テーマ:脇屋義助

正法寺

  群馬県太田市脇屋町にある高野山真言宗のお寺で山号は脇屋山。創建は 延喜年間ですが、元弘年間(1331年~34年)には、新田義貞の弟である 脇屋義助が、寺領と大般若経600巻を寄進し自らの菩提寺としたそうです。  
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脇屋義助像

  脇屋義助は新田義貞の弟で、上野国新田郡脇屋に拠ったことから名字 を「脇屋」と称し、兄の義貞とともに南朝方の武将として活躍しました。 脇屋義助の菩提寺である正法寺(群馬県太田市脇屋町)に像があります。  
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脇屋義助遺髪塚

  脇屋義助は新田義貞の弟で、宮方として常に義貞とともに各地で転戦。兄で ある新田義貞の死後は、四国に渡り、伊予の土居氏・得能氏を指導して、一 時は勢力をふるいましたが、伊予国府で発病し、享年38で病没しました。  
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脇屋義助館跡

  脇屋義助は新田義貞の弟で、上野国新田郡脇屋(現在の群馬県太田市 脇屋町)に館があったことから、名字を「脇屋」と称したとのことです。脇屋 義助は兄義貞と共に新田荘で挙兵し、鎌倉に攻め上っていきました。  
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源義助板碑

  源義助は新田義貞の弟で、由良郷脇屋村に館を構えていたために脇屋次郎 義助と称していましたが康永元年(1342年)伊予国府において病没しました。 この板碑は義助の菩提を弔うために明王院に建てられたものと思われます。  
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