テーマ:崇徳上皇

御棺台石

香川県坂出市に鎮座する高家神社(血の宮)の境内にある六角形の石。崇徳上皇の御棺を八十場から白峯山へ御葬送の途中、高屋付近で天がにわかにかき曇り風雨雷鳴があったとのこと。葬送の列は御棺をしばらくこの地に安置しましたが、この時、御棺を休めたこの台石に血が流れ出たと伝わっています。
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十三重塔

香川県坂出市の白峰寺に至る150m程手前の参道脇に立つ2基の十三重塔。源頼朝が崇徳天皇菩提の為に建てた供養塔と伝えられていて、東塔は総高5.95mで弘安元年の刻銘があり花崗岩製で、西塔は総高5.62mで元亨4年の刻銘があり凝灰岩製とのことです。
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頓証寺殿

坂出市の白峰寺境内にある崇徳上皇の御廟所で、鼓岡の御所(木の丸殿)を移築したものと伝わっています。崇徳上皇崩御後、度々都で変事が続いたため、上皇の霊を祀る御廟所が建てられ、速やかに迷いを断ち悟りを開く供養を行うところから「頓証寺」と追号されたそうです。
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白峰御陵

保元の乱で敗れ讃岐の地に配流となった崇徳上皇は、8年後の長寛2年(1164年)8月6日に46歳で鼓岡で崩御されました。上皇のご遺体は白峯山稚児ヶ嶽の頂上で荼毘に付され御陵が築かれました。この御陵は四国で唯一の天皇陵です。
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松山の津

保元元年(1156年)7月、保元の乱に敗れ讃岐に配流となったた崇徳上皇は、最初に松山の津というところに着船したと伝えられていて、それがこの地とのこと。ここは現在は海岸線から1.8km程の距離になっていますが、当時は良港で、海岸から府中の国府に至る重要な場所であったそうです。
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雲井御所跡

崇徳上皇が国司庁の近くの鼓岡に移るまでの約3年間を過ごされた場所。上皇が都を懐かしがられ「ここもまた あらぬ雲井と なりにけり 空行く月の 影にまかせて」と詠まれた歌に因み雲井御所と呼ばれています。なお、この歌は長命寺の柱に書かれたとのことです。
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長命寺跡

讃岐に配流となった崇徳上皇は、讃岐国府の役人であった綾高遠の館を改修して仮の御所とされたそうです。しかし、上皇の仮御所として自邸では不敬があると考えた綾高遠は、上皇をすぐ傍の長命寺に移されたと伝えられています。長命寺はその当時、450m四方の境内地もつ大きなお寺だったそうです。
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崇徳天皇姫塚

崇徳上皇が讃岐に配流中、上皇を気付かった綾高遠は、自らの娘である綾の局に上皇の身の回りの世話をするように命じたと伝えられています。やがて、上皇と綾の局との間に皇子と皇女が誕生しましたが、幼くして亡くなられたと伝えられます。この姫塚はその皇女の墓であるとされています。
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椀塚

崇徳上皇は讃岐に配流となり、鼓岡の木ノ丸殿で6年間過ごされたのち、長寛2年(1164年)に崩御されました。木ノ丸殿跡から程近い所に上皇がご使用になっていた食器類を埋めたと伝わる塚があり、椀塚と呼ばれています。
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菊塚

崇徳上皇が鼓岡木ノ丸御所で過ごされていたときに、国府役人の綾高遠の娘である綾の局との間に皇子と皇女が誕生しました。上皇はこの皇子を顕末と名付けられ、菊の紋をつけて綾高遠に賜り、綾家の跡継ぎにされたと伝えられています。この皇子の墓が府中町鼓岡の北にあり、菊塚の名称で呼ばれています。
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擬古堂

香川県坂出市の鼓岡神社は、崇徳上皇が崩御するまでの6年間を過ごされた木の丸殿のあった場所です。その鼓岡神社の境内にあるこの建物は、大正2年(1913年)崇徳天皇750年大祭を行った際の記念建造物で、木の丸殿を偲ぶために建立されたものとのことです。
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鼓岡神社

香川県坂出市に鎮座する神社で、ご祭神は崇徳上皇。当時この辺りには国司庁があり、文化の中心として栄えたところだったそうです。雲井御所からこの地に移られた崇徳上皇が、長寛2年(1164年)8月に崩ぜられるまでの6年間、過ごされた場所とのことです。
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崇徳上皇 歌碑

坂出市の鼓岡神社の社殿に向かう石段の脇にある崇徳上皇の歌碑。  瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の  われても末に 逢わむとぞ思ふ 崇徳院が宮中にいた頃につくった和歌のひとつで、百人一首第77番、「詞花集」恋歌で広く知られています。
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内裏泉

崇徳上皇は雲井御所で3年間過ごされたあと、現在の坂出市府中町にある鼓ヶ岡の「木の丸殿」に移られました。崇徳上皇はこの鼓ヶ岡での6年間の御滞在中、この泉の水を飲用に使用されたと伝えられていて、現在でも内裏泉と呼ばれ大切にされているそうです。
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柳田

崇徳上皇はこの地で殺害されたと地元では伝わっているそうです。その説によると、村人から刺客の知らせを聞いた上皇は綾川方面へ逃げたそうです。当時の綾川沿いには柳が立ち並んでいて、上皇はその根元にあるほこらに隠れましたが、川に上皇の衣が映り刺客に見つかり、この場所で崩御せらたとのことです。
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岩根の桜

香川県坂出市に鎮座する白峰宮の近くにある桜の木の跡。保元の乱で敗れて讃岐に流された崇徳上皇が雲井御所御滞在の時、しばしお出ましになって御覧あそばされた桜だとのことです。
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白峰宮

香川県坂出市に鎮座する神社で主祭神は崇徳上皇。崇徳上皇は保元の乱に敗れ讃岐国へ配流されましたが、長寛2年(1164年)に崩御されました。上皇の崩御後、ご遺体を当地の清水に浸しておいたところ毎夜この辺りから神光が輝いたことから、二条天皇の宣旨を受け同年に造営されたと伝えられています。
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八十蘇場の清水

景行天皇の時代に悪魚を退治に向かった讃留霊皇子と80人の勇者が悪魚の毒に苦しみましたが、この泉の水を飲んだところ、たちまち蘇ったので、八十蘇場の清水と呼ばれるようになったとのこと。また、崇徳上皇はこの地で崩御しましたが、この泉に遺体を浸していたところ全く腐敗しなかったとの伝説があります。
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崇徳天皇御廟

崇徳上皇は保元の乱に敗れ、四国の讃岐で非業の死を遂げられました。上皇の寵愛を受けた阿波内侍が上皇の遺髪でここに塚を築いたとのこと。京都市東山区祇園町南側(祇園甲部歌舞練場敷地内)にあります。   
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