テーマ:京都

左女牛井戸跡

  左女牛井は京の名水の一つで、堀川五条のやや南に碑が建てられています。 この辺りは、源氏の本拠地で、源頼義・義家・為義・義朝・義経などが居を構え た六条堀川館があった所で、左女牛井はその邸内にあったとのことです。  
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前川家(壬生)

  文久3年(1863年)から2年間、新選組の屯所となった京都の壬生にある家 で、池田屋事件の端緒となった古高俊太郎の拷問はここの土蔵で行われた とのことです。現在は個人の住宅のため、内部は一般公開されていません。  
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池田屋跡

  池田屋は、京都三条木屋町(三条小橋)にあった旅館で、池田屋事件の現場。 元治元年(1864年)6月5日、池田屋で会合をしていた長州藩・土佐藩などの 尊王攘夷派志士を、新選組が襲撃したのが池田屋事件です。  
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赤穂義士遺髪塔跡

京都市上京区瑞光院前町に残る臨済宗大徳寺派のお寺、瑞光院の跡。 瑞光院には浅野長政の供養塔、大石良雄をはじめとする46士の遺髪塔が ありましたが、瑞光院は昭和37年(1962年)に山科区安朱へ移転しました。
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紫式部墓

紫式部は「源氏物語」の作者と考えられている平安時代中期の女性作家。 紫式部の墓とされる墓は小野篁の墓とされるものに隣接してあり、この地は 淳和天皇の離宮があり、紫式部が晩年に住んだと伝わる処の近くだそうです。
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小野篁墓

小野篁は平安時代前期の公卿・文人で、昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説があります。 小野篁は閻魔大王を説得して、紫式部の地獄落ちを阻んだとのことです。
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常盤井

京都市北区紫野下築山町にある、常盤化粧井とも呼ばれていた井戸の跡。 美貌の誉れ高かった源義経の母・常盤御前が用いたと伝えられる井戸で、 かつては京都の名水の一つに数えられていましたが、現在は枯渇しています。
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若宮神社

京都市北区紫野雲林院町に鎮座し、清和天皇をご祭神とする神社。 元々は清和源氏の3代目で、丹波の大江山の酒呑童子征伐や土蜘蛛退治 の伝承でも知られる源頼光の邸内にあった鎮守社だったそうです。
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建勲神社

京都の船岡山の中腹に鎮座し、織田信長を主祭神として祀り、織田信忠を配祀する神社。 戦国時代に天下統一、朝儀復興などを進めた織田信長を賛える「健織田社」 の創建が明治天皇により決定されたのが、この神社の始まりとのことです。
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船岡山

京都市北区紫野北舟岡町にある小山で、朱雀大路の真北に位置している ことから、造都に際して南北軸の測量基準点となったとされています。 保元の乱の後、敗北した源為義とその子供たちがここで処刑されています。
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上品蓮台寺

平安京三大葬送地「鳥辺野」「蓮台野」「化野」の中の一つ、蓮台野跡に建つお寺で、聖徳太子が母の菩提寺として開基したと伝えられています。 また、宮本武蔵が吉岡清十郎と決闘をした場所が蓮台野という設定です。
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光念寺

京都市北区、牛若丸の生誕地とされる処から程近くにある浄土宗のお寺。 常盤御前が牛若丸の安産を祈願して寄進したと伝えられる「腹帯地蔵」が 安置され、昔から安産祈願に多くの人の信仰を集めてきたそうです。
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源義経産湯井遺址

京都市北区、大徳寺の北を東西に通る紫竹南通りに残されている井戸の跡。 この地付近は、源義経の父源義朝の別邸があったと伝えられる処で、 牛若丸の誕生時に、この井戸水を産湯に汲んだとも伝えられています。
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牛若丸誕生井

京都市北区紫竹牛若町の畑の中にある井戸で、すぐ近くに胞衣塚もあります。 この地は源義朝の別邸があった処で、牛若丸の母である常盤御前が住んでいた所と伝えられています。そして、 牛若丸の誕生時には、この井水を産湯に汲んだという伝説があります。
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牛若丸胞衣塚

京都市北区紫竹牛若町の畑の中にある牛若丸のものと伝わる胞衣塚。 胞衣とは胎盤のことで、産後の女性は分娩後概ね30分以内に胞衣を排出し、 昔から胞衣を大切に扱ったことは各地の民間伝承に見られるそうです。
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常徳寺

常徳寺はかつては知足院という大寺院でしたが、常盤御前が源義経 (牛若丸)の安産祈願のためにお参りしたと伝えられる地蔵菩薩像が安置されており、「常盤地蔵」の名で呼ばれています。
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勝竜寺城

現在の京都府長岡市に南北朝時代から江戸時代初期に存在していた城。明智光秀の三女、玉が細川忠興に輿入れをした城であり、また、山崎の合戦では明智光秀が本拠とした城として知られています。
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山崎合戦古戦場碑

本能寺の変のあと、天正10年(1582年)6月13日に、羽柴秀吉軍と明智光秀軍が摂津国と山城国の境に位置する山崎を舞台に戦ったのが山崎の戦い。大山崎町立大山崎中学校の正門横に石碑が建てられています。
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大山崎瓦窯跡

京都府乙訓郡大山崎町の観音寺(山崎聖天)の麓にある瓦窯跡。平安宮・京の造営を支えたものと考えられ、ここで製作された瓦は平安宮朝堂院をはじめ、嵯峨院、河陽離宮に供給されたとのことです。
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山崎合戦之地碑

天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変の直後の6月13日、備中高松城から引き返してきた羽柴秀吉軍と、織田信長を討った明智光秀の軍勢が、摂津国と山城国の境に位置する山崎において激突したのが山崎の戦いです。
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十七烈士の墓

元治元年(1864年)7月、長州藩が軍勢を率いて入京して禁門の変が勃発。長州藩が敗れて西へ向けて敗走する際、幕府軍の追撃を防ぐために天王山に立て籠もったのが真木和泉率いる17士で、全員自害したとのことです。    
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天王山

京都府乙訓郡大山崎町にある山で、山崎天王社があることが山名の由来。天正10年(1582年)6月の、明智光秀と羽柴秀吉が戦った山崎の戦いで、この山の争奪戦が起こり、「天下分け目の天王山」と表現されました。
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宝積寺

京都府乙訓郡大山崎町の天王山中腹にある真言宗智山派のお寺。天正10年(1582年)の山崎の戦いの際には秀吉の本陣が置かれ、また、元治元年(1864年)には、禁門の変で尊皇攘夷派の陣地が置かれた所です。
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大念寺

京都府乙訓郡大山崎町、天王山の麓、宝積寺のすぐ下にある浄土宗のお寺。幕末の禁門の変の際に長州藩の一部が大念寺に布陣していたことで巻き込まれて焼失し、再興されたのは明治12年(1879年)になってからのことです。
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妙喜庵

京都府乙訓郡大山崎町字大山崎、JR山崎駅のすぐ近くにある臨済宗の庵。日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休がつくったと目されている唯一の現存茶室である「待庵」が、この庵の中にあるそうです。
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製油発祥の地

京都府大山崎町に鎮座する離宮八幡宮境内にある「本邦製油発祥地」の碑。平安時代初期、離宮八幡宮では搾油器を発明して荏胡麻油の製油を始め、朝廷より「油祖」の名を賜り、荏胡麻油の販売権を独占して、大変栄えました。   
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離宮八幡宮

京都府乙訓郡大山崎町に鎮座する八幡大神を御祭神とする神社。石清水八幡宮の元社にあたる神社で、嵯峨天皇の離宮である「河陽宮」の跡地であったため、後に社号が「離宮八幡宮」と改称されたとのことです。
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朧の清水

  京都大原の寂光院に通ずる近道の右側、灌木の下にある小さな池。 建礼門院が遥々寂光院へお越しの道すがら、この清水の辺りで日が暮れ、 自身のお姿が月光によってこの水溜りにおぼろに写ったと伝わっています。  
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大原西陵

  京都大原の寂光院隣接地にある、宮内庁管轄の建礼門院徳子の墓。 建礼門院徳子は平家の滅亡後、大原の里でその生涯を終えましたが、 没年については諸説あり、はっきりしていないそうです。  
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御庵室跡

  京都大原の寂光院境内にある建礼門院が隠棲していたと伝わる庵の跡。 平家の滅亡後、洛北の地大原で、建礼門院徳子が夫高倉天皇とわが子 安徳天皇、および平家一門の菩提を弔う余生を送ったとされるところです。  
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