テーマ:鎌倉

絵柄天神社

大宰府天満宮、北野天満宮と並び、菅原道真公をご祭神とする三天神社の一つ。鎌倉に幕府を開いた源頼朝が鬼門の守護神と仰ぎ、改めて社殿を造営したとのこと。学問の神様として、受験シーズンには沢山の参拝者で賑わいます。
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源頼朝の墓

源頼朝の墓は、大蔵御所があったとされる処の北側の斜面にありますが、元々は法華堂跡にあった墓が島津家により現在地に移されたそうです。石塔には島津家のものである「丸に十の字」の紋が確認されます。
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鶴岡八幡宮

宇佐八幡、石清水八幡宮、筥箱崎宮と並ぶ代表的な八幡宮で、源頼朝が鎌倉に本拠を定めたとき、鶴岡若宮をこの地に移したのが始まり。鎌倉武士の守護神として崇拝され、 境内は国の史跡に指定されています。
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竹御所墓

鎌倉の妙本寺境内にある竹御所(名は、鞠子あるいは媄子)の墓。竹御所は源頼家の娘で一幡の同母妹。公暁の異母妹と考えられていて、33歳で亡くなりましたが、源頼朝の最後の直系子孫だったそうです。
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薩摩屋敷事件戦没者の墓

江戸薩摩藩邸焼討事件は、慶応3年12月25日(1868年1月19日)に、三田にあった薩摩藩邸が江戸市中取締の庄内藩新徴組らによって襲撃、放火され焼失した事件のこと。薩摩藩、幕府方の両軍の戦死者を弔ったこの墓は、平成7年(1995年)に三田からこの鎌倉の妙法寺境内に移されたとのことです。
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大塔宮護良親王墓

鎌倉にある妙法寺の実質的な開山である日叡上人は、建武の新政の騒乱期に征夷大将軍ともなって活躍した大塔宮護良親王の子で、妙法寺の境内に父の墓をつくりました。なお、大塔宮護良親王の正式な墓は、鎌倉市二階堂の理智光寺跡にあります。
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松葉ヶ谷御小庵跡

日蓮上人が建長5年(1253年)から文永8年(1271年)までの18年間、鎌倉における布教伝道の拠点としたとされる場所。日蓮上人が「立正安国論」を著し、また、松葉ヶ谷法難のあった処ともされていますが、この妙法寺の他にも推定地があり、場所の確定はされていないとのことです。
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正岡子規歌碑(鎌倉)

鎌倉の安国論寺に、正岡子規の「鎌倉の松葉が谷の道の辺に法を説きたる日蓮大菩薩」の歌碑があります。正岡子規は、明治20年(1888年)と明治26年(1893年)の2度、鎌倉を訪問。同寺にも足を運び、日蓮に関する和歌や俳句を多く残しているそうです。
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南面窟

鎌倉の安国論寺境内奥の裏山の山腹にある洞窟。念仏勢力の激しい反発を招いた日蓮上人は、文応元年(1260年)8月27日の夜、松葉ヶ谷の草庵が多数の念仏者によって襲撃されました。その際、白猿に導かれて最初に避難した場所とされるのがこの洞窟とのことです。
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日郎上人御荼毘所

日朗上人は鎌倉時代の日蓮宗・法華宗の僧で、日蓮六老僧の一人。出家剃髪した場所で荼毘に伏して欲しいとの日朗上人の遺言により、元応2年(1320年)安国論寺にて荼毘に付されました。
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石清水井

鎌倉市材木座の元八幡(由比若宮)のすぐ近くにある井戸。由比若宮は京の石清水八幡宮(石清水井が名の由来)を勧請したもので、おそらく京の石清水八幡宮にある石清水井にちなんだ名称だと思われます。
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鎌倉駅旧駅舎時計台

鎌倉駅は明治22年(1889年)の開業。大正5年(1916年)に2代目駅舎が落成して時計塔がつくられました。昭和59年(1984年)に国鉄の駅舎が現在のものに改築された際に、この2代目駅舎時計塔が駅西広場へ移設され、現在は、鎌倉駅西口広場の待ち合わせ場所のよい目印となっています。
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大銀杏

鎌倉の鶴岡八幡宮の大石段の脇に立っていた大きな銀杏の木。3代将軍源実朝を暗殺した公暁が隠れていたという伝説から「隠れ銀杏」とも呼ばれていましたが、平成22年(2010年)3月10日未明、大変残念なことに倒れてしまいました。
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観月堂

鎌倉の大仏で知られている高徳院の境内にある観月堂。15世紀中頃、漢陽 (今日のソウル)の朝鮮王宮内に建築されたと伝えられる建物で、大正13年(1924年) に、杉野喜精氏によって、東京目黒の私宅から移築・寄贈されたとのことです。
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阿弥陀如来坐像

鎌倉市長谷にある高徳院の本尊で「鎌倉大仏」「長谷の大仏」として知られ、 像高約11.39メートル(台座を含め高さ13.35メートル)、重量約121トン。 鎌倉のシンボルともいうべき像で国宝に指定されています。
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明月院やぐら

北鎌倉の明月院の境内にあるやぐらで、間口が7m、奥行きが6m、 高さが3mあり、現存する鎌倉時代のやぐらとしては最大級のやぐらです。 内部には、上杉憲方の墓とされる宝篋印塔などが安置されています。
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六地蔵

和田塚から鎌倉駅方面に向かう途中の「六地蔵」交差点にある六体のお地蔵さま。 その昔、罪人は問注所で判決を受け、裁許橋を渡ってこの付近にあった刑場で処刑されたそうですが、その霊を慰めるために祀られたそうです。
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永福寺跡

永福寺は鎌倉時代初期、源頼朝が中尊寺の大長寿院を模して建立した寺院。 鶴岡八幡宮、勝長寿院と並んで当時の鎌倉の三大寺社の一つでした。 二階建てであったので二階堂とも称され、周辺の地名の由来になっています。
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佐助稲荷

源頼朝に挙兵を促し、勝利へ導いたとされる神霊を祀った神社。源頼朝(右兵衛権佐)を助けたということから、佐助稲荷と呼ばれていて、また、源頼朝を出世させたことから、出世稲荷とも呼ばれています。
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由比ガ浜

鎌倉市の相模湾に面した海岸の名称で、海水浴場として有名。静御前の産んだ男児が頼朝の命により遺棄された浜と伝えられ、また、和田義盛もここで戦死したと伝えられるなど、歴史の舞台ともなった浜です。
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十王堂橋

北鎌倉駅から少し大船方面へ行ったところにある小さな橋。鎌倉十橋の 一つで、昔この付近に十王堂があったための命名だそうです。十王堂に安置されていた十王はその後、円覚寺に移されたとのことです。
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鶴岡二十五坊跡

鶴岡八幡宮の社役を務める供僧(僧侶)が、八幡宮の北西に設けた二十五の住坊、及びその住持職の総称を鶴岡二十五坊と言ったとのこと。源実朝を暗殺した公暁が隠れた備中阿闍梨の家もここにあったそうです。
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景清窟

平氏の侍大将平景清が幽閉されたという牢の跡。平景清は源頼朝の暗殺を企て、東大寺の転害門に隠れていたと伝わっています。横須賀線方面から化粧坂に向かう途中の左側にあります。
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若宮大路

鎌倉の鶴岡八幡宮から由比ヶ浜まで南に向かって真っ直ぐに通っている道。源頼朝が鎌倉入り直後、政子の安産を祈ってつくったと云われています。真中に段葛があり、日本の道100選にも選ばれている道です。
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静の舞

「静の舞」は文治2年(1186年)、頼朝の命で鎌倉に召し出された源義経の愛妾静御前が、吉野山で別れてきた愛する義経を偲んで舞ったと伝わる舞。毎年春の鎌倉まつりの中で、鶴岡八幡宮の舞殿で再現されています。
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安部清明大神碑

安倍晴明は平安時代に、数々の霊験を現して名声を極めた陰陽師で、鎌倉にも赴いてきたと伝えられ、数カ所に碑が建てられています。鎌倉に建てられている碑では、安倍晴明ではなく安部清明と表記されています。
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太平寺跡

鎌倉市西御門にある来迎寺の門前に碑が建てられています。鎌倉尼五山の筆頭として高い寺格を有していましたが、弘治元年(1556年)に発生した里見義弘による鎌倉攻撃の影響を受けて廃寺となったそうです。
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吉田松陰留跡碑

鎌倉市二階堂の瑞泉寺山門近くにある吉田松陰の滞在を示す碑。松陰の母方の伯父が瑞泉寺の第25世住職「竹院和尚」で、松陰は寛永6年(1853年)の6月中旬、竹院和尚に会いに瑞泉寺を訪れたそうです。
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杉本寺

行基が十一面観音を安置して創建したと伝わるお寺で山号は大倉山。天平6年(734年)の創建と伝わり鎌倉最古の寺といわれています。杉本城の斯波家長が北畠顕家に攻められ、この寺で自害したとのことです。
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釈迦堂切通

鎌倉の切通というと鎌倉七口の切通が良く知られていますが、この切通は鎌倉内外を結ぶ道ではないため、その中には入っていません。釈迦堂はこの洞門の北側西方にあったといわれ、字名として残されています。
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