テーマ:長野

小諸城

  武田信玄の東信州経営のために縄張りされた城で、酔月城、穴城、白鶴城、 鍋蓋城、などの別名を持ち、日本100名城の28番に選定されています。 現在は、市営公園小諸城祉懐古園として整備されています。  
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胴合橋

  長野市篠ノ井杵淵の信州そば蔵長野店に隣接してある小さな橋。 第4次 川中島の戦いで、武田信玄の軍師である山本勘助は戦死。その戦死した 山本勘助の首と胴を合わせたという伝説の場所です。  
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青木神社(陣場河原八幡宮)跡

  永禄4年(1561年)9月の第4次川中島の戦い・八幡原の激戦で、前半不利 だった武田軍が後半には攻勢に転じ、上杉軍は劣勢となり犀川を渡って撤退。 戦いの終了後、武田軍は、この神社で勝鬨をあげたと伝わっています。  
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茶臼山本陣跡

  永禄4年(1561年)8月、上杉謙信は1万3千の兵を率いて妻女山に陣をとり、 それに対し、武田信玄は甲府から進軍、この茶臼山に本陣を構えたそうです。 10日後、信玄は茶臼山を降りて海津城に入り、両軍はにらみ合いました。  
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松本城

  永正年間に小笠原氏が林城の支城として築城したのが始まりとのこと。 天守閣の建造年には諸説ありますが、1591年~1615年の間だそう です。この天守閣は現存12天守の一つで、国宝に指定されています。  
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諏訪御料人供養塔

  長野県岡谷市の小坂観音院の境内にある諏訪御料人の供養塔。諏訪 御料人は、諏訪頼重の娘で武田勝頼の母ですが、本名は不明。小説の 中では、湖衣姫、由布姫、とも名づけられています。  
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観音院

  長野県岡谷市にある真言宗智山派のお寺で、かつては諏訪大社の社坊。 諏訪氏の祈願所であり、井上靖の著書「風林火山」では、諏訪頼重の娘の 由布姫は武田信玄の側室となり、この観音院で暮らす設定になっています。  
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武田勝頼母墓

  長野県伊那市高遠町西高遠の建福寺境内にある武田勝頼母の墓。武田勝頼 が藩主の時、武田家菩提所とし、母諏訪御料人を埋葬したそうです。一番右が 武田勝頼母の墓、中央が保科正直、左が保科正光の墓です。  
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荒砥城跡

  荒砥城は現在の長野県千曲市にあった山城で、この地域の領有をめぐる 上杉氏、武田氏の攻防戦が、川中島の戦いへとつながっていきました。 現在は城山史跡公園として整備され、大河ドラマのロケにも使用されました。  
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山本勘助墓

  山本勘助は武田信玄の側近として活躍した軍師で、武田24将の一人。 第4次川中島の戦いの際、山本勘助の献策した啄木鳥戦法が上杉謙信 に見破られて失敗し、山本勘助も合戦の中で討ち取られました。  
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広瀬の渡し

  永禄4年(1561年)9月10日の早暁、妻女山から下りてくる上杉謙信軍を 待ち受けるべく、武田信玄は八幡原に本営を移しました。その時、信玄が8 千の兵を率いて渡河したのが、この地点と伝わっています。  
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勘助宮跡

  武田信玄の軍師であった山本勘助が、第4次川中島の戦いで討ち死にし たのがこの辺りと伝わっています。長野オリンピックスタジアムがある南長 野運動公園の南西の端に石碑が建てられています。  
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八幡原

  5度に渡る川中島の合戦で、第4次の合戦時に武田軍の本陣となった所。 上杉謙信と武田信玄の一騎打ちの伝説にもなっている所ですが、現在は、 八幡原史跡公園として整備されています。  
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佐久間象山像

  佐久間象山は江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。 当時の日本において、洋学の第一人者だった象山は「西洋かぶれ」と見 做され、元治元年(1864年)7月11日、三条木屋町で暗殺されました。  
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真田邸

  長野市松代町にある松代藩主真田家の屋敷で、現在は長野市の所有。江戸 時代末期に9代藩主真田幸教が当初、義母お貞の方の住居として建築、やが て隠居した幸教の住居となり、明治以降は真田家の私宅となりました。  
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文武学校

  文武学校は、安政2年(1855年)に創設された信濃国松代藩の藩校。 明治時代初期に廃止されましたが、藩校の建物は昭和期まで学校とし て使用され、昭和28年(1953年)に国の史跡に指定されています。  
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松代城跡

  長野県長野市松代町にある城跡で、元々は海津城と呼ばれていました。第4 次川中島の戦いでは、武田信玄がここに陣を置いたことで知られていて、また 後には、江戸時代初期より明治維新まで真田氏の居城となっていました。  
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上杉謙信公鞍掛の松

  長野市の妻女山の麓に鎮座する会津比売神社の境内にある松の木。永禄 4年(1561年)9月、上杉謙信が川中島合戦の前に妻女山に陣を構え、会 津比売神社に必勝を祈願した時、乗馬の鞍を懸けた松と伝わっています。  
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川中島

  川中島は、長野県長野市の犀川と千曲川に囲まれた三角地帯の地名。 木曾義仲の旗揚げによって生じた市原合戦、それに続く横田河原の戦い、 また、信玄と謙信の間で争われた川中島の戦いの舞台となったところです。  
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妻女山

  長野市松代町と千曲市土口が境を接する山で、第4次川中島の戦いにお いて、上杉謙信の軍が陣を張ったところとして知られています。上杉謙信は、 この山を下り雨宮の渡しを渡り、八幡原へ向かったとされています。  
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雨宮の渡し跡

  「雨宮の渡し」は、古来から重要な軍事上の千曲川の渡河地域で、川中島の 戦いの時には、上杉謙信が夜半に妻女山を下り、この渡し場を秘かに越えて 武田信玄の本陣に突撃したと伝わっています。  
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絵島囲み屋敷跡(非持村)

  江戸時代中期に起こった江戸城大奥の大醜聞事件の当事者である絵島は、 月光院の嘆願により罪一等を減じて高遠藩内藤清枚にお預けとなりました。 絵島が最初に幽閉されたのが、非持村の囲み屋敷だったということです。  
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福島宿

  中山道37番目の宿場町で関所が設けられ、古くから栄えてきた町です。 昭和2年の大火でほとんどが焼失してしまいましたが、再建された家が 板葺屋根形式で重石を載せた家でしたので、その面影は残されています。  
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高札場(福島宿)

  高札場は幕府や諸藩等が法令等を掲示するために、往来の激しい地点、 大きな橋の袂、町や村の入り口や中心部などに設置していたそうです。 木曽福島宿にも、高札場が復元されていて、往時を偲ぶことができます。  
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山村代官屋敷

  山村家は木曽谷の徳川直轄地の支配を任されていた代官家。福島関所 の関守を兼ねていた山村代官家の下屋敷の一部と庭園が現存していて、 山村家の文化資料、著書、調度品などとともに公開展示されています。  
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木曽家代々之墓

  興禅寺は長野県木曽郡木曽町にある臨済宗妙心寺派のお寺で、 木曽義仲 の追善供養のため、木曾氏が創建したと伝わっています。興禅寺の境内には 木曽家代々之墓があります。  
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木曽義仲墓(興禅寺)

  長野県木曽郡木曽町の興禅寺境内に木曽義仲の墓があります。木曽義仲 は寿永3年(1184年)、琵琶湖畔の粟津で敗死しましたが、この墓には死の 直前、義仲が巴御前に託した遺髪が納められているそうです。  
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遠藤五平太生家跡

  遠藤 五平太は、現在の長野県木曽郡木曽町福島で生まれた幕末の武士。 中西派一刀流の剣術家で、五平太の弟子は約800人にのぼり、信濃だけ でなく飛騨や美濃東部、尾張からも入門者がいたそうです。  
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高瀬家資料館

  高瀬家は現在の木曽郡木曽町にある、島崎藤村の姉、園が嫁いだ旧家で、 島崎藤村の小説「家」のモデルになっていることで知られています。現在は、 藤村、関所番などに関わる資料を展示する資料館となっています。  
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福島関所資料館

  中山道のほぼ中間に位置し、街道の要衝として「入鉄砲」「出女」を取り締ま った重要な関所が、日本四大関所の一つである福島関所です。この資料館 は往時の姿を忠実に復元し、多数の資料が展示されています。  
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