テーマ:京都

左女牛井戸跡

  左女牛井は京の名水の一つで、堀川五条のやや南に碑が建てられています。 この辺りは、源氏の本拠地で、源頼義・義家・為義・義朝・義経などが居を構え た六条堀川館があった所で、左女牛井はその邸内にあったとのことです。  
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前川家(壬生)

  文久3年(1863年)から2年間、新選組の屯所となった京都の壬生にある家 で、池田屋事件の端緒となった古高俊太郎の拷問はここの土蔵で行われた とのことです。現在は個人の住宅のため、内部は一般公開されていません。  
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池田屋跡

  池田屋は、京都三条木屋町(三条小橋)にあった旅館で、池田屋事件の現場。 元治元年(1864年)6月5日、池田屋で会合をしていた長州藩・土佐藩などの 尊王攘夷派志士を、新選組が襲撃したのが池田屋事件です。  
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勝竜寺城

現在の京都府長岡市に南北朝時代から江戸時代初期に存在していた城。明智光秀の三女、玉が細川忠興に輿入れをした城であり、また、山崎の合戦では明智光秀が本拠とした城として知られています。
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山崎合戦古戦場碑

本能寺の変のあと、天正10年(1582年)6月13日に、羽柴秀吉軍と明智光秀軍が摂津国と山城国の境に位置する山崎を舞台に戦ったのが山崎の戦い。大山崎町立大山崎中学校の正門横に石碑が建てられています。
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大山崎瓦窯跡

京都府乙訓郡大山崎町の観音寺(山崎聖天)の麓にある瓦窯跡。平安宮・京の造営を支えたものと考えられ、ここで製作された瓦は平安宮朝堂院をはじめ、嵯峨院、河陽離宮に供給されたとのことです。
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山崎合戦之地碑

天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変の直後の6月13日、備中高松城から引き返してきた羽柴秀吉軍と、織田信長を討った明智光秀の軍勢が、摂津国と山城国の境に位置する山崎において激突したのが山崎の戦いです。
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十七烈士の墓

元治元年(1864年)7月、長州藩が軍勢を率いて入京して禁門の変が勃発。長州藩が敗れて西へ向けて敗走する際、幕府軍の追撃を防ぐために天王山に立て籠もったのが真木和泉率いる17士で、全員自害したとのことです。    
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天王山

京都府乙訓郡大山崎町にある山で、山崎天王社があることが山名の由来。天正10年(1582年)6月の、明智光秀と羽柴秀吉が戦った山崎の戦いで、この山の争奪戦が起こり、「天下分け目の天王山」と表現されました。
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宝積寺

京都府乙訓郡大山崎町の天王山中腹にある真言宗智山派のお寺。天正10年(1582年)の山崎の戦いの際には秀吉の本陣が置かれ、また、元治元年(1864年)には、禁門の変で尊皇攘夷派の陣地が置かれた所です。
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大念寺

京都府乙訓郡大山崎町、天王山の麓、宝積寺のすぐ下にある浄土宗のお寺。幕末の禁門の変の際に長州藩の一部が大念寺に布陣していたことで巻き込まれて焼失し、再興されたのは明治12年(1879年)になってからのことです。
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妙喜庵

京都府乙訓郡大山崎町字大山崎、JR山崎駅のすぐ近くにある臨済宗の庵。日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休がつくったと目されている唯一の現存茶室である「待庵」が、この庵の中にあるそうです。
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製油発祥の地

京都府大山崎町に鎮座する離宮八幡宮境内にある「本邦製油発祥地」の碑。平安時代初期、離宮八幡宮では搾油器を発明して荏胡麻油の製油を始め、朝廷より「油祖」の名を賜り、荏胡麻油の販売権を独占して、大変栄えました。   
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離宮八幡宮

京都府乙訓郡大山崎町に鎮座する八幡大神を御祭神とする神社。石清水八幡宮の元社にあたる神社で、嵯峨天皇の離宮である「河陽宮」の跡地であったため、後に社号が「離宮八幡宮」と改称されたとのことです。
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朧の清水

  京都大原の寂光院に通ずる近道の右側、灌木の下にある小さな池。 建礼門院が遥々寂光院へお越しの道すがら、この清水の辺りで日が暮れ、 自身のお姿が月光によってこの水溜りにおぼろに写ったと伝わっています。  
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大原西陵

  京都大原の寂光院隣接地にある、宮内庁管轄の建礼門院徳子の墓。 建礼門院徳子は平家の滅亡後、大原の里でその生涯を終えましたが、 没年については諸説あり、はっきりしていないそうです。  
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御庵室跡

  京都大原の寂光院境内にある建礼門院が隠棲していたと伝わる庵の跡。 平家の滅亡後、洛北の地大原で、建礼門院徳子が夫高倉天皇とわが子 安徳天皇、および平家一門の菩提を弔う余生を送ったとされるところです。  
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千年姫小松

  京都大原の寂光院の本堂前の汀の池の傍にある姫小松の古木。この姫 小松は平家物語の大原御幸の中で、建礼門院徳子と後白河法皇が対面 する場面で登場する松だそうですが、現在は枯れて神木とされています。  
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寂光院

  京都の大原にある、天台宗のお寺で、聖徳太子の開基と伝わっています。 平清盛の娘・建礼門院が、平家滅亡後に隠棲した所であり、平家物語』の 「大原御幸」の舞台ともなり、『平家物語』所縁の寺として知られています。  
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元和キリシタン殉教の地

  日本のキリシタン殉教史の3大殉教の一つ、京都の大殉教が行われた地。 元和5年(1619年)10月6日、キリシタン52名が9台の大八車に乗せられ、 市中引き回しの上、ここの河原で、火あぶりの刑に処せられたそうです。  
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遍照院

  京都府の宇治田原町にある元亀元年(1570年)開基の真言宗のお寺。 徳川家康の三大危機の一つに数えられている「神君伊賀越え」の際に、 遍照院で休憩し、新しい案内人に導かれて信楽・朝宮を目指したそうです。  
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信西入道塚

  京都府綴喜郡宇治田原町にある、この地で最期を迎えた信西入道の首塚。 信西入道(藤原通憲)は平治の乱の勃発直後、源氏の手から逃れるために ここまで逃げてきましたが、ついに見つかり、首をはねられたとのことです。  
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山口城址

  京都府綴喜郡宇治田原にある信長の家臣、山口秀康の築城とされる城の址。 本能寺の変直後、徳川家康が伊賀越えをする際に立ち寄ったと伝わっていま すが、現在は畑になっていて城の痕跡は見当たらず案内板があるのみです。  
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東寺

  教王護国寺という名も持つ東寺真言宗の総本山。延暦15年(796年)に、 平安京の羅城門の東側に王城鎮護の寺として建立されました。木造建築 としては日本一の高さを誇る五重塔は京都のシンボルになっています。  
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新選組屯所跡(不動堂村)

  慶応3年(1867年)6月15日、新撰組は現在の京都駅近くの不動堂村に、 大名屋敷のような広大な屋敷を建てて、屯所をそこに移したそうです。しか し、約半年しか使用されず、「幻の屯所」などとも呼ばれているそうです。  
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八大神社

  京都市左京区一乗寺松原町に鎮座する神社。一乗寺下り松で吉岡一門数十 人との決闘を前にした宮本武蔵が当社で神頼みををしようとしましたが、神仏 に頼ろうとした自分の弱さに気づき、寸前にやめたという逸話も残っています。  
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宮本武蔵像

  宮本武蔵は江戸初期の剣術家、兵法家で二刀を用いる二天一流の開祖。 京都の兵法家・吉岡一門との一乗寺下り松での戦いや、佐々木小次郎との 巌流島での決闘等が、演劇、小説、様々な映像作品の題材になっています。  
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下り松古木

  京都市左京区に鎮座する八大神社境内に残る一乗寺下り松の古木。宮本 武蔵の決闘の時代の前から昭和20年頃まで生きた一乗寺下り松の大木の 一部が、神社境内の本殿の西側に大切に祀られています。  
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一乗寺下り松

  京都市左京区一乗寺花ノ木町、曼殊院道と狸谷不動明王道の分岐点に ある旅人の目印となってきた松で、現在の松は4代目とのこと。宮本武蔵 が吉岡一門数十人と決闘を行った伝説の地としても有名です。  
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大楠公戦陣跡

  「太平記」によると、建武3年(1336年)正月、楠木正成勢と足利尊氏勢 がこの地で対陣し、楠木正成勢が足利尊氏勢を追撃したとされています。 一乗寺の楠木正成が陣を構えたとされる所に石碑が建てられています。  
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