テーマ:岩手

陣ケ岡歴史公園

古来より数々の武将が陣を布いてきた場所。前九年の役の戦後処理の際には源頼義が安倍貞任の首級に八寸釘を打ち込みこの地に晒し、その130年後、源頼朝は藤原泰衡の首級に八寸釘を打ち込んで同じ場所に晒したそうです。
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蜂神社

岩手県紫波郡紫波町に鎮座する神社で、厨川の戦いの際、勝利に導いた蜂を源義家が祀ったと伝わっています。 源義家は厨川の戦いで、蜂の巣を袋にとり、蜂を怒らせてから安倍貞任陣営に投げ込み、蜂が一斉に襲うと同時に攻めかかり勝利を収めたとのことです。
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天昌寺

盛岡市にある曹洞宗のお寺で、安倍氏滅亡の地、厨川柵の有力な擬定地。 陸奥国の豪族であった安倍一族が厨川柵に祀っていた祈願所が発祥とされ、 前九年の役で敗れた安倍氏一族郎党の菩提を弔っているとのことです。
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河崎の冊跡

天喜4年(1056年)、前九年の役の際、安倍貞任が源頼義軍を迎え撃つために兵を構えたのが「河崎の柵」。その場所がここであると擬定されています。 両者の戦いは「黄海の戦い」と呼ばれ、源頼義軍の大敗に終わりました。
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豊田館跡

奥州藤原氏の祖先・藤原経清が居館として築き、 経清の子、清衡が生まれ育った場所であると伝わる館跡。 清衡は康和元年(1099年)、豊田館から平泉へ移っていきました。
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鳥海柵跡

岩手県胆沢郡金ケ崎町西根にあった平安時代の豪族安倍氏の城柵跡。 前九年の役の際、安倍頼時は源頼義の勧誘に応じた安倍富忠と戦い、 流れ矢に当たり、この柵に帰ったもののその傷が故で落命したそうです。
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胆沢城跡

現在の岩手県奥州市にあった日本の古代城柵で国の史跡。 坂上田村麻呂が延暦21年(802年)に築き、永保3年(1083年)の 後三年の役の頃まで約150年にわたり鎮守府として機能したとのことです。
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巣伏古戦場

延暦8年(789)に起こった朝廷軍と阿弖流為率いる蝦夷軍との戦いの跡。 朝廷軍は兵数で圧倒的に劣る蝦夷軍に大惨敗して遠征は失敗しました。 現在は「巣伏古戦場跡公園」があり、そこに戦いの碑が建てられています。
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高野長英の碑

岩手県奥州市水沢にある高野長英記念館の側にある高野長英の碑。 高野長英は奥州市水沢の郷土の三偉人(高野長英、後藤新平、斎藤実) の一人として尊敬されています。
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後藤新平像

後藤新平は明治~大正期にかけての医師・官僚・政治家。 台湾総督府民生長官、満鉄初代総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣等を歴任し、関東大震災後には東京の帝都復興計画を立案しました。
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高野長英旧宅

高野長英は水沢出身の江戸時代後期の医者であり蘭学者であった人物。 高野家は高野長英の母美也の実家で、長英が17歳で江戸に出るまでの 一時期を暮らしたところだそうです。
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一首坂

前九年の役の名場面、戦いの中、源義家と安倍貞任が歌を交わしたところ。   源 義家  「衣の館はほころびにけり」   安倍貞任  「年を経し糸の乱れの苦しさに」
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安倍館跡

前九年の役の一方の当事者である安倍頼時の館跡と伝わるところ。 安倍頼時の祖父である安倍忠頼の代からの安倍氏累代の居城で、その地勢から、舞鶴館、落合館とも云われているそうです。
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小松館跡

並木屋敷跡(衣川柵跡)から道沿い西方に少し行ったところにある館跡。 安倍貞任の叔父である僧良照の屋敷だったということです。 安倍氏の滅亡後は、室町時代に葛西氏の家臣砥石氏の館があったそうです。
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衣川冊跡

安倍氏の政庁があったところで並木屋敷と呼ばれていたとのこと。 前九年の役で敗れ、衣川を放棄し北へと撤退するまで安倍氏の本拠でした。 その後は奥六郡を支配した清原氏が政庁を置いたとのことです。
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接待館遺跡

奥州市衣川区にある平安時代の遺跡で国の史跡にもなっている遺跡。 藤原基衡の妻が関道を往来する旅人を接待したことが名称の由来とのこと。 また、規模の大きさから安倍氏の政庁跡とも推測されているそうです。
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厨川八幡宮

前九年の役で厨川柵が陥落後、醍醐顕実上人が安倍貞任を偲び、 貞任愛用の小太刀を祀って弔ったのが始まりのようです。 この周辺は安倍館町という地名で、厨川柵のあった所と考えられています。
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大宮神社(盛岡)

坂上田村麻呂が伊勢神宮外宮の豊受皇大御神を勧請して、志波城の鬼門鎮護として創建したとされる神社。 大宮神楽、多賀神楽で知られているそうです。また、平民宰相と呼ばれた原敬の生家に近く、原敬も度々訪れているそうです。
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志波城跡

志波城は征夷大将軍坂上田村麻呂が造営した古代城柵。 延暦22年(803年)の造営で、陸奥国の最北端の城柵となりました。 現在は、志波城古代公園として整備されています。
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徳丹城跡

徳丹城は現在の岩手県紫波郡矢巾にあった古代の城柵。 この地域には志波城がありましたが、水害を理由に徳丹城が造営されたとのこと。 弘仁3年(812年)の造営で、律令制最後の城柵だそうです。
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武蔵坊弁慶之墓

武蔵坊弁慶は義経を守って薙刀を振るって戦い、無数の敵の矢を受けて立ったまま死んだとされ、「弁慶の立往生」として後世に語り継がれています。弁慶の墓とされるものが、平泉の中尊寺月見坂の上り口にあります。
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芭蕉句碑(高館)

源義経自害の地と伝えられる高館に建つ松尾芭蕉の句碑。     「 夏草や兵どもが夢の跡 」平泉の栄華や義経に思いを馳せ、芭蕉がこの地で詠んだと云われています。
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高館義経堂

源義経は文治5年閏4月30日(1189年6月15日)に、源頼朝の要求に屈した藤原泰衡に襲撃され、妻(郷御前)・子と共に自害したとのことです。館の跡には天和3年(1683年)に、義経堂と義経の木像が建立されました。
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柳御所跡

奥州藤原氏の政庁・平泉館跡と推定される平安時代末期の遺跡。奥州藤原氏初代清衡が豊田館から平泉に移ってきて居館をかまえた所で、3代秀衡が政庁・平泉館とするため再整備を行ったとされる場所です。    
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伽羅御所跡

岩手県平泉町平泉伽羅楽にあった奥州藤原氏の居館跡。奥州藤原氏の居館であった柳之御所が政庁・平泉館として大改修され、秀衡が柳之御所の南西に新たに建築したのが伽羅御所だそうです。
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毛越寺

岩手県の平泉にある、開山は慈覚大師と伝わる天台宗の寺院。当時は中尊寺を凌ぐ規模だったとのことですが、現在は庭園が残るのみ。国の特別史跡で、庭園は「毛越寺庭園」として特別名勝に指定されています。   
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