テーマ:墓所

大石内蔵助墓

大石良雄、通称大石内蔵助は播磨国赤穂藩浅野家の筆頭家老。元禄15年(1702年)12月15日未明、赤穂浪士を率いて吉良邸討ち入りを果たし、翌年2月4日、細川邸で切腹、主君と同じ高輪の泉岳寺に葬られました。
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浅野内匠頭長矩墓

浅野内匠頭長矩は播州赤穂藩藩主。元禄14年(1701年)3月14日、 殿中松の廊下で吉良上野介に突然斬りかかり即日切腹。ここから赤穂義士の物語が始まりました。浅野内匠頭の墓は浅野家と所縁のあった東京芝高輪の泉岳寺にあります。
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北条義時墓跡

鎌倉の源頼朝の墓から程近く、大江広元などの墓の下にある広場の部分。ここにはかつて、鎌倉幕府2代執権北条義時の墓があった法華堂跡とされているところで、1辺が8.4mの正方形の形をした「三間堂」があったそうです。
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最上義光公御霊屋

最上義光は最上氏第11代当主で、伊達政宗の伯父にあたる戦国期の武将。 関ヶ原の戦いでは東軍につき、最上家を57万石の大大名に成長させました。 最上義光と家臣等10名の位牌が、立石寺(山寺)に安置されています。
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藤原仲能墓

藤原仲能は鎌倉幕府第6代将軍宗尊親王の命を受け、七堂伽藍を有する海蔵寺を創建した人物。死後、道智禅師と云われ、位牌は海蔵寺にありますが墓はこの場所(現在は源氏山公園)にあったそうです。
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鼠小僧次郎吉墓

鼠小僧次郎吉は江戸時代後期に大名屋敷を専門に荒らした窃盗犯で、 盗んだ金を貧しい庶民に分け与えたという義賊伝説があります。しかし、 終には捕縛されて小塚原刑場で処刑。墓は両国回向院にあります。
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日野俊基墓

日野俊基は鎌倉時代の末期に討幕運動で活発に活動した廷臣。正中の変で一度捕えられましたが、その時は処罰は免れました。しかし、元弘の変で再度捕縛され、鎌倉の 葛原岡で斬首となりました。
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足利義氏(第5代古河公方)墓

足利義氏は第5代古河公方で、同名の足利義氏(足利家第3代当主)から数えて14代目の子孫。 父は第4代古河公方の足利晴氏でしたが、母は北条氏綱の娘の芳春院、 正室は北条氏康の娘の浄光院殿で、後北条氏の影響を大きく受けた古河公方でした。
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首供養塚

静岡県と神奈川県の県境にある足柄峠にある首供養塚。 ここは以前、足柄の関所があった所で、凶悪な盗賊や関所破りをした人達 を処刑し「さらし首」にした場所で、のちに供養塔を建て弔ったとのことです。
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内藤塚

群馬県高崎市箕郷町の善龍寺の南約200mの桑畑の中にある塚。 内藤修理が天正3年(1575年)の長篠の戦いで討死した後、子昌月が父の遺殻をここに葬り、昌月も天正16年(1588年)1月に逝去し、修理の側に葬られたと伝わっています。
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虎姫観音堂

群馬県庁の西側、利根川河畔にある六角形のお堂。厩橋城で酒井雅楽頭の身の回りの世話をしていたお虎という美しい娘が他の女中の嫉妬のために無残な死を遂げ、その霊を慰めるために建てられたとのことです。
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於大の方墓

  於大の方は松平広忠の正室で、徳川家康の母。晩年は伝通院と称しました。 慶長7年(1602年)に、現在の京都市伏見区の山城伏見城で75歳で死去し、 遺骨は現在の東京都文京区小石川の伝通院に埋葬されました。  
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日ノ岡宝塔

京都府京都市山科区日ノ岡、三条通沿いにある処刑された罪人の供養塔。粟田口には京都遷都から明治にかけて極刑場があり、そこで処刑された罪人は一万五千人にものぼり、昭和14年(1939年)に供養塔が建立されたそうです。
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浄菩提院塚陵墓参考地

京都市伏見区竹田東にある昇子内親王のものと推定されている陵墓。昇子内親王は後鳥羽天皇の第一皇女として生まれ、曽祖叔母の八条院の猶子として育てられましたが、建暦元年(1211年)に17歳で薨去したそうです。
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伏見桃山陵

明治45年(1912年)7月30日、明治天皇は東京の宮城・明治宮殿で崩御し、東京の帝國陸軍練兵場で大喪儀が執り行なわれ9月14日に埋葬されました。陵の敷地は豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地だそうです。
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都々一坊扇歌堂

常陸国分寺境内にある「都々逸節」の創始者、都々一坊扇歌の堂。都々一坊扇歌は、文化元年(1804年)に常陸太田市磯部に生まれ、嘉永5年(1852年)に当地石岡で、48歳で没したとのことです。
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青木昆陽墓

青木昆陽は江戸時代中期に薩摩芋の普及を図り、天明の大飢饉では多くの人々の命を救いました。後に「甘藷先生」と称され、墓は東京都目黒区下目黒の瀧泉寺飛び地境内の目黒不動墓地にあります。
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権八・小柴の比翼塚

東京都目黒区の目黒不動尊瀧泉寺の門前にある比翼塚。処刑された愛人平井(白井)権八と、彼の墓前で自害した遊女小紫の悲話は「後追い心中」として講談・浄瑠璃・歌舞伎・映画などで有名です。
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仙洞院墓

仙洞院は名は綾と伝わる上杉謙信の姉で上杉景勝の母。次男の景勝が実子のなかった謙信の養子となって上杉家の跡を継ぎ、晩年は上杉氏の移封とともに会津や米沢へと移っていきました。お墓は林泉寺にあります。
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甲州婦人菊姫墓

菊姫は武田信玄の五女で上杉景勝の正室であった女性。武田勝頼と上杉景勝が同盟を結んだときに同盟の証として上杉景勝に嫁ぎ、上杉家中からも才色兼備の賢夫人として敬愛されていたと伝わっています。
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直江兼続墓

山形県米沢市の林泉寺境内にある上杉家家老、直江兼続の墓。兼続の墓石と並んで妻の墓石がたち、夫と妻の墓石が共に同じ大きさというのは珍しいそうで、直江夫婦は仲睦まじかったとの伝承もあるそうです。
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武田信清の墓

武田信清は武田信玄の七男で、子供の頃法善寺に入り玄竜と号しました。後に兄・勝頼の命令で還俗しましたが、武田氏滅亡後、越後国の上杉景勝の正室であった異母姉・菊姫を頼って上杉氏に寄寓し、武田姓に復帰しました。墓は米沢市の林泉寺にあります。
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北条泰時墓

鎌倉市大船の常楽寺の境内にある鎌倉幕府第3代執権北条泰時の墓。北条泰時は鎌倉幕府第2代執権・北条義時の長男で、鎌倉幕府北条家の中興の祖として、御成敗式目を制定したことで有名です。
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新田義貞首塚(小田原)

新田義貞は北陸を転戦中の延元3年(1338年)に越前国藤島で討死しました。義貞の家臣宇都宮泰藤は晒された義貞の首を奪い返して上野国に向かう途中で病となり、止む無く義貞の首をこの地に埋葬したとのことです。
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理慶尼墓

理慶尼は武田晴信(武田信玄)の従妹に当たる戦国時代の女性。新府城から落ち延びてきた武田勝頼一行が大善寺に立寄った際の様子を物語調に「理慶尼記」(武田滅亡記、大善寺蔵)として記したそうです。大善寺境内に墓があります。
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足利尊氏墓

足利尊氏は室町幕府の初代征夷大将軍で、足利将軍家の祖。鎌倉公方足利基氏が父尊氏の菩提を弔うために建立したと伝えられる鎌倉の長寿寺に、足利尊氏の遺髪を埋めたと伝わる五輪塔があります。
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大江広元墓

源頼朝の墓のすぐ近くの斜面にある大江広元の墓と伝わるやぐらですが、長州藩が江戸時代につくったもので、広元の墓とする根拠はないそうです。大江広元は初代政所別当を務め、因幡毛利氏の祖とも云われています。
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毛利季光墓

鎌倉の源頼朝の墓の裏手の山腹に並ぶ3つのやぐらの中の一つ。毛利季光は、鎌倉幕府の政所初代別当を務めた大江広元の4男で、父の所領のうち相模国毛利庄(厚木市)を相続し、毛利氏の祖となった人物です。
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玉縄首塚

大永6年(1526年)に安房里見氏の鎌倉攻めの際に応戦して戦死した渡内福原氏や大船甘粕氏一族35名を供養した塚といわれています。後世に六地蔵が祀られ、その傍らに由来を記した石碑が建てられています。
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木曽家代々之墓

興禅寺は長野県木曽郡木曽町にある臨済宗妙心寺派のお寺で、 木曽義仲の追善供養のため、木曾氏が創建したと伝わっています。興禅寺の境内には木曽家代々之墓があります。
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