テーマ:鎌倉幕府

政所跡

政所は、親王、三位以上の公家の家政を担当する機関のこと。鎌倉幕府では、源頼朝が従二位へ昇格したことにより公文所から改称されました。八幡宮三の鳥居の東側の建物の塀に、政所跡のプレート表示があります。  
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若宮大路幕府跡

鎌倉幕府は当初、大倉の地に置かれましたが、その後宇津宮辻に移動。さらに、嘉禎2年(1236年)に若宮大路御所に移されました。そして、元弘3年(1333年)、鎌倉幕府はついに、この地で終焉を迎えました。
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問注所跡

問注所は鎌倉幕府(室町幕府にもありましたが)の訴訟事務を取り扱う機関。 当初は、頼朝邸内に設置されていましたが、建久10年に移転したそうです。 問注所では、民事訴訟および訴訟雑務が取り扱われていたとのことです。   
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宝戒寺

鎌倉にある天台宗の寺で「萩の寺」として知られています。歴代の鎌倉幕府執権の屋敷跡で、鎌倉幕府滅亡後に北条高時慰霊のため、後醍醐天皇がその屋敷跡に建立したと伝わっています。
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夷堂橋

本覚寺のすぐ近くにある橋で鎌倉十橋の一つ。その昔、この付近に源頼朝が幕府の鬼門除けに創建した「夷三郎社」(夷堂)があったことからの命名だそうで、この付近では、川の名前も夷堂川と呼ばれていたとのことです。
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宇都宮辻幕府跡

源頼朝は鎌倉に幕府を開きましたが、そこは大倉幕府と呼ばれています。嘉禄元年(1225年)、北条政子が亡くなると、幕府は宇津宮辻子に移転。現在、宇都宮辻子幕府跡には、宇津宮稲荷が祀られていています。   
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大倉幕府跡

治承4年(1180年)、鎌倉入りした源頼朝が館を構えたのが八幡宮の東側。大倉御所と呼ばれた此処で、46年の間、鎌倉幕府の政治が行われました。嘉禄元年(1225年)、幕府は宇都(津)宮辻子へと移されていきました。
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裁許橋

御成小学校から六地蔵の方へ少し行ったところにある小さな橋。問注所で裁許を受けた者が処刑場に向かうときに渡る橋ということからの命名だそうです。西行法師が源頼朝から声をかけられたことから西行橋との別名もあります。
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