テーマ:長野

龍岡城東通用門

龍岡城は慶応3年(1867年)、龍岡藩主・松平乗謨によって佐久に築かれ た星形の城郭で、函館の五稜郭と並び、日本に2つしかない五稜郭です。 東通用門が参道にぴんころ地蔵のある成田山薬師寺に移築されています。
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伴野城跡

長野県佐久市野沢にある鎌倉時代以来の伴野氏の館跡、後の野沢城の本丸にあたる地域で、周囲には堀の名残と思われる水路が巡っています。 水路と共に土塁跡でも囲まれた平地は、現在は城山公園として整備されています。
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鏡石

武田信玄が重臣の山本勘助と馬場信房に命じて、それまでにあった鍋蓋、 乙女城を取り込んだ新たな縄張りをさせたのが小諸城の原型とのことです。 小諸城本丸跡には山本勘助が築城時に研磨したと伝わる鏡石があります。
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小諸城

  武田信玄の東信州経営のために縄張りされた城で、酔月城、穴城、白鶴城、 鍋蓋城、などの別名を持ち、日本100名城の28番に選定されています。 現在は、市営公園小諸城祉懐古園として整備されています。  
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憩石

慶長5年(1600年)、関ヶ原に向かう途中の徳川秀忠を大将とする徳川本隊は、上田城に籠る真田氏を討伐するため小諸城を本陣としました。その在陣中に、徳川秀忠が床几として使用した石と伝えられています。
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本陣跡(海野宿)

北国街道が開削された寛永2年(1625)当時は、本宿は田中宿で、本陣は 田中宿のみに設けられていたそうです。しかし、寛保2年(1742年)の大洪水で 田中宿が大被害を受け、海野宿に本陣が設けられたとのことです。
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海野宿

寛永2年(1625年)に、江戸幕府によって設置された、北国街道の宿場。 約650 mにわたり街並みが続き、本陣1軒と脇本陣2軒が設けられ、佐渡の金の輸送、善光寺への参拝客などで非常に賑わいをみせていたそうです。
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白鳥神社

長野県東御市本海野に鎮座する神社。日本武尊が東夷東征の際、当地に滞在した故事から、尊の御霊を勧請したのが始まりと伝えられています。 また、木曽義仲が武将3千騎を集め挙兵した白鳥河原はこの社前だったそうです。
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海野氏発祥の郷

海野氏は信濃国小県郡海野荘(現在の長野県東御市本海野)を本貫地とした武家の氏族で、真田氏は海野氏の支流と云われています。 平安時代から根津氏、望月氏と並んで「滋野三家」と呼ばれていたそうです。
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木曽義仲館跡(依田館)

上田市御嶽堂にある木曽義仲の実質的な挙兵の地と言われているところ。 治承4年(1180年)9月、木曽で挙兵した木曾義仲は、この依田館に入城し、 翌年、白鳥河原に三千余騎を集め北陸方面へと進出していきました。
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御嶽神社

上田市御嶽堂に鎮座する神社で、ご祭神は、大己貴命、少彦名命、安閑天皇。 創祀年代は不詳ですが、一説には、木曽義仲が「王の御嶽」として信仰していた木曾の御嶽山の神(大己貴命・少彦名命)を祀ったと伝わっています。
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義仲馬大門

長野県上田市御嶽堂の宝蔵寺(岩屋観音堂)は依田城にも近く、 木曽義仲が挙兵の際、ここで戦勝祈願をしたとされています。その戦勝祈願の際に、義仲が馬で登った道が現在「義仲馬大門」と呼ばれています。
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義仲桜

長野県上田市御嶽堂の宝蔵寺(岩屋観音堂)の境内にある樹齢推定 800年以上のエドヒガンで、毎年春になると見事な花を咲かせるそうです。 木曽義仲が戦勝祈願したこの地で、義仲が手植えしたと伝えられています。
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宝蔵寺

長野県上田市御嶽堂にあるお寺で、岩谷堂観音の御堂としても有名。 平安時代初期の建立で、信濃33観音霊場、中部49薬師霊場でもあり、 また、木曽義仲戦勝祈願の地としても知られています。
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安良居神社

長野県上田市を流れる依田川の畔の丸子公園内にある上丸子区の氏神。 創立年月は不詳ですが、木曽義仲創建とも伝えられていて、治承4年(1180年) 義仲が依田城に拠って挙兵した時に、戦勝を祈願したと伝わっています。
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真田・徳川会見の地

第二次上田合戦の時、上田城に籠る真田昌幸・信繁父子と、東軍の使者の真田信幸と本多忠政が会見した場所が信濃国分寺とされています。 この合戦で、真田昌幸は徳川軍を上田城に釘付けにすることができました。
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信濃国分寺跡

国分寺は天平13年(741年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、 当時の日本の各国に建立を命じたお寺。信濃国分寺は現在の上田市に建立され、その跡地は信濃国分寺跡史跡公園となっています。
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松代大本営跡

松代大本営は太平洋戦争末期、日本の政府中枢機能移転のために、 現在の長野県長野市松代地区などの山中の3箇所に掘られた地下坑道。 昭和19年(1944年)に工事が始まり、総延長が約10kmにもなりました。
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佐久間象山生誕地

江戸時代後期の松代藩士で、兵学者・朱子学者・思想家の佐久間象山は、 文化8年(1811年)2月28日、信濃松代藩士・佐久間一学国善の長男として信濃埴科郡松代字浦町で生まれました。生家跡は象山神社の隣接地にあります。
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佐久間象山像(象山神社)

長野市松代町に鎮座する象山神社の鳥居前にある佐久間象山の像。 佐久間象山は江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家で、同じ松代出身の、山寺常山、鎌原桐山、と共に松代三山の一人とされています。
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横田城跡

養和元年(1181年)、此処にあった横田城に木曽義仲軍を鎮圧 するため、越後から圧倒的な大軍を率いて城氏が入城したとされています。 しかし、寡兵の木曽義仲側の奇策によって敗走したそうです。
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観音寺

長野県長野市篠ノ井横田にある真言宗豊山派のお寺。 横田河原の合戦や大塔合戦の頃は、千曲川岸の近くにあり自然堤防上に位置するこの辺りに「横田砦」が存在したとする説があるそうです。
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上田城

天正11年(1583年)、武田氏の旧臣である真田昌幸による築城。 二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦が行われたことでで有名。 現在は上田城跡公園として市民に親しまれています。
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市村神社

市村の産土神で、口碑では文治年間(1185~90年)の創建とのことです。 木曽義仲が関与した記録に初めて残る戦いである治承4年(1180年)9月7日に起きた市原合戦は、このあたりで行われたと伝わっています。
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今井兼平墓(川中島)

長野市川中島の今井神社の隣接地にある今井四郎兼平の墓。 今井 兼平は義仲四天王の一人で義仲に従い各地を転戦しましたが、 元暦元年(1184年)正月、琵琶湖の畔の粟津で義仲とともに敗死しました。
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今井神社(長野市)

今井兼平を祀った神社で今井兼平の館跡との説もあります。 今井兼平は義仲四天王の一人で、木曽義仲に従って横田河原の戦いに 出陣し、当時「雲井の里」と呼ばれていたこの地に陣を張ったとのことです。
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依田城跡

長野県上田市御岳堂にある山城跡で、山頂は標高804.6m。 平安時代末期の治承4年(1180年)、木曽義仲 の挙兵にあたり、 依田次郎実信は木曽義仲にこの城を明け渡したと伝わっています。
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根井行親供養塔

長野県佐久市の正法寺境内にある木曽義仲四天王の一人である根井行親の供養塔。 根井行親は義仲が治承4年(1180年)に信濃国の依田城で挙兵して以降義仲に従い各地に転戦し、宇治川の戦いで敗死したとされています。
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根井氏居館跡

長野県佐久市根々井字亀田の正法寺が根井氏居館跡と伝わっています。 根井氏は滋野氏の一族である望月氏の支流と云われ、 根井行親は木曽義仲の四天王の一人と数えられています。
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龍岡城址

元治元年(1864年)築城開始、慶応3年(1867年)完成の西洋式城郭。 函館五稜郭と同じく五芒星形の城で、龍岡五稜郭とも呼ばれています。 城跡は現在、佐久市立田口小学校として利用されています。
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