テーマ:義経元服

牛若丸首途の井

京都市右京区花園艮北町に井戸跡を示す石標が建てられています。 この地は金売り吉次の屋敷跡といわれ、牛若丸が奥州に旅立つ際にここの井戸の水を汲んで別れを惜しんだという伝承があります。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

義経かどで地蔵尊

京都市右京区花園木辻南町、妙心寺近くの願王子にある地蔵尊。この辺りは金売り吉次の別宅があった地と言われ、牛若丸は奥州への旅立ちに際して、宿願成就の暁にはこの地に一寺を建立せんと誓ったと伝わっています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

首途八幡宮

京都市上京区に鎮座する神社で、かつては金売吉次の屋敷があったと伝わる処。 承安4年(1174年)3月3日、源義経は奥州に赴く際に、吉次の助けを得て、 鞍馬山から当社に赴き、道中の安全を祈願して出発したと云われています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

源義経奥州首途地

源義経は承安4年(1174年)、金売吉次に連れられて奥州へ旅立ちましたが、 その際、この地にあった内野八幡宮に道中安全を祈願したと伝わっています。 このことにより内野八幡宮は首途八幡宮と改称したとのことです。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

義経元服池

承安4年(1174年)、鞍馬山を脱出した牛若丸は、現在の滋賀県竜王町の時の長者「沢弥傳」の屋敷に泊まり、その夜、元服することを決意しました。この池の水を用いて元服した牛若は以後、源義経と名乗るようになりました。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

烏帽子掛けの松

滋賀県竜王町の鏡神社の参道にある松の古木。鏡の宿でただひとりで元服した牛若が元服後に鏡神社に参拝し、源九郎義経と名乗りをあげて、源氏の再興を祈願した際に、この松の枝に鳥帽子をかけたと伝わっています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

源義経宿泊館跡

京都の鞍馬寺より奥州下向の途中、近江の「鏡の宿」(現在の滋賀県竜王町)に到着した牛若丸一行は、承安4年(1174年)3月3日、当時の宿駅の長であった澤弥伝の「白木屋」の旅籠に宿泊したと伝わっています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ご神水(冠稲荷神社)

承安4年(1174年)、源義経は奥州の藤原秀衡のもとへと向かう途中、この神社へ参籠し、伊勢野で見つけた稲荷神像をこの清水で洗い清めたとのことです。また、自らもこの御神水にて斎戒沐浴したと伝わっているそうです。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

出世恵比寿神社

古くは三条蹴上にあり、奥州へ旅立つ牛若丸がこの社に旅の安全を祈願したところ、出世し大活躍したことから出世恵比寿神社の名があるとのことです。現在は京都市東山区粟田口の粟田神社境内にあり、摂社となっています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

義経大日如来

京都市左京区粟田口、蹴上インクラインの近くにある源義経に纏わる石像。奥州へ下る際、牛若丸は馬が蹴り上げた水をかけられ激怒し9人の武士を殺したとのこと。これは弔われた9体の石仏の一つと伝わっています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日ノ岡丸彫り地蔵

京都市山科区日ノ岡、三条通沿いの二間四方の地蔵堂の中にあるお地蔵様。牛若が奥州を目指して下る途中で九条山の坂にさしかかった時、9人の武者を斬り殺し、その菩提を弔うために安置した石仏の一つといわれています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

義経腰掛石

京都市山科区の京都薬科大学グラウンドの一角にある「義経の腰掛石」。牛若丸が京都から奥州に向かう途中、この付近で盗賊に襲われましたが、逆に盗賊を切り倒し、牛若丸はこの石に腰掛けて休息したとのことです。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

浄瑠璃姫墓

平泉へ向かう途中の源義経は矢作の里で長者の娘と恋仲になりました。義経はその娘(浄瑠璃姫)と別れ旅立ちましたが、娘は義経の後を追い、追いつけず、菅生川に身を投じて17歳という短い人生を終えたとのことです。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

吹上の六本松

静岡市立蒲原中学校正門前に「浄瑠璃姫碑」と並んで碑が建てられています。義経を慕うその願いは叶わず浄瑠璃姫は亡くなりましたが、浄瑠璃姫を葬った塚の上に、目印として植えられたのが吹上の六本松と伝わっています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

義経硯水

承安4年(1174年)、源義経が奥州に下る途中、涌き水を使って蒲原神社へ奉納する文と、三河矢矧の長者兼高夫婦の娘浄瑠璃姫に文を書いたことから、涌き水は「義経硯水」と呼ばれるようになったということです。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more