テーマ:後三年の役

旗立の松(由比若宮)

前九年の役が終息してから21年後の永保3年(1083年)、後三年の役が始まりました。奥州に向かう源義家が鎌倉に立ち寄り由比若宮に戦勝を祈願しましたが、その際、源義家が旗を立てたとされる松の幹が由比若宮の境内に残されています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

新羅三郎笛吹石

後三年の役の際、兄の源義家が奥州で苦戦していると伝え聞いた源義光(新羅三郎)は、数十騎の兵をつれて加勢に向かいました。その途中、足柄峠で露営した新羅三郎は、仲秋名月の夜、この場所で豊原時秋に笙の奥義を伝えたとのことです。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

景政功名塚

鎌倉権五郎景政は僅か16歳で源義家に従い後三年の役で活躍しました。戦いの終わった後、景政は源義家の命により、敵の屍をここに葬って供養の塚をつくり、その塚の上に杉を植えたと伝わっています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

金澤八幡宮(金沢柵跡)

源義家が藤原清衡に命じて後三年の役の舞台となった金沢柵跡に京都の石清水八幡宮の八幡神を勧請して創建した神社。その後、義家の弟の義光の家系である佐竹氏が秋田藩主となり篤く信仰されました。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

兜杉(金沢の柵跡)

後三年の役で勝利を収めた源義家が金沢の柵を訪れた際、着用していた兜をここに埋め、藤原清衡はそこに大石を置き杉の苗を植えたと伝わっています。その後、この地は神聖化され、兜八幡神社が勧請されたとのことです。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

納豆発祥の地

後三年の役の折、農民に煮豆を俵に詰めて提出させたところ、数日経って糸を引くようになり、食べてみたら美味しかったというのが始まりとのこと。金沢の柵跡に「納豆発祥の地」の碑があります。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

平安の風わたる公園

後三年の役の際の古戦場である西沼を中心にして整備された歴史公園。源義家が金沢の柵に向かう途中、飛んでいた雁が突然列を乱したことから、敵の伏兵がいることを察知し、難を逃れたとされている場所です。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

源義家像

源頼義の長男で、後の源頼朝、足利尊氏などの祖先にあたる武将。八幡太郎の通称があり、前九年の役、後三年の役で活躍し、東国武士の信望を集め、東国における源氏勢力の基盤を築き上げました。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

清原家衡像

奥州藤原氏の初代藤原清衡(清原清衡)の異父弟。後三年の役の初めは清原清衡と組んで清原真衡と争いましたが、清原真衡の死後は、清原清衡と争い、金沢柵が落城し処刑されました。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

清原武衡像

後三年の役で清原家衡と共に清原清衡・源義家連合軍と敵対した武将。清原家衡に拠点を沼柵よりさらに堅固な金沢柵へと移すことを勧め、共に金沢柵に籠りましたが、金沢柵の陥落後、捕えられ斬首されました。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

藤原清衡像

藤原清衡は平安時代後期の武将で奥州藤原氏の祖。父は藤原経清、母は安倍頼時の娘で、前九年の役では何とか生き抜き、後三年の役では何とか勝ち抜き、平泉の栄華の基をつくり上げました。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

一の木戸跡

後三年の役の際の戦場となった一の木戸跡と伝えられている処。沼の柵跡のすぐ近くにあるところから、柵の一部だったと考えられているそうです。現在は、雄物川中央公園として整備されています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

沼館八幡神社

京都の男山八幡宮の御分霊を勧請したと伝わる、沼の柵跡のすぐ近くに鎮座する神社。前九年の役の前後には、源頼義・義家父子が参拝したと伝わり、また、後三年の役の際には、この地で納豆が発祥したと伝わっています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

沼の柵跡

後三年の役の際、清原家衡がこの柵に立て籠もって源義家軍を迎え撃ちました。四方を水で囲まれたこの柵は難攻不落で、義家軍は苦戦しついに撤退。このあと、清原家衡はより強固な金沢の柵へと拠点を移していきました。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

源氏山公園

「源氏山」の名は麓に源氏の屋敷があったからとする説が有力とのこと。後三年の役の折、奥州に向かう八幡太郎義家がここに源氏の白旗を立てて戦勝を祈願したことから「旗立山」の別名もあるそうです。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

千束八幡神社

東京都大田区の洗足池の畔に鎮座する応神天皇を祭神とする神社。奥羽平定に向かった八幡太郎義家が戦勝を祈願し、 また、源頼朝は安房より鎌倉へ向かう途中、ここに陣を構えて諸将の参陣を待ったと伝わっています。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

首塚・七重の塔

八幡太郎義家が奥羽征伐で獲った蝦夷の首48首をこの地に埋めて四十八塚を築き、これが小塚原の地名の由来とのことです。首塚の上に建っているのが、円通寺の由緒が刻んである七重の石塔です。    
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more