テーマ:大塔宮殺害

護良親王 首洗井戸

  大塔宮護良親王は後醍醐天皇の第一皇子で、建武の新政を支えましたが、 足利氏により捕縛され、鎌倉二階堂に幽閉中に暗殺されてしまいました。 護良親王の首級を奪い取った側近が、ここで御首を洗ったと伝わっています。  
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四つ杭跡

  大塔宮護良親王が鎌倉で殺害された後、その御首は家臣の手によりこの 地まで運ばれてきて、井戸の水で清められたと伝わっています。その際に、 4本の杭を打ち祭壇にしたとされる場所が、史跡となっています。  
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王子神社

  横浜市戸塚区柏尾町に鎮座する大塔宮護良親王をご祭神とする神社。 護良親王は、鎌倉の二階堂で殺害され、その御首は家臣(侍女?)によ りこの地まで運ばれてきて埋葬されたと伝わっています。  
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大泉寺

  静岡県沼津市にある曹洞宗のお寺で、阿野全成の館跡でもあります。 阿野全成の幼名は今若で、牛若(源義経)の同母兄にあたり、源平の争 乱後に駿河の阿野荘を賜って阿野全成と呼ばれるようになったそうです。  
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井出の沢古戦場

  建武2年(1335年)、信濃から鎌倉奪還を目指した北条高時の子時行軍と、 それを迎え撃つ足利尊氏の弟足利直義軍が戦ったのが井出の沢の戦い。 東京都町田市の菅原神社境内に「井手の澤」の碑が建てられています。  
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理智光寺跡

  かつて此処に、僧の願行上人が開いた五峯山理智光寺あったとのことです。 淵辺義博によって殺害された護良親王の首は捨てられましたが、理智光寺の 長老により拾い上げられ、葬礼の後、山の上に埋葬されたと伝わっています。  
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大塔宮護良親王墓

  大塔宮護良親王は、建武2年7月23日(1335年8月12日)、 足利直義の命を受けた淵辺義博によって殺害されてしまいました。 宮内庁が管理する墓所が鎌倉市二階堂の理智光寺跡にあります。  
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妙法寺

日蓮が安房より移り住んだ松葉ヶ谷草庵跡とされるところに、大塔宮護良親王と南方の間に生まれた日叡が開山したと伝わるお寺。境内には、大塔宮護良親王、南方、日叡の墓があります。
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御構廟

大塔宮護良親王は、建武2年(1335年)に淵辺義博により殺害されました。激闘の末に獲った大塔宮の首の形相の凄まじさを恐れた淵辺義博は、その首を近くの藪に捨てましたが、その藪が御構廟として今に残っています。  
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土牢(鎌倉宮)

大塔宮護良親王は宮将軍とも呼ばれ、鎌倉幕府倒幕に大きく貢献しました。しかし、足利尊氏と対立、鎌倉の東光寺のこの土牢に幽閉されたとのこと。そして9か月の幽閉後、足利直義配下の淵辺義博により、ここで殺害されたと伝わっています。    
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