テーマ:館跡

国木田独歩住居跡

国木田独歩は千葉県銚子生まれの小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。 明治29年(1896年)に現在の渋谷区のNHK放送センターの南側に移り住み、翌明治30年(1897年)6月麹町に移ったそうです。
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遍奇館跡

現在の東京都港区六本木で、作家永井荷風が大正9年(1920年)から 昭和20年(1945年)の空襲で焼けるまで25年間住んだ処。偏屈な変わり者を自認し、ペンキ塗り木造2階建ての洋館をもじって偏奇館と命名したそうです。
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江川太郎左衛門屋敷跡

東京都墨田区、すみだ北斎美術館のすぐ近くに案内板がたてられています。 江川英龍は江戸時代後期の幕臣で伊豆韮山代官。近代的な沿岸防備の 手法に強い関心を抱き、品川台場を築造し、また反射炉の建造に取り組みました。
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七条仏所跡

京都市下京区材木町にある定朝の子とされる覚助を祖とする仏師の工房跡。鎌倉時代にはこの仏所から5代康慶、6代運慶、7代湛慶および 快慶らが相次いであらわれ、剛健写実的な作品を生み出していきました。
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左女牛井戸跡

左女牛井は京の名水の一つで、堀川五条のやや南に碑が建てられています。この辺りは、源頼義・義家・為義・義朝・義経などが居を構えた六条堀川館があった所とのことで、この左女牛井はその源氏の本拠地の邸内にあったそうです。
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加賀藩邸跡

加賀藩は102万石を誇った最大の外様大名で、前田家が代々藩主でした。 高瀬川の西側、河原町通にいたる間は、江戸時代に加賀藩の藩邸があった処で、留守居役が詰め、各種の連絡事務に当たっていたそうです。
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白川南殿跡

平安時代後期(11~12世紀)、白河とよばれたこの地には上皇の御所が設けられていました。その内の一つである白河南殿は「白河泉殿」、「南本御所」ともよ ばれ、阿弥陀堂があったことから「白河阿弥陀堂御所」とも称されたそうです。
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酒井家上屋敷跡

皇居(江戸城)大手濠の近くにある将門塚と同じ敷地に案内板があります。 江戸時代の寛文年間、この地は酒井雅楽頭の上屋敷の中庭があった処で、 伊達騒動の終末、伊達安芸・原田甲斐が殺害されたところだそうです。
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滝沢馬琴の硯の井戸跡

滝沢馬琴は「南総里見八犬伝」の作者として知られている江戸時代の小説家。 寛政5年(1793年)に27歳で当時飯田町中坂と呼ばれたこの地の履物商伊勢屋に婿入りし、58歳で神田同朋町に移るまでここに住んでいたそうです。
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磯御殿

鹿児島市吉野町字磯にある仙巌園は薩摩藩主島津氏の別邸跡。別名を磯庭園とも呼ばれているこの庭園は、昭和33年(1958年)に国の名勝に指定されました。磯御殿は仙巌園の中心的な建物です。
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大久保彦左衛門屋敷跡

大久保彦左衛門は三河以来徳川家康に付き従った徳川家古参の家臣。 家康死去後、他の家臣たちともに駿河からこの地に移り住んだとのことで す。晩年には武士の生き方を子孫に伝えた「三河物語」を書き残しました。
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尾張名古屋藩徳川家屋敷跡

尾張徳川家は徳川家康の9男義直に始まる家で、紀伊家、水戸家と共に御三家と称されていました。明治5年(1872年)、この地域は紀伊徳川家・尾張徳川家・ 井伊家の頭文字を合わせて、「紀尾井町」という町名になりました。
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千駄ヶ谷邸跡

江戸城を明け渡した徳川家が明治10年(1877年)に移り住んだ地。当時は約10万坪の敷地があったそうで、天璋院篤姫もここで暮らし、その生涯を閉じた処です。現在は東京体育館となっています。
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廣福寺

川崎市多摩区枡形の枡形城址の北側のふもとにあるお寺。廣福寺の寺地は、 源頼朝の有力御家人の一人であった稲毛三郎重成の館跡ともいわれており、 観音堂の裏には重成の墓といわれている五輪塔が伝えられています。
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戸定邸

千葉県松戸市松戸にある水戸藩最後の藩主、徳川昭武が造った別邸。国の重要文化財で、重要文化財指定名称は旧徳川家住宅松戸戸定邸。現在は松戸市に寄贈され、「戸定が丘歴史公園」として整備されています。
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河越館跡史跡公園

河越館跡は、平安時代から南北朝時代まで、武蔵国の中で有数の勢力を誇った武士・河越氏の居館跡で、昭和59年(1984年)に国指定遺跡となり、平成21(2009年)には、川越市管理の史跡公園としてオープンいたしました。
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高安寺

東京都府中市、大國魂神社の西に位置する曹洞宗のお寺で、平安時代に藤原秀郷が武蔵国府近郊の居館を市川山見性寺に改めたのが始まりとのこと。後に足利尊氏が臨済宗の禅寺として再興し、高安寺となったそうです。
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ヘボン博士邸跡

横浜の山下公園の近く、横浜中税務署の前にあるヘボン博士邸跡の碑。ヘボン博士は幕末に訪日し、横浜で医療活動を行って横浜の近代医学の基礎を築き、また、ヘボン式ローマ字を考案したことで知られています。
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旧安田庭園

東京都墨田区にある潮入り回遊式庭園として整備された大名庭園。江戸時代には、大名の庭園でしたが、明治22年(1889年)、安田財閥の祖である安田善次郎が所有することになり、現在は墨田区が管理しています。
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水戸徳川邸跡

東京を流れる隅田川の両岸にある隅田公園の墨田区側に碑があります。ここは江戸時代、水戸徳川家の下屋敷・小梅別邸が置かれたところで、幕末に水戸学者、藤田東湖が蟄居の日々を送ったのもこの屋敷内とのことです。
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北条常盤邸跡

鎌倉市常盤にある遺跡。常盤邸は鎌倉幕府第7代執権北条政村の別荘として建てられたとされ、敷地内には門柱の跡ややぐら、法華堂跡が残されています。また、常盤の名は政村の号、常盤院覚崇に由来しているとのことです。
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小石川後楽園

東京都文京区にある都立庭園。水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園で、国の特別史跡及び特別名勝。徳川光圀が明の遺臣朱舜水の選名によって「後楽園」と命名して完成させました。
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足立遠元館跡

桶川市役所桶川東公民館の脇に足立遠元の館跡の碑があります。足立遠元は足立氏の祖で、平治の乱で源義朝に従軍して功績を挙げ、馬術に優れた武士であると「平治物語」に記述されているそうです。
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大泉寺

静岡県沼津市にある曹洞宗のお寺で、阿野全成の館跡でもあります。阿野全成の幼名は今若で、牛若(源義経)の同母兄にあたり、源平の争乱後に駿河の阿野荘を賜って阿野全成と呼ばれるようになったそうです。    
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陣屋

秦野市の鶴巻温泉にある陣屋旅館の通称で知られている旅館。この陣屋の地は鎌倉幕府の時、源頼朝の側近で四天王の一人と言われた侍所別当、和田義盛公の陣地だったとのことです。
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英勝寺

鎌倉の扇ガ谷、扇谷上杉家の宰相であった太田道灌の館跡にあるお寺。開基は、太田道灌の末裔であり徳川家康の側室であった梶(勝)の方。家康の死後、落飾して永勝院と称し、英勝寺を建立しました。
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真田邸

長野市松代町にある松代藩主真田家の屋敷だったもので、現在は長野市の所有になっています。江戸時代末期に9代藩主真田幸教が当初は義母お貞の方の住居として建築し、やがて隠居した幸教の住居となり、明治以降は真田家の私宅となっていました。
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江田館跡

平成12年(2000年)に国指定史跡に指定された群馬県太田市にある新田荘遺跡。鎌倉攻めに従軍した江田行義の館跡であり、その後、戦国時代には金山城主横瀬氏の家臣矢内四郎左衛門が館を拡張して住んだと伝えられています。
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伊東家館跡

伊東氏は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて伊豆国田方郡伊東荘を本貫地としていた豪族で、藤原為憲の流れを汲む工藤氏の一支族。館跡は現在物見塚公園として整備され、伊東祐親像が建てられています。
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北条時房邸跡

鎌倉の若宮大路から小池小路を少し入ったところに石塔が建てられてます。北条時房は、北条政子・北条義時の異母弟で、鎌倉幕府初代連署。また此処は元々は、摂津守小池民部太夫藤原久時の屋敷だった処だそうです。
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