テーマ:義朝最期

長田屋敷跡

平治の乱で敗れた源義朝は、馬も失い裸足で尾張国野間にたどり着き、 家臣の鎌田政清の舅で年来の家人であった長田忠致・景致父子ののもと に身を寄せました。しかし、長田父子の裏切りに遭い、この地で無念の最期をとげました。
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磔の松

建久元年、上洛の途中、野間に立ち寄った源頼朝は、父源義朝を殺した 長田忠致・景致父子を捕らえ、この松にて磔に処したと伝えられています。 長田父子に与えられた恩賞は、美濃尾張(身の終わり)ということでした。
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源義朝像

源義朝は保元の乱では後白河方の中核となって戦った河内源氏の武将。 乱後、左馬頭に任じられましたが、平治の乱では平清盛に敗れ、再起を目指して東国へ落ちる途中、野間で裏切りに遭い謀殺されてしまいました。義朝が殺害されたと伝わる湯殿跡に源義朝の像が建てられています。
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湯殿跡

平治の乱に於いて敗北した源義朝公は源氏再興の志をもって関東を目指しての逃亡の途中、ここより西700mの所にあった長田屋敷に逗留していました。しかし正月3日、源義朝は初湯に招かれ、入浴中に長田父子に謀殺されてしまいました。ここがその湯殿跡と伝えられています。   
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乱橋跡

平治2年(1160)正月3日、主君義朝謀殺の大事を聞いた家臣渋谷金王丸や鷲栖玄光らが湯殿にかけつけるとき、この地にあった橋のあたりで長田の家臣と乱戦となり、後にこの橋が乱橋と言われるようになったとのことです。
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血の池

源義朝はこの地で長田忠致・景致父子の裏切りに遭い、謀殺されました。その際、義朝の首を洗ったとされる「血の池」が野間大坊の境内にあります。この池には、国に異変があると、池の水が赤く染まると言う伝説があるとのことです。
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源義朝墓

源義朝は河内源氏の棟梁で、保元の乱で戦功を挙げましたが、平治の乱 では敗北し、都を落ち延びる道中の尾張国で家人に裏切られ謀殺されました。 義朝の墓は野間大坊の境内にあり、多数の木刀が供えられています。
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鎌田政家夫妻墓

源義朝の乳母が鎌田政家の母であり、政家は義朝の第一の郎党でした。平治の乱で敗れた源義朝は長田忠致の裏切りにあい、忠致館の風呂場で殺害されました。その際、 政家も酒を飲まされて騙し討ちに遭い、殺されたと伝わっています。
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悪源太義平墓

悪源太義平は源義朝の長男で、源頼朝・義経らの異母兄にあたる武将。平治の乱では父源義朝とともに戦い敗れ、六条河原で処刑されましたが、新田義重の娘がその首を持ち帰り、ここに埋葬し清泉寺を建立したとのことです。    
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