テーマ:道標

桜ヶ丘の石碑

横浜市保土ヶ谷区桜ケ丘の月見台交差点(五差路)の北側角にある小さな石碑。この石碑は嘉永6年(1853年)ペリー来航の年に、当時の二俣川村と帷子町が協力して桜ヶ丘を通る新道をつくり、その記念に建てられたものだそうです。
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鎌倉道と大山道の分かれ道

大山道とは江戸中期以降江戸の庶民が大山詣に利用した道で、各地から約30のルートがあるそうです。また鎌倉道は各地から鎌倉に至る道の総称。この地点(横浜市の大池公園の東側)は東に行けば程ヶ谷宿、南に行けば鎌倉中の道を通り鎌倉へ、西に行けば大山雨阿夫利神社へと通じる三叉路だったとのことです。
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江ノ島弁財天道標

遊行寺橋は此の地点から江の島までの約1里(4km)を結ぶ江の島道の起点。 明治初期まではこの橋の袂に江の島道の入口を示す江島神社の一の鳥居と呼ばれた大きな鳥居があり、鳥居の脇には道標が立てられていたそうです。
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武相国境之木

横浜市保土ケ谷区の旧東海道の権太坂頂上が、かつて武蔵国と相模国との国境になっていました。江戸時代にはその印の木柱が建てられていて、それが境木の地名の由来となっているそうです。
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従是南六条御境内(道標)

京都市下京区、西本願寺から少し北の堀川通に面したところにある石標。 この石標は「これより南、六条の御境内」との意味で、西本願寺の北の 境界を示していたもの。近年の工事中に掘り出されたものとのことです。
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金閣寺道・愛宕道(道標)

京都市北区小山板倉町の京都小山初音郵便局の近くにある道標。 金閣寺道、愛宕道とは違う今宮通にあり、おそらく移建されたもので、 現在は玄関飾りとして使われているようです。
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追分の道標

東京都八王子市の国道20号線、追分交差点近くにある道標。 文化8年(1811年)6月、江戸の清八という人が甲州街道の、新宿、八王子、 浅川、の3追分に建てて、通行者の道しるべに供した道標の一つとのことです。
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里程標(梅屋敷)

旧東海道沿いの日本橋から約12.6km地点にあった里程標。 東京都大田区の聖蹟鎌田梅屋敷公園内に復元されたもので、「距日本橋三里八丁 蒲田村 山本屋」と彫られています。
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島本町 道標

現在の大阪府島本町桜井にある、慶応三年のものと伝わる西国街道の道標。  正面「右 柳谷/左 西ノ宮そうじ寺道」  左面「右 山崎道,」と刻まれてます。柳谷は、長岡京市の山中にある柳谷観世音を案内しているそうです。
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四谷不動

藤沢市城南の東海道と大山道の分岐点に建てられていた道標。この辺りは四ツ谷辻と呼ばれていて、東海道と大山道の交差する場所として立場があり、茶屋が立ち並び賑わっていたとのことです。
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江ノ島弁財天道標

藤沢市の遊行ロータリーにある江ノ島弁財天道標。鍼術の考案者で江の島弁財天を厚く信仰した杉山検校が江ノ島への案内として48基の道標を建立し、そのうち11基が現存しているそうです。
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弘法大師道標

川崎大師への参詣客のために、寛文3年(1663年)に建てられ道標。現在は川崎大師の境内にありますが、当初は、川崎宿下手の土居(川崎宿の多摩川寄り入口)付近にあったそうです。
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北向地蔵

享保2年(1717年)に、僧三譽伝入が天下泰平・国土安全を祈念するとともに、旅人の道中安全を祈願して建立したそうです。ここは「かなざわかまくら道」の分岐点であり、道案内も兼ねていたようです。    
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金沢横丁道標

横浜市の旧東海道の程ヶ谷宿金沢横丁に残されている道標4基。程ヶ谷宿周辺からは、金沢鎌倉道、八王子道、大山道、の各街道が分岐していて、その分岐点にたてられていた道標とのことです。
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相武国境之道

相武の相は相模で現在の神奈川、武は武蔵で現在の東京のこと。相模の国と武蔵の国のこの国境に沿って、古代より国境の道と呼ばれる道があり、細いながらも海と内陸部を結ぶ重要な道となっていたそうです。
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江の島弁財天道標

この道標は管を用いて鍼治療をする管鍼術の考案者、杉山検校が江島神社に参詣する人々の道しるべとして寄進したものと伝わっています。杉山検校は、江の島弁財天を厚く信仰していたと云われています。
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