テーマ:保元の乱

白川北殿跡

現在の京都大学熊野寮のある周辺が白川北殿跡とされています。 保元元年(1156年)に勃発した保元の乱において、白川北殿は崇徳上皇の拠点となりましたが、平清盛らの軍勢による夜討ちに遭い焼失しました。
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船岡山

京都市北区紫野北舟岡町にある小山で、朱雀大路の真北に位置している ことから、造都に際して南北軸の測量基準点となったとされています。 保元の乱の後、敗北した源為義とその子供たちがここで処刑されています。
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源為義墓

源為義は保元の乱において崇徳上皇方の主力として戦いましたが敗北し、後白河天皇方についた長男の源義朝の手によって処刑されてしまいました。京都の七条七本松交差点の近く、権現寺にお墓があります。
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六角の井

鎌倉市と逗子市の境にある井戸で、別名を矢ノ根井とも云い鎌倉十井の一つ。井戸は八角形ですが鎌倉側に六角、小坪側に二角あることから「六角ノ井」と呼ばれているそうです。また、源為朝が大島から放った矢がこの井戸に落ちたとの伝説のある井戸です。
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崇徳天皇中宮 藤原聖子 月輪南陵

藤原聖子は摂政関白太政大臣・藤原忠通の長女で崇徳天皇の中宮となった女性。保元元年(1156年)に勃発した保元の乱では父・忠通と夫・崇徳上皇が敵に分かれて戦い、板挟さみとなった聖子は同年出家し清浄恵と号したとのこと。さらにその後再出家をし蓮覚と号したそうです。
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東三条院址

東三条殿(東三条院)は平安時代に現在の京都市中京区に建てられた邸宅。摂関家当主の邸宅の一つで、特に11世紀後半からは摂関家の象徴的邸宅として重視され、保元の乱の舞台ともなったところだそうです。
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高松殿跡

醍醐天皇の皇子源高明の邸宅で、高明の娘が住み高松殿と称されたとのこと。後に後白河天皇がここで即位して高松内裏とも称されたそうです。保元の乱の際には、後白河天皇の本拠地ともなった所です。
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崇徳天皇御廟

崇徳上皇は保元の乱に敗れ、四国の讃岐で非業の死を遂げられました。上皇の寵愛を受けた阿波内侍が上皇の遺髪でここに塚を築いたとのこと。京都市東山区祇園町南側(祇園甲部歌舞練場敷地内)にあります。   
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