テーマ:頼朝挙兵

蛭ケ小島

平治元年(1159年)の平治の乱において、源頼朝の父である源義朝は戦いに敗れて敗死し、源頼朝は伊豆の蛭ケ小島に配流となりました。 20年後の治承4年(1180年)、以仁王の令旨がこの地に届けられました。
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源頼朝・北条政子の腰掛石

三嶋大社の境内にある源頼朝・北条政子腰掛石と呼ばれている石。治承4年(1180年)5月、源頼朝が平家追討の心願をこめて百日の日参をした時に、この石に腰をかけて休憩したと伝えられているそうです。
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安達藤九郎盛長警護の松

治承4年(1180年)、源頼朝が源家再興の祈願の為、百日間毎晩蛭島より三嶋大社に日参するに際し、従者盛長がここで警護したと伝えられています。現在は黒松と赤松が一つの根から生え出た「相生松」が植えられています。
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源頼朝旗挙げの碑

源頼朝が旗挙げをしたのは治承4年(1180年)8月17日のこと。この日は三島大社の祭礼があり、山木館が手薄になるので、頼朝はこの祭礼の日に合わせて山木兼隆を夜討ちしたとも伝わってます。
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海南神社

藤原資盈、資盈の后の盈渡姫、及び地主大神を祀る三浦市に鎮座する神社。三浦義明は氏神である当社参拝の折に「神事狐合」で源平の争覇を占い、白狐が勝ったために神意により源頼朝側に荷担したと伝えられています。
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山木兼隆墓

治承4年(1180年)8月、挙兵した源頼朝は山木兼隆の館を急襲。当日は三島大社の祭礼の日で山木館は郎党の多くが留守だったため、兼隆は満足に戦うことができず、加藤景廉によって討ち取られたそうです。香山寺に山木兼隆の墓があります。     
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山木館跡

平兼隆(山木兼隆)は、元々は伊豆国山木郷に流されていた流人でしたが、平時忠により伊豆国目代に任ぜられ伊豆で勢力を持つようになっていました。源頼朝は挙兵にあたり、先ず伊豆国の目代であった山木兼隆の屋敷を襲いました。
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毘沙門堂

文覚上人の伊豆の配流地となっていた所。文覚上人は、ここから度々、蛭ヶ小島の源頼朝のもとを訪れ、平家打倒の挙兵を促していたそうです。現在、この毘沙門堂は国清寺の鎮守として管理されているとのことです。
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守山八幡宮

静岡県伊豆の国市、北条氏邸があったとされる守山の中腹にある神社。治承4年(1180年)8月15日、源頼朝は平家追悼を祈願してこの地で挙兵。頼朝はここから山木館方面に火の手が上がるのを眺めたと伝わっています。
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