テーマ:城郭

早川城跡(城山公園)

早川城は現在の神奈川県綾瀬市を流れる相模川の支流目久尻川左岸の舌状台地南端部にあった城。鎌倉時代の御家人・渋谷重国の築城と伝わっていますが、史料に乏しく実態は不明とのこと。現在は「城山公園」として整備されており、平成20年(2008年)には、神奈川県指定史跡となりました。
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高松城跡

天正15年(1587年)讃岐の領主となった生駒親正によって「野原」と呼ばれた港町に築かれた城。現在見られる遺構は、江戸初期に徳川光圀の兄で常陸国から12万石で高松に移封された松平頼重によって改修されたものとのこと。高松城は別名玉藻城とも 呼ばれ、現在は玉藻城公園として整備されています。
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新田金山城跡

群馬県太田市のほぼ中央にそびえる金山に築かれた山城で「太田金山城」、「金山城」の別名があります。文明元年(1469年) 新田一族である岩松家純によって築城され、日本100名城、関東七名城の一つとされています。
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備中松山城

岡山県高梁市にある山城で、別名は高梁城。城跡が国の史跡になっていて、江戸時代に建造された天守や二重櫓等が重要文化財に指定されています。また標高430 mの臥牛山山頂にあり、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある城です。
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岩国城

山口県岩国市にあった山城で、吉川広家により慶長13年(1608年)に竣工。 その後、一国一城令により廃城。昭和37年(1962年)に、麓からの見栄えを重視して本来の天守台より約30m南側に復興天守が建てられました。
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広島城の暗渠跡

広島城の南側にある地下歩道を少し入った所の壁に案内板が設置され ています。この暗渠は、かつて広島城の内堀と中堀を結んでいたもので、 堀の水量の調節のためのものだったと考えられているそうです。
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広島城天守閣礎石

広島城の天守閣は原爆で破壊されてしまいましたが、その後昭和33年 (1958年)に再建されました。その際、もと天守閣柱下の礎石が掘りおこされ天守閣の直ぐ近くのこの場所に原型のまま移され保存されています。
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広島城

現在の広島市中区に築かれた安土桃山時代から江戸時代にかけての城。 毛利輝元が太田川河口のデルタ地帯に築いた平城で、名古屋城、岡山城と 共に日本三大平城に数えられ、日本100名城の一つにも選定されています。
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富士塚城址

横浜市泉区下飯田の富士塚公園に「富士塚城址」の碑が建てられています。飯田五郎家義の館があったとされているところで、飯田家義は石橋山の合戦で、大庭景親に従いながらも頼朝の危機を救ったと伝わっています。
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足利城跡

栃木県足利市にある標高250mの両崖山に平安時代後期に築城され た山城の跡。両崖山城とも呼ばれていたこの城を巡っては4度の 合戦が勃発していて、其々足利城の戦いと呼ばれています。
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白石城

江戸幕府の一国一城制のもとでも対象外とされて明治維新まで存続していた現在の宮城県白石市にあった仙台藩の支城だった城。平成7年に三階櫓 (天守閣)と大手一ノ門・大手二ノ門が史実に忠実に木造で復元されました。幕末に奥羽越列藩同盟を結成するきっかけとなった白石会議が行われた処でもあります。
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龍岡城東通用門

龍岡城は慶応3年(1867年)、龍岡藩主・松平乗謨によって佐久に築かれ た星形の城郭で、函館の五稜郭と並び、日本に2つしかない五稜郭です。 東通用門が参道にぴんころ地蔵のある成田山薬師寺に移築されています。
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伴野城跡

長野県佐久市野沢にある鎌倉時代以来の伴野氏の館跡、後の野沢城の本丸にあたる地域で、周囲には堀の名残と思われる水路が巡っています。 水路と共に土塁跡でも囲まれた平地は、現在は城山公園として整備されています。
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小諸城跡(懐古園)

小諸城は武田信玄の東信州経営のために縄張りされた城で、酔月城、穴城、白鶴城、鍋蓋城、などの別名を持ち、日本100名城の28番に選定されています。現在は、市営公園小諸城祉懐古園として整備されています。
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観音寺

長野県長野市篠ノ井横田にある真言宗豊山派のお寺。 横田河原の合戦や大塔合戦の頃は、千曲川岸の近くにあり自然堤防上に位置するこの辺りに「横田砦」が存在したとする説があるそうです。
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石崎遺跡

秋田県南秋田郡五城目町の田圃の中にある古代の最北の城柵跡。 奈良・京都を中心とする朝廷の出先機関と考えられ、出羽北部の秋田方面で重要な軍事的・政治的役割を果たしていた施設と考えられているそうです。
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彦根城

江戸時代初期に井伊直勝が築城し、幕末まで井伊家14代の居城だった城。 井伊家からは5代6度にわたり大老が輩出され、井伊直弼もその一人でした。 天守閣は現存12天守の一つで、国宝に指定されています。
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長浜城

天正元年(1573年)、浅井氏攻めの功績で羽柴秀吉が浅井氏の旧領であったこの地を信長から拝領して築城した城。この城は秀吉の最初の居城で、秀吉はそれまでの今浜という地名を長浜と改名し、秀吉の城下町経営の基礎を醸成した所です。
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小谷城跡

小谷城は長浜市湖北町伊部(旧・近江国浅井郡)にあった戦国時代の城。 戦国大名浅井氏3代の居城であり、堅固な山城として知られていました。しかし、織田信長に攻められて、天正元年(1573年)9月1日についに落城し、浅井氏は滅亡しました。
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龍岡城址

元治元年(1864年)築城開始、慶応3年(1867年)完成の西洋式城郭。 函館五稜郭と同じく五芒星形の城で、龍岡五稜郭とも呼ばれています。 城跡は現在、佐久市立田口小学校として利用されています。
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伊治城跡

奈良時代の神護景雲元年(767年)に大和朝廷により造営された城柵跡。 蝦夷の指導者であった伊治呰麻呂は宝亀11年(780年)、この城柵で 反乱を起こし、多賀城まで攻め込んで多賀城を焼き払ったととのことです。
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志波城跡

志波城は征夷大将軍坂上田村麻呂が造営した古代城柵。 延暦22年(803年)の造営で、陸奥国の最北端の城柵となりました。 現在は、志波城古代公園として整備されています。
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徳丹城跡

徳丹城は現在の岩手県紫波郡矢巾にあった古代の城柵。 この地域には志波城がありましたが、水害を理由に徳丹城が造営されたとのこと。 弘仁3年(812年)の造営で、律令制最後の城柵だそうです。
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城生冊跡

宮城県加美町城生にある奈良時代の遺跡。 八脚門跡などが確認されていることから、官衙の跡ということは確実で、 律令国家による東北地方支配の拠点の一つとみられるているそうです。
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那古野城跡

現在の名古屋城のある処に今川氏親が築城した城で、 織田信秀がこの城を奪い古渡城に移るまでの居城としていたとのことです。また、 織田信長はここで生まれて清須に移るまで、ここを居城としていたそうです。
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名古屋城

姫路城、熊本城とともに日本三名城に数えられている城で「尾張名古屋は 城で持つ」といわれています。織田信長誕生の城と云われる那古野城跡に徳川家康が築城しました。現在、本丸御殿の復元工事中です。
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唐沢山城跡

唐沢山城は藤原秀郷が築城したと伝わる山城で、関東七名城の一つ。 唐沢山(247m)の上にあり、関東一の山城とも称されていて、戦国時 代には上杉謙信の10度に及ぶ攻撃を撃退したと伝わっています。
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宇都宮城

平安時代に藤原秀郷あるいは藤原宗円が築城したと伝わる城。江戸時代初期 の宇都宮城釣天井事件の舞台として知られ、また幕末には、戊辰戦争で攻 防戦の舞台ともなった所です。
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松江城

関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾氏が月山富田城からここに築城して移転。 江戸時代初期構造の天守閣が現存していて、国宝に指定予定とのことです。 周囲には城下町の風情を留める街並みも残されています。
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福山城

大坂夏の陣のあと、西国有力大名への抑えとして築城された城。久松城、 葦陽城とも呼ばれ、日本100名城にも選定されています。幕末には幕府側の重要拠点であったため、新政府軍から攻撃されました。
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