テーマ:吉田松陰

清水屋旅館跡

会津若松市の七日町通り、大東銀行会津支店がある場所が清水屋旅館跡。吉田松陰が東北紀行の途中に、また戊辰戦争の際には新選組副長土方歳三が宿泊した旅館で、明治には清水屋事件が起きている場所でもあります。
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吉田松陰留跡碑

鎌倉市二階堂の瑞泉寺山門近くにある吉田松陰の滞在を示す碑。松陰の母方の伯父が瑞泉寺の第25世住職「竹院和尚」で、松陰は寛永6年(1853年)の6月中旬、竹院和尚に会いに瑞泉寺を訪れたそうです。
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吉田松陰拘禁之跡(長明寺跡)

吉田松陰は弟子の金子重輔とともに米国への密航を計画したが失敗。二人は柿崎村名主の平右衛門に自首し、下田長命寺(のち廃寺)に一時拘禁されて取り調べを受け、さらに平滑の獄に移されたとのことです。
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吉田松陰像(下田)

吉田松陰は長州出身の武士で思想家、教育者であり山鹿流兵学師範。嘉永7年(1854年)、ペリーが日米和親条約締結の為に再来航した際に、金子重之輔と二人で下田から密航の企てを実行しようとしました。
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踏海の朝

静岡県下田の柿崎弁天島にある吉田松陰と金子重之助の像。吉田松陰と金子重之助の二人は、下田湾に停泊中のペリー艦隊の旗艦ポーハタン号まで小舟でこぎ寄せましたが、密航は拒絶されました。
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柿崎弁天島

もとは下田湾の中にある島でしたが、現在は陸続きになっているところです。この弁天島に身を隠していた吉田松陰と金子重輔は、密航を決行すべく、嘉永7年(1854年)3月27日の夜、ここから小舟を漕ぎ出しいきました。
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吉田松陰墓(小塚原回向院)

安政6年(1859年)、梅田雲浜との関係の嫌疑で安政の大獄に連座し、江戸に檻送されて伝馬町牢屋敷に投獄された吉田松陰は、同年10月27日、伝馬町牢屋敷にて斬首刑に処され、小塚原回向院に埋葬されました。その後、高杉晋作たちにより、現在の世田谷区若林に改葬されました。
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伝馬町処刑場跡

江戸時代に伝馬町牢屋敷があった所で、現在の東京都中央区日本橋小伝馬町にある大安楽寺に、「伝馬町処刑場跡」の碑があります。安政の大獄のときには、吉田松陰や橋本左内もこの地で斬首されました。
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吉田松陰終焉の地

吉田松陰は倒幕論者で、明治維新の精神的指導者として知られています。安政6年(1859年)、安政の大獄に連座して江戸伝馬町牢屋敷に投獄され、同年10月27日、伝馬町牢屋敷にて斬首刑に処されました。
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伝馬町牢屋敷跡

江戸に存在した囚人などを収容した施設で、現在は中央区立十思公園になっています。伝馬町牢屋敷は現代における刑務所というより、未決囚を収監し死刑囚を処断する拘置所に近い性質を持った施設だったそうです。    
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吉田松陰像(若林)

現在の東京都世田谷区若林にあった長州藩の抱え屋敷に、高杉晋作らが吉田松陰の墓を小塚原回向院から改葬し、後に神社になったのが松陰神社。境内には、吉田松陰の像、松下村塾を模した建物などがあります。    
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