テーマ:文覚上人

常実坊

足柄上郡山北町にある洒水の滝は、鎌倉時代に文覚上人が百日間の 荒行を積んだとところと云われていて、この「洒水の滝不動尊常実坊」の 不動明王は、修行中の文覚上人が安置したと伝わっています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

洒水の滝

足柄上郡山北町にある三段からなる滝で、一の滝は69m、二の滝は16m、 三の滝は29mの落差をもち、古来より相模国の最大と言われている滝。日本の滝百選・ 「かながわの景勝50選」・「かながわ未来遺産100」にも選定されています。また、文覚上人がこの滝で修業をしたと伝わっています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

萱の御所跡

神戸市兵庫区の薬仙寺境内にある「萱の御所跡」の碑。平清盛が対立を深めていた後白河法皇を幽閉したのが萱の御所だそうで、文覚上人が忍びこみ、法皇から平家追討の院宣を得たとの説もあります。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

袈裟御前首塚

京都市南区上鳥羽の恋塚浄禅寺にある、袈裟御前の首塚と伝わる五輪塔。しかし「恋塚」は誤りで、元は妖怪となって現れた鯉を退治して塚を築いた「鯉塚」であった、という説もあるそうです。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

恋塚浄禅寺

京都府京都市南区上鳥羽岩ノ本町にある浄土宗西山禅林寺派のお寺。寺の起源は寿永元年(1182年)の文覚上人による開基と伝えられいて、境内にある袈裟御前の首塚(恋塚)から恋塚浄禅寺と呼ばれています。    
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

袈裟御前墓

袈裟御前は渡辺渡の妻で、従兄弟で夫の同僚の遠藤盛遠から横恋慕され、その執拗さから逃れるために、遠藤盛遠を騙して自らを盛遠に殺害させました。盛遠は自分の行いを恥じて出家し袈裟御前の墓を建てたとのとです。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

恋塚寺

恋塚寺は源平盛衰記に登場する遠藤盛遠が創建したのが始まりとのこと。盛遠は源渡の妻・袈裟御前に横恋慕し、その結果、誤って袈裟御前を殺害してしまい、これを深く恥じた盛遠は袈裟の墓とこのお寺を建てたそうです。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

六代御前墓

六代とは平正盛から数えて直系の六代目に当たる人物で、本名は平高清。平家の滅亡後、文覚上人が庇護していましたが、文覚が失脚すると、高清も捉えられ、田越川畔(現在の逗子市)で、処刑されてしまったのとのことです。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

龍華寺

横浜市金沢区にある真言宗御室派のお寺で、源頼朝が文覚上人と共に瀬戸神社の別当寺として六浦山中に建てた浄願寺が始まりとのこと。明応8年(1499年)、光徳寺と合併され当地に移築、龍華寺となりました。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

補陀落寺

鎌倉市材木座にある真言宗大覚寺派のお寺で、山号は南向山。創建は養和元年(1181年)で、開山は文覚上人、開基は源頼朝とのこと。たびたび竜巻に襲われているため、別名「竜巻寺」との別名もあるそうです。    
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

遠藤武者盛遠供養碑

藤沢市遠藤にある遠藤盛遠(文覚上人)の供養塔。ここの地名の遠藤というのは、治承年間(1177年-1180年)頃に、此処が遠藤盛遠(文覚の俗名)の采地であったから、とのことです。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

文覚上人屋敷跡

文覚上人は、もとは遠藤盛遠といい北面の武士でした。伊豆に流されていたときに源頼朝と運命的な出会いをし、その後、鎌倉幕府の要人として、大きな影響力を持った怪僧です。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more