テーマ:鎌倉

竹御所墓

鎌倉の妙本寺境内にある竹御所(名は、鞠子あるいは媄子)の墓。竹御所は源頼家の娘で一幡の同母妹。公暁の異母妹と考えられていて、33歳で亡くなりましたが、源頼朝の最後の直系子孫だったそうです。
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佐助稲荷

源頼朝に挙兵を促し、勝利へ導いたとされる神霊を祀った神社。源頼朝(右兵衛権佐)を助けたということから、佐助稲荷と呼ばれていて、また、源頼朝を出世させたことから、出世稲荷とも呼ばれています。
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由比ガ浜

鎌倉市の相模湾に面した海岸の名称で、海水浴場として有名。静御前の産んだ男児が頼朝の命により遺棄された浜と伝えられ、また、和田義盛もここで戦死したと伝えられるなど、歴史の舞台ともなった浜です。
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静の舞

  「静の舞」は文治2年(1186年)、頼朝の命で鎌倉に召し出された源義経の 愛妾静御前が、吉野山で別れてきた愛する義経を偲んで舞ったと伝わる舞。 毎年春の鎌倉まつりの中で、鶴岡八幡宮の舞殿でを再現されています。  
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安部清明大神碑

安倍晴明は平安時代に、数々の霊験を現して名声を極めた陰陽師で、 鎌倉にも赴いてきたと伝えられ、数カ所に碑が建てられています。鎌倉 に建てられている碑では、安部清明と表記されています。  
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太平寺跡

  神奈川県鎌倉市西御門にある、来迎寺の門前に碑が建てられています。 鎌倉尼五山の筆頭として高い寺格を有していましたが、弘治元年(1556年) に発生した里見義弘による鎌倉攻撃の影響を受けて廃寺となったそうです。  
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吉田松陰留跡碑

  鎌倉市二階堂の瑞泉寺山門近くにある吉田松陰の滞在を示す碑。松陰 の母方の伯父が瑞泉寺の第25世住職「竹院和尚」で、松陰は寛永6年 (1853年)の6月中旬、竹院和尚に会いに瑞泉寺を訪れたそうです。  
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杉本寺

  行基が十一面観音を安置して創建したと伝わるお寺で、山号は大倉山。 天平6年(734年)の創建で、鎌倉最古の寺といわれています。 杉本城の斯波家長が北畠顕家に攻められ、この寺で自害したとのことです。  
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釈迦堂切通

  鎌倉の切通というと、鎌倉七口の切通が良く知られていますが、この切通は、 鎌倉内外を結ぶ道ではないため、その中には入っていません。釈迦堂はこの 洞門の北側西方にあったといわれ、字名として残されています。  
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新羅三郎墓

  神奈川県鎌倉市大町の大宝寺境内にある、新羅三郎の墓と伝わる宝塔。 新羅三郎とは、源義家の弟の源義光のことですが、近江国の新羅明神で 元服したことから新羅三郎と称したそうです。  
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魚町橋

  鎌倉市の大町四ツ角交差点の少し南を流れる逆川に架かる赤い欄干の橋。 この橋の近くには、町屋跡の碑も建てられていて、鎌倉の繁栄当時には、 商売屋が多く集まり、魚町という小町屋がこの辺りにあったものと思われます。  
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町屋跡

  鎌倉市の大町四ツ角交差点から少し南に行った所に碑が建てられています。 この辺りは、昔の鎌倉繁栄当時に商売屋が多く集まっていた所だったそうで、 その中央の大通を大町大路と呼んでいたそうです。  
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本興寺(鎌倉)

  鎌倉市大町にある日蓮宗のお寺で、 「辻の本興寺」と呼ばれています。 日蓮上人の鎌倉辻説法の由緒地に、延元元年(1336年)、日蓮の門弟 「九老僧」の一人の天目が、休息山本興寺として建立したお寺です。  
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下馬(鎌倉)

  鶴岡八幡宮に参る武士が、この辺で馬から降り た事からの命名だそうです。 幕末の元治元年10月22日(1864年11月21日)に、この付近で、英国人 士官2名が日本の武士に斬殺された事件、鎌倉事件が起きました。  
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源太塚

  鎌倉市笛田の佛行寺裏手にある、梶原源太景季の腕を埋めたとされる塚。 梶原景季は、宇治川の先陣争いで一番乗りを果たすなどの活躍をした武将 でしたが、父の梶原景時とともに、鎌倉を追放されて駿河国で敗死しました。  
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梶原景時墓(深沢小学校)

  梶原氏は坂東八平氏の流れをくむ鎌倉氏の一族であり、大庭氏とともに、 後三年の役で武勇を謳われた鎌倉権五郎景政の家系とのことです。鎌倉 市梶原の深沢小学校の裏手に梶原一族の墓とされる五輪塔があります。  
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泣塔

  泣塔は鎌倉市寺分、元JR東日本大船工場敷地脇に建つ宝篋印塔の通称。 新田義貞の鎌倉攻めの際の洲崎古戦場が付近にあり、塔の背後のやぐらに 葬られた戦死者を周辺の住民が弔う為に建てた塔と見られているそうです。  
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蓮華寺跡

  蓮華寺は、仁治元年(1240年)に、北条経時が建立し、寛元元年(1243年) に、材木座に移し、寺の名前を光明寺と改めたと伝えられています。北条時頼 が、建長3年に経時の菩提のために建てたとの説もあります。  
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佐助文庫跡

  佐介文庫は、金沢文庫と同じ時代にできたと想像され、北条氏の一族である 佐介氏が、その家の中に寺と文庫とを建てたようですが、 その作った人、 あった場所、規模、存続した期間などの詳しいことは分かっていないそうです。  
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大慈寺跡

  鎌倉市を通る金沢街道の明石橋の近くに、大慈寺跡の碑があります。 大慈寺は、建暦2年(1212年)に、第3代将軍源実朝が建立したお寺 で、勝長寿院の大御堂に対して、新御堂とも呼ばれていました。  
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関取場跡

この辺りは荏柄天神の参道と金沢街道がつながる処で、ここに後北条氏が、荏柄天神の修復費用を調達するために関所を設けたそうです。徒歩は5文、背負人は10文、里人と僧侶は無料だったとのことです。
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