テーマ:埼玉

神楽殿(三峯神社)

埼玉県秩父市の三峯神社の境内、拝殿近くにある神楽殿。 三峯の神楽は、霧の流れる境内にひびく笛と太鼓の調和よく、その巧妙な 撥さばきによって、彼の宮本武蔵が二刀流を開眼したと伝えられるものです。
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日本武尊像

日本武尊は東征の途中、甲斐の国酒折宮より雁坂峠を越えて三峰山に登りました。そして、遥かに国中の地理を見渡し神威の擁護を願い、仮宮を造営してイザナギノ尊、イザナミノ尊を祀ったことが、三峰神社の始まりだそうです。
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和銅採掘遺跡

元明天皇の時代に武蔵国秩父郡から自然銅が発見され、慶雲5年(708年) 正月11日に朝廷に献上され、同日に元号が「和銅」に改元されたとのこと。 その後、日本最初の流通通貨となる和同開珎が発行されました。
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常楽寺(川越)

埼玉県川越市にある時宗のお寺で、平安時代末期から南北朝時代にかけて、武蔵国で最大勢力を誇った河越氏の河越館の跡地の一角にあります。長享の乱の際には、上杉顕定が河越城攻略の陣を置いたところだそうです。
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河越館跡史跡公園

河越館跡は、平安時代から南北朝時代まで、武蔵国の中で有数の勢力を誇った武士・河越氏の居館跡で、昭和59年(1984年)に国指定遺跡となり、平成21(2009年)には、川越市管理の史跡公園としてオープンいたしました。
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東明寺

埼玉県川越市志多町にある13世紀に一遍上人開基の時宗の古刹。天文15年(1546年)4月20日、「東明寺口合戦」とも呼ばれる河越夜戦の激戦が行われた場所で、境内には「河越夜戦跡」の石碑が建てられています。
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柏原城山砦跡

埼玉県狭山市、入間川の西側の丘陵の上にある城跡。この城山砦は川越夜戦の時に、上杉憲政が築城したそうです。川越夜戦では上杉連合軍は敗れ、小田原北条氏が武蔵国を手中にしました。
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三ツ木原古戦場

天文6年(1537年)、北条氏綱が河越城を手に入れようと侵攻してきた際、迎撃に出てきた河越城の上杉朝定と、両軍入り乱れての戦いがあった場所。また、新田義貞の鎌倉攻めの時にも、ここで合戦があったと伝わっています。
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川越城

上杉氏が古河公方(足利氏)に対抗するために江戸城とともに築城。長禄元年(1457年)に太田道真・道灌父子により築城されました。嘉永元年(1848年)に再建された本丸御殿の一部が現在に残されています。
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太田道灌像(川越)

長禄元年(1457年)、足利氏の勢力に対抗する上杉氏の本拠地として、上杉持朝は家宰の太田道真、太田道灌父子に川越城の築城を命じました。川越市役所庁舎(川越城大手門跡)に、太田道灌の像が建てられています。
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仙波東照宮

元和2年(1616年)に薨去した徳川家康の法要は、久能山から日光山に改葬される元和3年に、天海によって喜多院で行われました。その際、後水尾天皇から東照大権現の勅額が下賜され、この地に東照宮が創建されました。日本三大東照宮の一つです。  
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天海大僧正像

埼玉県川越市にある喜多院の山門前にある南光坊天海の像。天海は、慶長4年(1599年)に無量寿寺北院の住職となり、慶長17年に北院の再建に着手し、寺号を喜多院と改め関東天台の本山としました。
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三ツ木城跡

  埼玉県桶川市にある城跡。城の居住者は、足立遠元、あるいは石井丹後守、 等の諸説があるとのことです。現在は城山公園として市民プールやテニスコ ート等を整備した公園になっています。  
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足立遠元館跡

  桶川市役所桶川東公民館の脇に足立遠元の館跡の碑があります。足立 遠元は足立氏の祖で、平治の乱で源義朝に従軍して功績を挙げ、馬術に 優れた武士であると「平治物語」に記述されているそうです。  
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砂久保陣場

  天文15年(1546年)の川越夜戦の時に、上杉憲政が陣を取ったところ。 憲政はこの砂久保に陣をとり、8万余騎の兵力で川越城を攻めましたが、 やがて援軍にかけつけた北条氏康の8千の兵により敗走させられました。  
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岡部六弥太墓

埼玉県深谷市普済寺に岡部六弥太忠澄の墓と伝わる塔があります。岡部六弥太忠澄は治承・寿永の乱の際には源氏方について出兵し、一の谷の戦いで、平家の名将平忠度を討ったことで知られる武将です。
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平忠度墓

平忠度は平安時代の平家一門の武将で平忠盛の六男、平清盛の異母弟。一ノ谷の戦いで、源氏方の岡部忠澄に討たれましたが、岡部忠澄は忠度の菩提を弔うため、現在の埼玉県深谷市の清心寺に供養塔を建立しました。
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源義賢墓

源義賢は源為義の次男で、源義朝の異母弟であり木曾義仲の父。久寿2年(1155年)8月、義朝に代わって鎌倉に下っていた甥・源義平に大蔵館を襲撃され、大蔵合戦に及んで義父・重隆とともに討たれました。
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清水八幡宮

埼玉県狭山市入間川に鎮座する木曾清水冠者義高を祀る神社。鎌倉に人質となっていた木曽義高は鎌倉を脱出しましたが、入間河原の八丁の渡で追いつかれ、藤内光澄によって討たれてしまいました。
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平将門首塚(浄誓寺)

埼玉県幸手市の浄誓寺境内に平将門の首塚と伝わる塚があります。平将門は天慶3年(940年)に藤原秀郷と平貞盛連合軍に敗れ、下総国で討たれましたが、将門の愛馬が将門の首をここに運んできたとのことです。
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静御前墓

源義経の内妻であった静御前は義経の後を追って平泉に向かう途中、文治5年(1189年)9月15日、現在の久喜市伊坂で悲恋の死を遂げ、侍女琴柱が遺骸を当時この地にあった高柳寺(現・中田光了寺)に葬ったとのことです。
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渋沢栄一像(生家)

渋沢栄一の生家である深谷市血洗島の旧渋沢邸「中の家」の敷地に和装に刀を持って立つ若いころの渋沢栄一の銅像が建てられています。この銅像はパリ万国博覧会で渡仏したころの栄一をモデルにしたものだそうです。
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渋沢栄一生家

渋沢栄一は天保11年(1840年)2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島村、現在の埼玉県深谷市血洗島に父・渋沢市郎右衛門元助、母・エイの長男として生まれましたが、その生家が現在も保存されています。
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渋沢栄一像(渋沢栄一記念館)

渋沢栄一の生誕地から程近くにある渋沢栄一記念館に建つ渋沢栄一像。現在埼玉県では渋沢栄一の功績にちなみ、健全な企業活動と社会貢献を行っている全国の企業経営者に「渋沢栄一賞」を授与しているそうです。
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畠山重忠産湯の井戸

畠山重忠は長寛2年(1164年)、武蔵国男衾郡畠山荘(現埼玉県深谷市)に、父畠山重能、母三浦義明の娘の2男として生まれ、そこで育ったとのことです。重忠の生誕地でもある館跡は、現在畠山重忠史跡公園となっています。
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畠山重忠墓

埼玉県深谷市畠山に畠山重忠の生まれた場所と伝わる館跡があり、現在そこは畠山重忠公史跡公園となっていて畠山重忠の墓があります。畠山重忠は、元久2年(1205年)6月、北条氏の陰謀に遭い二俣川で敗死しました。
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畠山重忠像(畠山重忠史跡公園)

畠山重忠は鎌倉幕府の有力御家人で、治承・寿永の乱でも活躍しました。鵯越の逆落としの際、大力の重忠は馬を損ねてはならずと馬を背負って坂を駆け下りましたが、その時の様子の像が畠山重忠歴史公園にあります。
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鉢形城跡

鉢形城は埼玉県大里郡寄居町大字鉢形にあった戦国時代の平山城。初めて築城したのは関東管領山内上杉氏の家臣である長尾景春と伝えられていて、その後、後北条氏が整備して上野国支配の拠点した城です。
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齋藤実盛像

斎藤実盛は武蔵国幡羅郡長井庄(現在の埼玉県熊谷市)を本拠とした武将。源義賢の遺児・駒王丸(後の木曽義仲)を窮地から救いましたが、加賀の国の篠原の戦いで義仲の部将手塚光盛によって討ち取られました。妻沼聖天山歓喜院に像があります。
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歓喜院

埼玉県熊谷市妻沼にある高野山真言宗のお寺で日本三大聖天の一つ。「妻沼聖天山」と称されることが多く、「埼玉の小日光」とも呼ばれています。武将齋藤別当実盛が、長井庄の総鎮守としたのが始まりとされています。
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