テーマ:新潟

上杉謙信墓(林泉寺)

上杉謙信は天正6年(1578年)3月9日、遠征の準備中に春日山城内 の厠で倒れ、3月13日の未の刻(午後2時)に急死したとのことです。 春日山城のすぐ近く、上越市中門前の林泉寺に上杉謙信の墓所があります。
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上杉景勝屋敷跡

上杉景勝は上杉謙信を家祖とする米沢上杉家2代目で上杉宗家17代目。 上杉謙信の甥に当たり、長兄が早世したので長尾家の世子となりましたが、 永禄7年(1564年)に春日山城に入って謙信の養子となったとのことです。
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春日山城跡

春日山城は現在の新潟県上越市にあった山城で、上杉謙信の城として知られています。 「春日山」の名称は奈良の春日大社から分霊勧請した春日神社に由来する とのことですが、春日神社の創建年代は諸説あり、はっきりしていないそうです。
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毘沙門堂(春日山城)

新潟県上越市の春日山城跡に、復元された毘沙門堂が建てられています。 戦国武将の上杉謙信は毘沙門天を深く信仰し、出陣前には必ず毘沙門堂 にこもって策を練り、勝利を祈願したと伝わっています。
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直江山城守宅跡

直江兼続は戦国時代から江戸時代前期にかけての武将で上杉氏の家老。 永禄7年(1564年)に長尾政景が死去すると上杉輝虎(謙信)の養子となった 政景の子顕景(後の上杉景勝)に従って春日山城に入ったと伝わっています。
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上杉謙信像(春日山城跡)

戦国武将上杉謙信の城として知られる春日山城跡に建つ上杉謙信像。 上杉謙信は享禄3年(1530年)1月21日、春日山城内に生まれ、最期は春日山城内で倒れ、天正6年(1578年)3月13日に急死したとのことです。
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春日山神社

春日山山腹に鎮座する神社で、米沢の上杉神社より分霊された上杉謙信命をお祀りしています。 明治20年(1887年)、祭神の遺徳を慕う旧高田藩士小川澄晴が発起し前島密らの援助を受けて、明治34年(1901年)に創祀されたとのことです。
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上杉謙信像(上越市埋蔵文化財センター)

上杉謙信は戦国時代の越後国(現在の新潟県上越市)の戦国大名で、 後世、越後の虎や越後の龍、越後の獅子、軍神と称されました。 長年にわたる武田信玄との川中島での戦いは特に世に知られています。
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北越戊辰戦争西軍殉難者墓地

北越戊辰戦争の際、小千谷には新政府軍の本営が置かれ、 各地の戦いでの戦死者の遺体が小千谷に送られて来たそうです。 それらの戦死者の墓が慈眼寺の近くの船岡公園にあります。
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小千谷会談の間

北越戊辰戦争開戦の直前、長岡藩の軍事総督河井継之助と新政府軍の軍監岩村精一郎が談判したのが小千谷にある慈眼寺。 その会見の間が、現在でも慈眼寺に保存されています。
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榎峠古戦場碑

榎峠は長岡と小千谷の間にある峠で、北越戊辰戦争の時の激戦地。 開戦前は新政府軍が占拠していましたが、開戦直後に同盟軍がこれを奪取。 県道589号線沿いに、榎峠古戦場パークがあり、そこに碑があります。
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物見の松跡

北越戊辰戦争の際、新政府軍がこの地に本陣を置いたとのこと。 その時に長岡方面の情勢を探るため、兵士が松によじ登り敵情をみたことから「物見の松」と名づけられたそうです。
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草生津渡し跡

信濃川を渡る渡船場跡で現在は長生橋が架かっています。 慶応4年(1868年)5月19日未明、長州藩決死隊約100名は、信濃川西岸 のこの付近から強行渡河し、中島に上陸を果たし、長岡城を攻撃しました。
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昌福寺

新潟県長岡市にある曹洞宗のお寺で山号は万融山。 北越戊辰戦争では長岡藩の治療所として使われ、またその後、明治2年(1869年)には小林虎三郎がこの寺の本堂を借りて国漢学校を開校したところでもあります。
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維新の暁鐘

新潟県長岡市の西福寺境内にある梵鐘。 慶應4年(1868年)5月、新政府軍の来襲を知らせるために、この鐘が乱打されました。 近代の夜明け告げたことから「維新の暁鐘」と呼ばれているそうです。
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西軍上陸の地

慶応4年(1868年)の5月19日早朝、新政府軍は洪水の信濃川を 強行渡河して長岡城を攻撃する策を立て、ここ中島に上陸。 長岡軍は必死に防戦しましたが総退却し、ついに長岡城は落城しました。
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開戦決意の地

越後長岡藩の家老河井継之助は、武装中立論を唱えて戊辰戦争の局外 に立とうとしましたが、新政府軍との間で行われた小千谷会談は決裂。 河井は前島を守備していた親友の三島億次郎を訪ね、開戦を決意をしました。
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光福寺

新潟県長岡市摂田屋にある浄土真宗本願寺派のお寺で、 北越戊辰戦争の時に長岡藩の本陣が置かれていた場所です。 慶應4年5月3日、河井継之助は此処に藩士を集め開戦を告げました。
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長岡城址

長岡城は北越戊辰戦争の激戦地となった城。新政府軍の攻撃により一度落城。同盟軍がそれを奪還し、そしてまた落城。城下も被災し、会津戦争を上回る悲惨な戦闘だったと伝わっています。
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山本家墓

山本家は武田信玄の軍師山本勘助の血脈と云われている家系で、 代々越後長岡藩の家老職を務める家柄でした。 連合艦隊司令長官であった山本五十六元帥の墓もここにあります。
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河合継之助墓(長岡)

新潟県長岡市東神田「栄凉寺」境内にある河井継之助の墓。 河井継之助は長岡藩筆頭家老として北越戊辰戦争を主導し、 城下を壊滅状態にしたため、その恨みの傷跡が墓石につけられています。
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山本五十六生家

山本五十六は明治17年(1884年)、越後長岡藩士高野貞吉の第6男として誕生。 大正4年(1915年)に、旧長岡藩家老の家柄である山本家を相続して山本五十六となりました。 太平洋戦争時には連合艦隊司令長官となり、ブーゲンビル島で戦死。
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河合継之助像

河井継之助は幕末期の越後長岡藩の家老で、武装中立論を唱えて 藩が戊辰戦争に巻き込まれることを極力避けようとしましたが、結果的には、 会津戦争以上に悲惨と云われた北越戦争に巻き込まれることになりました。
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河合継之助邸跡

河井継之助は幕末期の越後長岡藩の家老で、北越戊辰戦争を主導し、 武運拙く銃弾で負傷して悲壮な死を遂げた人物。 新潟県長岡市長町に河井継之助の屋敷跡があり、現在は河合継之助記念館になっています。
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八丁沖古戦場

八丁沖は長岡城の北東部に広がる当時は広大な沼沢地域だったところ。 慶應4年(1868年)7月24日の深夜、長岡城奪還を目指す長岡藩兵約680名が 約6時間を費やしてこの八丁沖を渡渉、長岡城を奇襲して奪還に成功しました。
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大黒古戦場

大黒古戦場は会津戦争以上と云われた北越戊辰戦争の最大の激戦地。 新政府軍が堡塁を築いていた跡が現在では大黒古戦場パークとして整備 され、山本五十六中将の揮毫による「戊辰戦績記念碑」等があります。
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東軍第二砲台場跡

北越戊辰戦争の激戦地の一つで、八兆沖と呼ばれた沼の北に位置し、 長岡城の奪還を目指す長岡藩軍を中心とする同盟軍が砲台を置いた場所。 長岡藩軍が慶應4年(7月25日)の夕刻、八兆沖の渡渉を開始した地点ともされています。
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永閑寺

新潟県見附市今町にある真宗大谷派のお寺。元和9年(1623年)の開山で、御本尊は約500年前の作の阿弥陀如来。 北越戊辰戦争の時には新政府軍が本陣をおき激戦地となりました。
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北越戊辰戦争 弾痕

新潟県見附市今町に残る北越戊辰戦争の時の弾痕。 この弾痕は長岡城の奪還を目指す長岡藩軍が新政府軍の守る今町を 攻撃した、所謂「今町奪還作戦」の時の弾痕と伝えられています。
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坂井神明社

新潟県見附市坂井にある神明社。 北越戊辰戦争の際には、長岡城の奪還を目指す長岡藩の山本帯刀が ここに陣を置き、砲台を据えて今町攻撃の前線基地となりました。
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