テーマ:鎌倉

新羅三郎墓

鎌倉市大町の大宝寺境内にある新羅三郎の墓と伝わる宝塔。新羅三郎とは、源義家の弟の源義光のことですが、近江国の新羅明神で元服したことから新羅三郎と称したそうです。
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魚町橋

鎌倉市の大町四ツ角交差点の少し南を流れる逆川に架かる赤い欄干の橋。この橋の近くには、町屋跡の碑も建てられていて、鎌倉の繁栄当時には、商売屋が多く集まり、魚町という小町屋がこの辺りにあったものと思われます。
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町屋跡

鎌倉市の大町四ツ角交差点から少し南に行った所に碑が建てられています。この辺りは、昔の鎌倉繁栄当時に商売屋が多く集まっていた所だったそうで、その中央の大通を大町大路と呼んでいたそうです。
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本興寺(鎌倉)

鎌倉市大町にある日蓮宗のお寺で 「辻の本興寺」と呼ばれています。日蓮上人の鎌倉辻説法の由緒地に、延元元年(1336年)、日蓮の門弟「九老僧」の一人の天目が休息山本興寺として建立したお寺です。
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下馬(鎌倉)

鶴岡八幡宮に参る武士が、この辺で馬から降り た事からの命名だそうです。幕末の元治元年10月22日(1864年11月21日)に、この付近で、英国人士官2名が日本の武士に斬殺された事件、鎌倉事件が起きました。
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源太塚

鎌倉市笛田の佛行寺裏手にある梶原源太景季の腕を埋めたとされる塚。梶原景季は、宇治川の先陣争いで一番乗りを果たすなどの活躍をした武将でしたが、父の梶原景時とともに、鎌倉を追放されて駿河国で敗死しました。
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梶原景時墓(深沢小学校)

梶原氏は坂東八平氏の流れをくむ鎌倉氏の一族であり、大庭氏とともに、後三年の役で武勇を謳われた鎌倉権五郎景政の家系とのことです。鎌倉市梶原の深沢小学校の裏手に梶原一族の墓とされる五輪塔があります。
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泣塔

泣塔は鎌倉市寺分、元JR東日本大船工場敷地脇に建つ宝篋印塔の通称。新田義貞の鎌倉攻めの際の洲崎古戦場が付近にあり、塔の背後のやぐらに葬られた戦死者を周辺の住民が弔う為に建てた塔と見られているそうです。
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流鏑馬馬場

鶴岡八幡宮の境内を東西に通り、毎年流鏑馬神事が行われる馬場。この流鏑馬神事の馬場に使用されている道は、その昔には鎌倉道、後の鎌倉街道と呼ばれる道の起点だったと考えられているそうです。
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蓮華寺跡

蓮華寺は仁治元年(1240年)に北条経時が建立し、寛元元年(1243年)に材木座に移し、寺の名前を光明寺と改めたと伝えられています。北条時頼が建長3年(1251年)に経時の菩提のために建てたとの説もあります。
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佐介文庫跡

佐介文庫は金沢文庫と同じ時代にできたと想像され、北条氏の一族である佐介氏がその家の中に寺と文庫とを建てたようですが、 その作った人、あった場所、規模、存続した期間などの詳しいことは分かっていないそうです。
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宝戒寺

鎌倉にある天台宗の寺で「萩の寺」として知られています。歴代の鎌倉幕府執権の屋敷跡で、鎌倉幕府滅亡後に北条高時慰霊のため、後醍醐天皇がその屋敷跡に建立したと伝わっています。
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大慈寺跡

鎌倉市を通る金沢街道の明石橋の近くに、大慈寺跡の碑があります。大慈寺は、建暦2年(1212年)に、第3代将軍源実朝が建立したお寺で、勝長寿院の大御堂に対して、新御堂とも呼ばれていました。
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大江広元邸跡

大江広元は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての朝臣。はじめは朝廷に仕える下級貴族でしたが、鎌倉に下って源頼朝の側近となり、鎌倉幕府の政所初代別当を務め、幕府創設に貢献しました。
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梶原景時邸跡(鎌倉十二所)

梶原景時は石橋山の戦いで源頼朝を救ったことから、頼朝に重用された御家人として知られています。教養があり和歌を好み、武家百人一首にも選出されていました。碑もありませんが、明王院の奥が梶原景時邸跡と云われている場所です。
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足利公方邸跡

鎌倉市の金沢街道沿いの道明寺にある足利家代々の館跡。鎌倉幕府創成期の足利義康が屋敷を構えたのがこの場所で、以後、足利尊氏、室町時代の鎌倉公方もここを館にしたとのことです。
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青砥藤綱邸跡

青砥藤綱は、鎌倉時代後期の、北条時頼、北条時宗に仕えていた武士。青砥藤綱には、ある夜のこと、滑川を渡るときに、お金10文を川に落としてしまいましたが、50文で松明を買って、お金を探したと言う逸話が残っています。
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歌の橋

鎌倉市の金沢街道が二階堂川に架かる小さな橋で、鎌倉十橋の一つ。渋川兼守が、和田合戦に関わる謀反の疑いで処刑されそうになったとき、将軍の実朝が渋川兼守の歌を聞いて罪をゆるしたことに由来するそうです。
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畠山重忠邸跡

畠山重忠は武蔵国男衾郡畠山郷を領した鎌倉時代初期の武士で、忠義に篤く質素を好み、坂東武士の鑑とされる人望を集めた御家人でした。畠山重忠の館跡の碑が、鶴岡八幡宮の東の鳥居のすぐ近くにあります。
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染谷太郎大夫時忠邸跡

染屋時忠は藤原鎌足の4代目の子孫で、父親は奈良東大寺の僧良弁。文武天皇の時代より聖武天皇の時代の間、鎌倉に住んで関東諸国の総司令官を務め、由比長者といわれたそうです。
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長楽寺跡

長楽寺は、北条政子が源頼朝の菩提を弔うため、嘉禄元年(1225年)に、長谷笹目ヶ谷(鎌倉文学館付近)に創建した寺と伝えられています。元弘の乱で焼失し、大町の善導寺に統合されて安養院長楽寺となりました。
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鎌倉文学館

鎌倉市長谷にある、鎌倉ゆかりの文学、特に鎌倉文士をテーマにした鎌倉市立の資料館で、もとは前田侯爵家の鎌倉別邸でした。前田家から鎌倉市に寄贈され、昭和60年(1985年)に開館しました。
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収玄寺

鎌倉市にある日蓮宗のお寺で、日蓮の信者であった鎌倉時代の武士四条頼基(四条金吾)の邸宅跡に、江戸時代後期に創建されたとのこと。境内に東郷平八郎の揮毫による「四条金吾邸址」の石碑があります。
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広木松之助墓

広木松之助は桜田門外で大老井伊直弼を討った水戸藩の浪士の一人。幕府の追求を逃れ、鎌倉市大町の上行寺に潜伏していましたが、同志が次々と捕らえられ、自らにも追手が迫ってきたため、切腹したということです。   
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大多福稲荷大明神

神奈川県鎌倉市の大宝寺境内にある佐竹氏の守護神社。佐竹氏の遠祖にあたる源義光は、後三年の役の戦勝は日頃信仰していた多福大明神の加護であるとし、この地に多福神社を建てたと伝わっています。
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大宝寺

鎌倉市大町にある日蓮宗の寺院で、境内は「佐竹屋敷跡」と伝わっています。佐竹氏の遠祖にあたる源義光がこの地に居住し、その後、この地は源頼朝により佐竹秀義へ与えられて、代々佐竹氏の居館となったとのことです。   
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三浦義明墓

三浦 義明は三浦半島にある衣笠城の城主で、多々良三郎重春はその孫。三浦一族は源頼朝の挙兵に加担して、平家方に攻められて、衣笠城は落城。三浦義明、多々良三郎重春と一族の墓が、鎌倉材木座の来迎寺にあります。    
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補陀落寺

鎌倉市材木座にある真言宗大覚寺派のお寺で、山号は南向山。創建は養和元年(1181年)で、開山は文覚上人、開基は源頼朝とのこと。たびたび竜巻に襲われているため、別名「竜巻寺」との別名もあるそうです。    
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九品寺

鎌倉市材木座にある浄土宗のお寺で山号は内裏山。この地は新田義貞が鎌倉攻めの際に本陣を構えたところとされ、幕府滅亡後、北条方の死者の菩提を弔うために、新田義貞が創建したと伝えられています。    
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実相寺

鎌倉の材木座にある日蓮宗のお寺。文永8年(1271年)に、日蓮の弟子の日昭が一門の教化・統率の拠点として開いた濱土法華堂が始まりとのこと。曽我兄弟の仇討事件で敵とされた工藤祐経の屋敷跡でもあります。    
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