テーマ:宮城

仙台城大広間遺構

仙台城本丸大広間は本丸御殿の中心となる建物で、その広さから「千畳敷」とも称されたといわれています。内部には、伊達政宗をはじめとする歴代藩主の座する「上段の間」をはじめ、「孔雀の間」「檜の間」など多くの部屋が配置され、各間は豪華な障壁画や飾金具で装飾されていたそうです。
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伊達政宗騎馬像

仙台城本丸跡にある伊達政宗の騎馬像。昭和10年(1935年)に小室達作の初代伊達政宗騎馬像が建立されましたが、その像は大東亜戦争時に金属類回収令により供出されました。しかし、昭和39年(1964年)10月9日、初代像の石膏原型を用いて2代目の伊達政宗騎馬像が仙台城本丸跡に再建されました。
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横綱大砲像

大砲万右エ門は、現在の宮城県白石市大鷹沢三沢出身の、明治期に活躍した元大相撲力士で第18代横綱。没後80年が経過した平成11年(1999年)に 生誕130年を記念して白石城二の丸公園に銅像が建立されました。
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片倉小十郎景綱頌徳碑

宮城県の白石城に建てられている片倉小十郎景綱の頌徳碑。 片倉景綱は伊達政宗の近習から後に軍師的役割を務めたとされる武将。 仙台藩片倉氏の初代で、慶長7年(1602年)に白石城の城主となりました。
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白石城

江戸幕府の一国一城制のもとでも対象外とされて明治維新まで存続していた現在の宮城県白石市にあった仙台藩の支城だった城。平成7年に三階櫓 (天守閣)と大手一ノ門・大手二ノ門が史実に忠実に木造で復元されました。幕末に奥羽越列藩同盟を結成するきっかけとなった白石会議が行われた処でもあります。
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阿久利川古戦場

天喜4年(1056年)、陸奥守兼鎮守府将軍源頼義が阿久利川畔に宿営中、 配下の武将の陣屋が何者かによって襲撃されるという事件が発生。 源頼義はこれを安倍貞任の仕業と断定し、前九年の役が始まりました。
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伊治城跡

奈良時代の神護景雲元年(767年)に大和朝廷により造営された城柵跡。 蝦夷の指導者であった伊治呰麻呂は宝亀11年(780年)、この城柵で 反乱を起こし、多賀城まで攻め込んで多賀城を焼き払ったととのことです。
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鬼切部城跡

陸奥国の豪族である安倍氏が現在の宮城県大崎市鳴子に築いた城。 永承6年(1051年)、陸奥守藤原登任が安倍氏への懲罰を試みた結果、 この付近で戦いが起こり前九年の役へと発展していきました。
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岩出山城跡

豊臣家による小田原征伐後、伊達政宗は米沢から岩出山に移封され、 その後12年間仙台城に移るまで、この岩出山城を居城としました。 伊達政宗の四男宗泰が岩出山伊達家の初代となり、維新まで続きました。
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伊達政宗像(岩出山)

伊達政宗は伊達氏第17代の当主で仙台藩初代藩主。 幼少時に患った天然痘のために右目を失明し、後世独眼竜とも呼ばれました。 仙台に移る前の居城であった岩出山城跡に像が建てられています。
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伊達家霊廟

伊達政宗が12年間居城とした岩出山城の近くにある岩出山伊達家の霊廟。 岩出山伊達家は伊達政宗の四男宗奏が藩祖で、 ここには、宗奏はじめ歴代の藩主、殉死者等の墓碑が並んでいます。
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城生冊跡

宮城県加美町城生にある奈良時代の遺跡。 八脚門跡などが確認されていることから、官衙の跡ということは確実で、 律令国家による東北地方支配の拠点の一つとみられるているそうです。
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多賀城跡

神亀元年(724年)、大野東人による築城と伝えられています。陸奥国府や鎮守府が置かれ、当時の東北地方の政治・軍事等の中心地で、平城宮跡、大宰府跡とともに、日本三大史跡に数えられています。
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