰途、 本光寺門前で新選組隊士の大石鍬次郎ら数名により暗殺されました。
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伊東甲子太郎絶命の跡

伊東甲子太郎は孝明天皇陵の御陵衛士を拝命し新選組から独立。新撰組は伊東を騙し討ちにし、深手を負った伊東は本光寺の門前に辿り着き、この石柱にもたれかかり、程なく石柱を抱くようにして絶命したと伝わっています。
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油小路七条の辻

幕末に起きた新選組と御陵衛士の抗争事件、油小路事件の現場。新選組は ここに伊東甲子太郎の遺骸を放置して待ち伏せ、遺体を引き取りにきた御陵衛士7名を40~50名で取り囲み、御陵衛士の3名を斬殺しました。
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光縁寺

京都市下京区にある浄土宗のお寺。かつて光縁寺門前近くには新選組の 馬小屋があったことから新選組との縁も深く、境内には、山南敬介をはじめ、 松原忠司、桜井勇之進、田内知などのほか多くの隊士の墓があります。
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新撰組隊士墓(光縁寺)

京都市下京区の光縁寺にある新撰組隊士の墓。3つ並ぶ墓石の向かって一番右側が脱走して切腹をした山南敬助の墓。少し離れた小さな墓石は、 沖田総司が連れてきた縁者で山南敬助の恋人「明里」の墓だそうです。
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前川家(壬生)

文久3年(1863年)から2年間、新選組の屯所となった京都の壬生にある家で、池田屋事件の端緒となった古高俊太郎の拷問はここの土蔵で行われたとのことです。現在は個人の住宅のため、内部は一般公開されていません。
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八木家(壬生)

文久3年(1863年)春、江戸から京に入った浪士隊が宿営した京都壬生村の郷士の家。その後分裂した浪士隊の一部が新撰組を結成し、この八木家を屯所としました。内部抗争で芹澤鴨が暗殺された部屋とその時の刀傷が残されています。
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新徳寺

京都市中京区壬生にある臨済宗永源寺派のお寺。新撰組にまつわる最初の大舞台となった場所で、上洛した新撰組の前身浪士組のリーダーであった清河八郎が、浪士達を集めて大演説をしたのがこの新徳寺の本堂です。
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壬生寺

京都市中京区壬生にある律宗大本山のお寺。幕末には京都の治安維持を目的に活動した新選組の本拠が壬生村の八木家に置かれたため、当寺境内は新選組の兵法調練場として使われ、武芸などの訓練が行われたそうです。
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新撰組顕彰碑・慰霊塔

京都市中京区の新撰組との縁が大変に深い壬生寺にある新撰組顕彰碑と新撰組隊士慰霊塔。「新選組顕彰碑」は京都で活動している「新選組同好会」 が、結成20周年を記念して平成7年(1995年)に建てたものだそうです。
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河合耆三郎墓 近藤勇遺髪塔

京都市中京区の壬生寺境内にある河合耆三郎の墓と近藤勇の遺髪塔。 河合耆三郎は勘定方として活躍した新撰組隊士で、池田屋事件にも参戦し褒賞金をもらっていましたが、慶応2年(1866年)2月、切腹させられました。
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新選組隊士墓

京都市中京区の壬生寺の境内にある新選組隊士の墓。左側にあるのが 文久3年(1863)9月16日に八木邸で暗殺された芹沢鴨と平山五郎の二人の墓で、右側にあるのが池田屋事件で亡くなった隊士など7名の墓です。
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角屋

京都の島原花街で営業していた揚屋(料亭・饗宴施設)。幕末には久坂玄瑞、 西郷隆盛などの勤王の志士が密議を交わしたり、豪商からの資金調達のための接待に使用され、また、新選組もここでの遊興を楽しんでいたそうです。
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御陵衛士屯所の跡

慶応3年(1867年)年3月、新選組隊士伊東甲子太郎以下15名は新選組を抜けて孝明天皇御陵衛士を拝命。そして、6月には高台寺塔頭月真院に居を構えて「禁裏御陵衛士屯所」の標札をあげ拠点としました。
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池田屋跡

池田屋は京都三条木屋町(三条小橋)にあった旅館で、池田屋事件の現場。元治元年(1864年)6月5日、池田屋で会合をしていた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、新選組が襲撃したのが池田屋事件です。
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新撰組最後の地

新選組は文久3年(1863年)に京都の壬生で結成され、京都警備で活躍しました。しかしその後戊辰戦争で敗れて北上。最後は、函館弁天島砲台を 守備したものの、ついに降伏し消滅しました。
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釜屋跡

釜屋はかつて南品川にあって大変に繁盛していた建場茶屋の一つ。 慶應4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いに敗れた新選組隊士たちは、 同月15日に品川に上陸し、 しばらく釜屋に滞在していたとのことです。
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新選組屯所跡(不動堂村)

慶応3年(1867年)6月15日、新撰組は現在の京都駅近くの不動堂村に大名屋敷のような広大な屋敷を建てて、屯所をそこに移したそうです。しかし、約半年しか使用されず「幻の屯所」などとも呼ばれているそうです。
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清河八郎墓

清河八郎は浪士組を結成して新選組・新徴組への流れを作り、虎尾の会を率いて明治維新の火付け役となった庄内藩出身の幕末の志士。文久3年(1863年)4月13日に麻布赤羽橋で暗殺され、伝通院に葬られました。
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神指町如来堂

会津若松市の鶴ヶ城から北西、阿賀川の近くにある如来堂。明治元年(1868年)年9月4日、会津城下に来襲した新政府軍は、如来堂に立てこもる新選組に激しい攻撃を加え、新選組は全滅したと伝えられています。
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大善寺(勝沼)

山梨県甲州市勝沼町にある本尊を薬師如来とする真言宗智山派のお寺。新府城から岩殿城に向かう武田勝頼が途中で立ち寄り、また幕末には甲陽鎮撫隊がこの付近で新政府軍と戦うなど、歴史の舞台にもなっています。
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太鼓楼(西本願寺)

京都市の西本願寺の東北角にある重層の楼閣。今も残る大きな太鼓は江戸時代には周囲に時刻を告げる合図となっていたそうです。幕末には、新撰組がこの太鼓楼周辺を一時、屯所としていたとのことです。
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永倉新八墓

永倉新八は松前藩出身の二番隊組長及び撃剣師範を務めた新選組隊士。数少ない新選組の生き残りとして新選組の顕彰につとめ、新撰組に好意的であった松本良順と共に東京都北区滝野川に近藤、土方の墓を建立しました。
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近藤勇陣屋跡

甲州勝沼の戦いで敗れた近藤勇が会津を目指す途中で陣を布いたところ。しかし官軍に包囲され、流山の街を兵火に巻き込むことを嫌った近藤勇はここで自首し、吟味を受けた後、板橋の刑場で処刑されました。
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