テーマ:徳川家康

東照公えな塚

岡崎城天守閣の近くにある東照公のえな塚。この城で生まれた徳川家康のえな(胞衣・へその緒・胎盤)を埋めた塚で、もとは本丸南にあったものを、ここに(坂谷曲輪跡)移して記念としたとのことです。
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東照公産湯井

岡崎城の天守閣近くにある井戸。天文11年(1542年)12月26日 に岡崎城内で誕生した竹千代君(家康公)の産湯に、この井戸の水が用い られたとのことで、開運スポットにもなっているそうです。
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岡崎城

愛知県岡崎市にある徳川家康生誕の城で龍城とも呼ばれています。 家康はその後、浜松城、江戸城へと本拠地を移していきました。現在の天守閣は、昭和34年(1959年)に再建されたものです。
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徳川家康像(駿府)

徳川家康は6歳の頃より18歳の頃まで、今川家の人質として駿府で生活し、 晩年には駿府城に移って「駿府の大御所」として実権を掌握していました。 駿府城の本丸跡に鷹狩の出で立ちの徳川家康の像があります。
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元城町東照宮

静岡県浜松市の浜松城の直ぐ東、浜松城の前身である引間城があった地に建てられた東照宮。引間城は元亀元年(1570年)に徳川家康が入城す ると、範囲を西に大きく拡大して浜松城となりました。
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家康・秀吉像

浜松城近くの元城町東照宮境内に建てられた徳川家康と豊臣秀吉の像。 秀吉は16歳前後の3年間、引間城主配下の松下氏に仕官して浜松で暮らし、家康はその後の引間城を拡張、後の浜松城の基礎を築きました。
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浜松城

静岡県浜松市にある野面積みの石垣で有名なお城で、元亀元年(1570年) から17年間、徳川家康の居城でした。三方が原の戦いは、この城の北方約10kmのところで行われ、惨敗した家康はこの城に逃げ帰ってきました。
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徳川家康像(浜松城)

元亀元年(1570年)に徳川家康は、武田信玄の侵攻に備えるため本拠地を三河国岡崎から遠江国曳馬へ移し、城名・地名ともども「浜松」と改めました。 徳川家康は29歳~45歳までの17年間を浜松城で過ごしました。
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横浜熊野神社

横浜市鶴見区の旧東海道沿いにある神社。社伝によれば、嵯峨天皇の御宇、紀州熊野別当尊慶の勧請とのこと。徳川家康が江戸入国の 際にこの神社に立ち寄り、天下泰平、国家安穏、武運長久を祈念したと伝わっているそうです。
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徳川家康墓所

徳川家康の死は元和2年(1616年)4月17日巳の刻(午前10時頃)。 家康は始め駿府の南東の久能山(現久能山東照宮)に葬られていましたが、一周忌を 経て、江戸城の真北に在る日光の東照社に改葬されたとのことです。
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日光東照宮

徳川家康を神格化した東照大権現を祀る栃木県日光市にある神社。 絢爛豪華な社殿群は殆どが寛永13年(1636年)に建て替えられたもので、 陽明門、唐門などの国宝もあり、世界文化遺産にも登録されています。
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徳川家康像(しかみ像)

この像は「しかみ像」と呼ばれる肖像画をもとにつくられた石像です。 徳川家康は三方ケ原の戦いで武田信玄に惨敗したとき、自戒の念を 忘れることのないように「しかみ像」を描かせたと云われています。
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松平元康像

松平元康は松平広忠の嫡男として岡崎城で生まれた後の徳川家康。 人質として身を寄せていた駿府で元服し、今川義元の元の字を賜り 次郎三郎元信と名乗りましたが、さらにまた蔵人左元康と改めました。
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徳川家康像(岡崎城)

徳川家康は松平広忠の嫡男として天文11年(1542年)岡崎城で誕生。 6歳の時、人質として駿府に送られたために岡崎城を離れましたが、 桶狭間の戦いで今川義元が討たれた直後に、岡崎城に戻りました。
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本田平八郎忠勝像

本田平八郎忠勝は徳川家康の家臣で、徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑の一人。 家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本田平八郎とまで言われた程。 槍の使い手で、空を飛ぶトンボを切るほどであったと伝わっています。
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二つ橋地名由来の碑

横浜市瀬谷区中原街道二ツ橋交差点の際にある石碑。   「しみじみと清き流れの清水川かけわたしたる二ツ橋かな」徳川家康がこの地で休息した時に詠んだ和歌を記した記念碑があります。
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徳川家康公御殿土塁跡

現在の御殿場高校から吾妻神社・穂見神社にかけての一帯が「御殿場」の地名の由来ともなった徳川家康の御殿のあった所と伝えられています。吾妻神社の境内には、その御殿の土塁跡と思われるものが残されています。
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地名「御殿場」発祥の地

元和元年(1615年)、徳川幕府は家康が江戸~駿府を往復する際の宿泊所として、現在の吾妻神社がある辺りに御殿を造営しました。その「御殿のある場所」という意味で御殿場の地名が発症したそうです。
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