テーマ:東海道

旧古町橋跡

この場所には江戸時代初期の東海道が帷子川をわたる「古町橋」があったそうです。かねてから暴れ川として氾濫を繰り返していた帷子川の改修が昭和38年(1963年)に決定され、その際の帷子川の流路変更に伴い、現在の古町橋は昭和41年(1966年)に、ここから約120m北に架設されました。
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一里塚跡(遊行寺坂)

日本橋から数えて12番目の一里塚の跡で、藤沢市大鋸の旧東海道、遊行寺坂の途中にあります。遊行寺坂は当時は道場坂と呼ばれていた可なりな急勾配の坂で、その坂の頂上に一里塚があり榎が3本植えられていたそうです。     
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原宿一里塚

横浜市戸塚区原宿の国道1号線沿いにある一里塚の跡。原宿の一里塚は、 起点の江戸日本橋から測って11番目にあたっている一里塚。塚の付近に茶店などがあったので、原宿と呼ばれるようになったのことです。
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大坂松並木跡

横浜市戸塚区にある旧東海道の松並木の跡。徳川家光の時、日照りが続き、歩行者のために街道筋に松が植えられた伝わっています。天気の良い日には松並木から素晴らしい富士山が眺められ、多くの浮世絵の画題になったそうです。
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大山道道標

横浜市戸塚区柏尾町の国道1号不動坂交差の点近くにある大山道道標。 大山道は各地と大山(丹沢)を結ぶ道で、江戸時代に大山詣をする人たち で大変に賑わいました。ここは当時の東海道から大山道への入口となった場所で、追分不動尊もお祀りされています。
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益田家のモチノキ

横浜市戸塚区柏尾町に生育していたモチノキの大樹で、通称「相模モチ」。 樹齢約300年と推定され、江戸時代以来、東海道沿いにその威容を誇ってきた歴史的価値のある樹木として県指定天然記念物となっていましたが、令和元年(2019年)6月に枯死したとのことです。
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品濃坂上

品濃坂は旧東海道が環状2号線を歩道橋で跨ぐところにある坂。江戸時代には、朝早く江戸を発ち戸塚宿で泊まる旅人には宿場町までもう一歩の所で、江戸方面へ向う旅人にとっては境木の立場まであと一息のところでした。
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品濃一里塚

横浜市戸塚区にある一里塚の跡。東海道には江戸初期、日本橋を起点として一里(約4km)ごとに、道の両側に土を高く盛った塚が築かれました。江戸から9番目の品濃一里塚は、保存状態が良く県の史跡に指定されています。
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焼餅坂

横浜市戸塚区、旧東海道を境木地蔵尊から信濃一里塚に向かう途中にある坂。昔、焼餅を売る茶店があったことから坂の名になったといわれ ていますが、別名牡丹餅坂とも呼ばれています。
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武相国境之木

横浜市保土ケ谷区の旧東海道の権太坂頂上が、かつて武蔵国と相模国との国境になっていました。江戸時代にはその印の木柱が建てられていて、それが境木の地名の由来となっているそうです。
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境木立場跡

宿場と宿場の間に馬子や人足の休息のためなどに設けられたのが立場。 境木の立場は権太坂、焼餅坂、品濃坂と難所が続くなか、西に富士、東に江戸湾を望む景観のすばらい高台で、旅人が必ず足をとめる名所でした。
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投込塚之跡

旧東海道から少し外れた現在の横浜市保土ヶ谷区の境木中学校から少し東に行ったところにある投込塚跡。権太坂はきつい坂で、東海道を旅する旅人の行倒れも多く、この辺りに亡くなった人を投げ込む塚があったそうです。
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権太坂

横浜市保土ケ谷区にある旧東海道を江戸から西へ向かう際、最初の急勾配として知られていた坂。坂の名の由来は、老人に坂の名前を尋ねたところ、 自分の名前を聞かれたと思い「権太」と答えたことからという説があります。
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権太坂改修記念碑

権太坂は横浜市保土ケ谷区にある旧東海道の坂。藤田権左衛門が万治 2年(1659年)8月15日、坂の改修を開始して翌年に完成。坂の名称は坂の改修工事を手がけた、藤田権左衛門の名から由来するとのことです。
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一里塚跡・上方見付跡(程ヶ谷宿)

宿場の上方(京方)方面の出入り口にあたる上方見付は、程ヶ谷宿の場合には外川神社付近にあったとのことで、また此処には一里塚もあったそうです。保土ヶ谷の一里塚は日本橋から8番目の一里塚です。
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芝生追分

横浜市保土ケ谷区宮田町の松原商店街から北に少しの処、旧東海道 沿いにあるのが芝生追分。追分は一般に道の分岐点を意味しますが、この 芝生の追分は東海道と八王子道(絹の道)が分かれる場所です。
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浅間神社(横浜)

横浜市西区浅間町に鎮座し、承暦4年(1080年)に源頼朝が浅間神社を勧請して造営されたと伝えられる神社。祭神は木花咲耶姫命で相殿は天照大神と武甕槌命。江戸時代は東海道の神奈川宿と程ヶ谷宿の間の宿でした。
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三条大橋

京都市を流れる鴨川に架かり三条通を通す橋で、慶長6年(1601年)に 徳川家康によって定められた東海道五十三次の西の起点となった橋です。 現在の橋は昭和25年(1950年)につくられたとのことです。
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弥次喜多像(三条大橋)

東海道の終着点である京都の三条大橋の西橋詰にある弥次喜多の像。 弥次さん喜多さんは十返舎一九作の「東海道中膝栗毛」に登場するお馴染みの人気者の二人で、江戸から東海道を下り京までの珍道中をしました。
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三条大橋石柱

三条大橋の西の袂に残されている「天正十七年津国御影」「七月/吉日」 と刻まれている石柱。天正期の橋は大正元年(1912年)に架け替えられま したが、その時不要になった石柱は京都市内の庭石に用いられたそうです。
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寺尾稲荷道道標

横浜市鶴見区の鶴見神社の境内にある寺尾稲荷道道標の実物。現在の鶴見図書館の近くにある旧東海 道沿いの寺尾稲荷道道標は複製品で、 この実物が鶴見神社内に保存されています。
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信楽茶屋跡

信楽茶屋は東海道の立場として栄えた鶴見村の中で最も大きな茶店でした。 「江戸名所図絵」にも描かれ、竹皮に包んだ梅干が好評だったとのことです。 立場とは宿と宿との間の休憩場で、茶屋や売店が設けられていた処のことです。
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寺尾稲荷道道標

旧東海道と寺尾稲荷道との分岐点を示す道標で、横浜市鶴見区の旧東海道沿いにあります。 寺尾稲荷社(現・馬場稲荷社)は馬術上達や馬上安全の祈願で知られ、江 戸からの参拝者も多かったそうです。
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市場一里塚

お江戸日本橋から5番目、つまり5里のところにあった一里塚。一里塚には 榎などの木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるような配慮があったそうです。また、 その樹木の根は塚の崩壊を防ぐ役割も持っていたとのことです。
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里程標(梅屋敷)

旧東海道沿いの日本橋から約12.6km地点にあった里程標。 東京都大田区の聖蹟鎌田梅屋敷公園内に復元されたもので、「距日本橋三里八丁 蒲田村 山本屋」と彫られています。
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美浜通り

東京都大田区大森本町二丁目1番付近から大森東1丁目4番付近にかけ ての通り。第一京浜国道建設工事の際に旧東海道が拡張されましたが、 商店街の美原通を避けたため、今でも旧東海道の面影が残されています。
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鈴ヶ森刑場跡

鈴ヶ森刑場は現在の東京都品川区南大井、当時の東海道沿いの 江戸の入り口とも言える場所に、慶安4年(1651年)に開設された処刑場。 丸橋忠弥、平井権八、天一坊、八百屋お七等の人物がここで処刑されました。
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街道松の広場

旧東海道の旧品川宿の数カ所には街道松と呼ばれる松が植えられて いて、その中の一つ「品川宿の松」が「街道松の広場」に植えられています。 浜松市の有賀慶吉氏から寄贈された樹齢80年の黒松とのことです。
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箱根関所

江戸幕府によって元和5年(1619年)から明治2年(1869年)まで、相模国足柄下郡箱根(現箱根町箱根)の芦ノ湖湖畔に設置された東海道の関所で、「入鉄炮に出女」に象徴される厳重な監視体制が採られていました。
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弥次喜多像

お江戸は神田八丁堀の住人、栃面屋弥次郎兵衛と居候の喜多八が東海道を江戸から上方へと旅をするのが『東海道中膝栗毛』。主人公の弥次さんと喜多さんの像が、駿府城のお堀端にあります。
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