テーマ:埼玉

蔵造りの町並み

埼玉県川越市の中心部には「蔵造りの町並み」が今も残されています。 蔵造りは類焼を防ぐために江戸の町家形式として発達した巧妙な耐火建築ですが、今の東京では見ることのできない江戸の面影を川越にとどめています。
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時の鐘

川越の蔵造りの街並みを代表する市のシンボルとなっている鐘楼(時計台)。古くは鐘撞き守が決まった時間に時を知らせていましたが、現在では機械式で 1日に4回、川越城下に時を知らせているそうです。
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神楽殿(三峯神社)

埼玉県秩父市の三峯神社の境内、拝殿近くにある神楽殿。 三峯の神楽は、霧の流れる境内にひびく笛と太鼓の調和よく、その巧妙な 撥さばきによって、彼の宮本武蔵が二刀流を開眼したと伝えられるものです。
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日本武尊像

日本武尊は東征の途中、甲斐の国酒折宮より雁坂峠を越えて三峰山に登りました。そして、遥かに国中の地理を見渡し神威の擁護を願い、仮宮を造営してイザナギノ尊、イザナミノ尊を祀ったことが、三峰神社の始まりだそうです。
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笛吹峠

埼玉県の鳩山町と嵐山町の境にある峠。 正平7年(1352年)2月25日、 新田義貞の三男新田義宗らが宗良親王を奉じて足利尊氏の軍勢と戦い、 最終的に戦いの決着がついたのがこの峠だったとのことてす。
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フォール大佐像

J・P・フォール大佐(1869~1924)は、大正8年(1919年)1月にフランス 航空教官団として来日。当時第1級の操縦士として知られていて、優秀なフラ ンス空軍士官だったそうです。所沢航空記念公園に像があります。
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木村・徳田両中尉像

大正2年(1913年)3月28日、青山練兵場からの帰路、木村鈴四郎砲兵中尉 と徳田金一歩兵中尉の搭乗したブレリオ機は、午前11時59分、所沢飛行場を目前にして突風を受け左翼が折れて墜落、両中尉とも即死でした。
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航空整備兵の像

埼玉県所沢の所沢航空記念公園にある像。昭和18年(1943年)、彫刻家故長沼孝三氏が第二回大東亜戦争美術展に出品し、翌19年5月21日に、当時この地にあった所沢航空整備学校内に建立されたものです。
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所沢航空記念公園

明治44年(1911年)4月5日に徳川好敏大尉が操縦するフランス製複葉機 アンリ・ファルマン機が高度10m、飛行距離800m、飛行滞空時間1分20秒 の飛行を行なった日本初の航空機専用飛行場の跡にできた県営公園です。
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九七式戦闘機(模造機)

陸軍初の低翼単葉戦闘機として、中島飛行機が開発した昭和15年 (1940年)前後の主力戦闘機。旋回性能に非常に優れ 、水平面での格闘戦では右に出る機体は無かったとされている名機です。
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九一式戦闘機

中島飛行機によって製造された日本陸軍最初の日本オリジナルの設計による戦闘機。第二次世界大戦前の主力戦闘機で、唯一1機が所沢航空発祥記念館に解体状態で保存されており、重要航空遺産の第1号に認定されています。
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会式一号飛行機(復元レプリカ)

会式一号機は、明治44年(1911年)に日本で製作された飛行機。この機体は軍用機としては初の国産機で、10月13日に初飛行に成功しました。原寸大レプリカが所沢航空発祥記念館入り口ロビーに吊り下げ展示されています。
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和銅採掘遺跡

元明天皇の時代に武蔵国秩父郡から自然銅が発見され、慶雲5年(708年) 正月11日に朝廷に献上され、同日に元号が「和銅」に改元されたとのこと。 その後、日本最初の流通通貨となる和同開珎が発行されました。
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河越重頼供養塔

河越重頼は武蔵国入間郡河越館の武将で、新日吉社領河越荘の荘官。 源頼朝の命令で源義経に娘を嫁がせた事から、後に誅殺されてしまいました。 常楽寺境内に源義経、娘の郷御前と並んで供養塔が建てられています。
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常楽寺(川越)

埼玉県川越市にある時宗のお寺で、平安時代末期から南北朝時代にかけて、武蔵国で最大勢力を誇った河越氏の河越館の跡地の一角にあります。長享の乱の際には、上杉顕定が河越城攻略の陣を置いたところだそうです。
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河越館跡史跡公園

河越館跡は、平安時代から南北朝時代まで、武蔵国の中で有数の勢力を誇った武士・河越氏の居館跡で、昭和59年(1984年)に国指定遺跡となり、平成21(2009年)には、川越市管理の史跡公園としてオープンいたしました。
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東明寺

埼玉県川越市志多町にある13世紀に一遍上人開基の時宗の古刹。天文15年(1546年)4月20日、「東明寺口合戦」とも呼ばれる河越夜戦の激戦が行われた場所で、境内には「河越夜戦跡」の石碑が建てられています。
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柏原城山砦跡

埼玉県狭山市、入間川の西側の丘陵の上にある城跡。この城山砦は川越夜戦の時に、上杉憲政が築城したそうです。川越夜戦では上杉連合軍は敗れ、小田原北条氏が武蔵国を手中にしました。
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三ツ木原古戦場

天文6年(1537年)、北条氏綱が河越城を手に入れようと侵攻してきた際、迎撃に出てきた河越城の上杉朝定と、両軍入り乱れての戦いがあった場所。また、新田義貞の鎌倉攻めの時にも、ここで合戦があったと伝わっています。
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川越城

上杉氏が古河公方(足利氏)に対抗するために江戸城とともに築城。長禄元年(1457年)に太田道真・道灌父子により築城されました。嘉永元年(1848年)に再建された本丸御殿の一部が現在に残されています。
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太田道灌像(川越)

長禄元年(1457年)、足利氏の勢力に対抗する上杉氏の本拠地として、上杉持朝は家宰の太田道真、太田道灌父子に川越城の築城を命じました。川越市役所庁舎(川越城大手門跡)に、太田道灌の像が建てられています。
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仙波東照宮

元和2年(1616年)に薨去した徳川家康の法要は、久能山から日光山に改葬される元和3年に、天海によって喜多院で行われました。その際、後水尾天皇から東照大権現の勅額が下賜され、この地に東照宮が創建されました。日本三大東照宮の一つです。  
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天海大僧正像

埼玉県川越市にある喜多院の山門前にある南光坊天海の像。天海は、慶長4年(1599年)に無量寿寺北院の住職となり、慶長17年に北院の再建に着手し、寺号を喜多院と改め関東天台の本山としました。
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三ツ木城跡

埼玉県桶川市にある城跡。城の居住者は、足立遠元、あるいは石井丹後守、等の諸説があるとのことです。現在は城山公園として市民プールやテニスコート等を整備した公園になっています。
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足立遠元館跡

桶川市役所桶川東公民館の脇に足立遠元の館跡の碑があります。足立遠元は足立氏の祖で、平治の乱で源義朝に従軍して功績を挙げ、馬術に優れた武士であると「平治物語」に記述されているそうです。
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砂久保陣場

天文15年(1546年)の川越夜戦の時に上杉憲政が陣を取ったところ。憲政はこの砂久保に陣をとり8万余騎の兵力で川越城を攻めましたが、やがて援軍にかけつけた北条氏康の8千の兵により敗走させられました。
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岡部六弥太墓

埼玉県深谷市普済寺に岡部六弥太忠澄の墓と伝わる塔があります。岡部六弥太忠澄は治承・寿永の乱の際には源氏方について出兵し、一の谷の戦いで、平家の名将平忠度を討ったことで知られる武将です。
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平忠度墓

平忠度は平安時代の平家一門の武将で平忠盛の六男、平清盛の異母弟。一ノ谷の戦いで、源氏方の岡部忠澄に討たれましたが、岡部忠澄は忠度の菩提を弔うため、現在の埼玉県深谷市の清心寺に供養塔を建立しました。
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源義賢墓

源義賢は源為義の次男で、源義朝の異母弟であり木曾義仲の父。久寿2年(1155年)8月、義朝に代わって鎌倉に下っていた甥・源義平に大蔵館を襲撃され、大蔵合戦に及んで義父・重隆とともに討たれました。
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清水八幡宮

埼玉県狭山市入間川に鎮座する木曾清水冠者義高を祀る神社。鎌倉に人質となっていた木曽義高は鎌倉を脱出しましたが、入間河原の八丁の渡で追いつかれ、藤内光澄によって討たれてしまいました。
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