テーマ:修禅寺物語

蛇苦止堂

  建仁3年(1203年)の比企の乱で、比企の娘の若狭局は井戸に投身自殺。 その後、文応元年(1260年)、北条政村の娘が若狭局の霊に祟られたので、 政村が若狭局を蛇苦止明神として、この蛇苦止堂に祀ったと伝わっています。  
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蛇苦止の井

  建仁3年(1203年)、北条氏の軍勢は比企館を急襲し、比企一族は滅亡。 その時、2代将軍頼家側室の若狭局は、家宝を抱えてこの井戸に投身。 若狭局は蛇身となり、今でも井戸の中で家宝を守っていると伝わっています。  
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武田信光墓

  武田信光は、源義光(新羅三郎)を始祖とする甲斐武田氏の第5代当主。 源頼家が修禅寺に幽閉されると、頼家の見舞いに修善寺に赴き、その帰路、 頼家が殺されと聞き、庵を結び出家し頼家の菩提を弔ったと伝わっています。  
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修禅寺

  修善寺温泉街の中心にあり、修善寺の地名の由来ともなった曹洞宗のお寺。 源頼朝の弟の源範頼、また源頼朝の息子の源頼家がこの寺に幽閉され、そ の後、2人ともこの地で殺害されたことで知られています。  
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源頼家墓

源頼家は父頼朝の急死により18歳で鎌倉幕府の第2代将軍となりましたが、頼家による独断的な政治手法が御家人たちの反発を招き、伊豆の修善寺に幽閉され、北条氏の手により暗殺されました。    
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指月殿

鎌倉幕府の2代将軍源頼家は修禅寺に幽閉中に殺害されました。指月殿は北条政子が息子頼家の菩提所として建立したと伝わっていて、伊豆最古の木造建築と云われています。
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十三士墓

鎌倉幕府第2代将軍源頼家が北条氏の陰謀に遭い修禅寺に幽閉され、入浴中に幕府からの刺客により惨殺されました。その6日後、頼家の家臣らは謀反を試みましたが失敗し討伐され、ここに葬られたとのことです。     
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比企一族供養塔

鎌倉幕府の二代将軍源頼家の側室の若狭の局は比企能員の娘であり、比企一族は北条一族にとって代わろうとする勢いがありました。それで、北条氏は比企館を急襲し、比企一族を抹殺してしまいました。
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