テーマ:藤原四代

中尊寺

岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山のお寺。 奥州藤原氏三代所縁の寺として著名であり、平安時代の美術、工芸、建築の 粋を集めた金色堂を始め、多くの文化財を有し世界遺産に登録されています。
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金色堂

奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立したもので、 平安時代の浄土教建築の代表例であり国宝に指定されています。 須弥壇内には、奥州藤原氏3代の遺体と泰衡の首級が納められています。
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陣ケ岡歴史公園

古来より数々の武将が陣を布いてきた場所。前九年の役の戦後処理の際には源頼義が安倍貞任の首級に八寸釘を打ち込みこの地に晒し、その130年後、源頼朝は藤原泰衡の首級に八寸釘を打ち込んで同じ場所に晒したそうです。
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贄の柵跡

楡の柵は、奥州藤原氏の重臣であつた河田次郎が館を構えていた場所。 文治5年(1189年)、平泉を捨てた藤原泰衡は贄の柵の河田次郎を頼り、 家臣3名と共にこの地まで逃れて来ましたが、結局この地で自害したとのことです。
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錦神社

秋田県大館市二井田に鎮座し、奥州藤原氏の4代目、藤原泰衡を祀る神社。 数代の家来である河田次郎の裏切りに遭い、自害に追いやられた泰衡の首の無い遺体を、憐れんだ里人達が錦の直垂に包み埋葬した処とのことです。
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西木戸神社

秋田県大館市比内町に鎮座する神社で、ご祭神は奥州藤原氏の第4代藤原泰衡の夫人。 文治5年(1189年)、夫人は平泉から落ちのびた藤原泰衡を此処まで追ってきましたが、夫の悲報 に触れて自害したとのこと。里人は五輪の塔を建てて夫人を祀ったと伝わっています。
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豊田館跡

奥州藤原氏の祖先・藤原経清が居館として築き、 経清の子、清衡が生まれ育った場所であると伝わる館跡。 清衡は康和元年(1099年)、豊田館から平泉へ移っていきました。
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八日市場跡

衣川河畔の向館跡に隣接している奥州藤原氏時代の市場跡の一つ。 この他にもこの地域には、六日市場、七日市場などの地名が残っていて、平泉の市街地がこの付近にまで広がっていたことを偲ばせます。
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接待館遺跡

奥州市衣川区にある平安時代の遺跡で国の史跡にもなっている遺跡。 藤原基衡の妻が関道を往来する旅人を接待したことが名称の由来とのこと。 また、規模の大きさから安倍氏の政庁跡とも推測されているそうです。
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柳御所跡

奥州藤原氏の政庁・平泉館跡と推定される平安時代末期の遺跡。奥州藤原氏初代清衡が豊田館から平泉に移ってきて居館をかまえた所で、3代秀衡が政庁・平泉館とするため再整備を行ったとされる場所です。    
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伽羅御所跡

岩手県平泉町平泉伽羅楽にあった奥州藤原氏の居館跡。奥州藤原氏の居館であった柳之御所が政庁・平泉館として大改修され、秀衡が柳之御所の南西に新たに建築したのが伽羅御所だそうです。
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毛越寺

岩手県の平泉にある、開山は慈覚大師と伝わる天台宗の寺院。当時は中尊寺を凌ぐ規模だったとのことですが、現在は庭園が残るのみ。国の特別史跡で、庭園は「毛越寺庭園」として特別名勝に指定されています。   
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藤原清衡像

藤原清衡は平安時代後期の武将で奥州藤原氏の祖。父は藤原経清、母は安倍頼時の娘で、前九年の役では何とか生き抜き、後三年の役では何とか勝ち抜き、平泉の栄華の基をつくり上げました。
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