テーマ:群馬

光泉寺

群馬県吾妻郡草津町、湯畑のすぐ近くにある真言宗豊山派の寺院で、養老5年( 721年)に行基が薬師堂を創建したと伝えられるそうです。また、南北朝の争いでは南朝側につき僧兵を率い、護良親王、新田義貞、楠木正成、名和長年、北畠親房らによる神札が奉納されているとのことです。
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白旗源泉

建久4年(1193年)、源頼朝が浅間での狩で草津まで騎馬を進めた際、荒れ果てた源泉地を改修し自ら入浴したと伝えられている処。以来この湯を御座の湯と呼び、その後祠を建てて頼朝を祀ったのが頼朝宮。頼朝宮は草津温泉開湯の伝承と温泉信仰の歴史的遺跡として草津町の文化財に指定されています。
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大笹関所跡

寛文2年(1662年)、当時の沼田藩主真田伊賀守が建設した関所の跡。北国街道の脇往還にあたる信州街道(大笹街道)は、上州と信州を結ぶ代表的なルートの一つで、人々の交流や物流に大きく貢献しました。また、軍事的な面からも上野国の中では碓氷、猿ヶ京などと並ぶ重要な関所の一つとされていました。
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新田金山城跡

群馬県太田市のほぼ中央にそびえる金山に築かれた山城で「太田金山城」、「金山城」の別名があります。文明元年(1469年) 新田一族である岩松家純によって築城され、日本100名城、関東七名城の一つとされています。
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不動堂(大慶寺)

群馬県太田市の大慶寺にある不動堂。妙満尼が父新田義重の像を彫ると、一夜のうちに不動明王の姿になったので、御影不動とも呼ばれているそうです。また、新田義貞の戦 死を知ると、その死を惜しんで泣いたことから、泣き不動とも呼ばれているとのことです。
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大慶寺(太田市)

群馬県太田市にある牡丹の花で有名なお寺。源義平の妻となった新田義重の娘が義平没後、父を頼り世良田郷に住み、後に綿打に移り、夫の菩提を弔うため出家して妙満尼となり一庵を結んだのが始まりとのことです。
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名胡桃城址

沼田氏が沼田城の支城として築城したとも、また、真田氏が沼田領侵攻のための前線基地として築城したとも云われている城です。 天正17年(1589年)に北条氏がこの城を奪取したことが小田原征伐の原因となりました。
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平八石

天正9年(1581年)3月、沼田平八郎景義は沼田を真田から奪還するため沼田へ攻め込みました。しかし、沼田城内にいた伯父の金子美濃守泰清の陰謀に 遭い殺害され、平八郎の首級は真田昌幸が実検の後、この石の上に置かれたとのことです。
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沼田城址

北関東の要衝の地にあり、軍事上の重要拠点として諸勢力の争奪戦の的となった城。 後北条氏滅亡後は大坂夏の陣の頃までは真田氏の本拠地となっていまし たが、現在は沼田公園として整備され市民に親しまれています。
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真田信之・小松姫像

群馬県沼田市の沼田城跡に建つ真田信之とその正妻である小松姫の像。 真田信之は真田昌幸の子、真田信繁の兄で、一時期沼田城主でした。 また、小松姫は本多忠勝の娘で才色兼備の女性だったと伝えられています。
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岩櫃城跡

岩櫃城は、現在の群馬県吾妻郡東吾妻町、岩櫃山の東側にあった城。 武田氏がこの地域を支配するようになると、武田家郡代として真田氏が城主となり、吾妻郡支配の中心的役割を担うようになっていったそうです。
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富岡製糸場

富岡製糸場は群馬県富岡に設立された日本初の本格的な器械製糸工場。 明治5年(1872年)の開業当時の製糸場、繭倉庫などが良好に保存され、 現在は世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産となっています。
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平井城址

永享の乱の際、関東管領上杉氏の拠点となった城。天文21年(1552年) には、北条氏康の攻撃により落城。永禄3年(1560年)、長尾景虎により 奪還されましたが、後に廃城になりました。    
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内藤塚

群馬県高崎市箕郷町の善龍寺の南約200mの桑畑の中にある塚。 内藤修理が天正3年(1575年)の長篠の戦いで討死した後、子昌月が父の遺殻をここに葬り、昌月も天正16年(1588年)1月に逝去し、修理の側に葬られたと伝わっています。
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箕輪城跡

箕輪城は現在の群馬県高崎市に戦国中期に築城された平山城。武田、上杉、北条等の戦国大名の争奪の対象となり、城主も入れ替わりました。 慶長3年(1958年)に廃城、現在は日本100名城の一つになっています。
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めがね橋

群馬県安中市松井田町坂本にある鉄道橋で、正式名は碓氷第三橋梁。 碓氷川に架かる煉瓦造りの4連アーチ橋で、碓氷峠の代表的な建造物。 明治26年(1893年)に竣工、昭和38年(1963年)まで使用されていました。
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虎姫観音堂

群馬県庁の西側、利根川河畔にある六角形のお堂。厩橋城で酒井雅楽頭の身の回りの世話をしていたお虎という美しい娘が他の女中の嫉妬のために無残な死を遂げ、その霊を慰めるために建てられたとのことです。
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車橋門跡(前橋城)

前橋城車橋門は、慶応3年(1867年)に復興された前橋城の渡りやぐら門の跡。当時、前橋城の外曲輪と内曲輪を結ぶ大手筋にあり、数ある城門の中でも特に重要な門であったとされています。
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前橋城跡

前橋城は関東七名城の一つ。古くは厩橋城と呼ばれ箕輪城の支城として築城された石倉城がその始まりと云われています。現在は一部に当時の石垣を残すのみで、城としての面影は残っていません。
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正法寺

群馬県太田市脇屋町にある高野山真言宗のお寺で山号は脇屋山。創建は延喜年間ですが、元弘年間(1331年~34年)には、新田義貞の弟である脇屋義助が寺領と大般若経600巻を寄進し自らの菩提寺としたそうです。
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脇屋義助像

脇屋義助は新田義貞の弟で、上野国新田郡脇屋に拠ったことから名字を「脇屋」と称し、兄の義貞とともに南朝方の武将として活躍しました。脇屋義助の菩提寺である正法寺(群馬県太田市脇屋町)に像があります。
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脇屋義助遺髪塚

脇屋義助は新田義貞の弟で、宮方として常に義貞とともに各地で転戦。兄である新田義貞の死後は、四国に渡り、伊予の土居氏・得能氏を指導して一時は勢力をふるいましたが、伊予国府で発病し、享年38で病没しました。 脇屋義助の菩提寺である正法寺(群馬県太田市脇屋町)に遺髪塚があります。
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脇屋義助館跡

脇屋義助は新田義貞の弟で、上野国新田郡脇屋(現在の群馬県太田市脇屋町)に館があったことから、名字を「脇屋」と称したとのことです。脇屋義助は兄義貞と共に新田荘で挙兵し、鎌倉に攻め上っていきました。
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台源氏館跡(新田義貞生誕地)

新田義貞は正安3年(1300年)年頃、当地である現在の群馬県太田市由良町で生まれ、やがて反町館で青年期をむかえ、元弘3年(1333年)5月8日、生品神社で鎌倉幕府打倒の旗をあげたと伝えられています。
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新田氏累代の墓

群馬県太田市の円福寺境内にある新田氏累代の墓と伝わる石塔群。20基余りの凝灰岩製の石層塔・五輪塔群があり、そのうちの1基には、元亨4年(1324年)に新田義貞の祖父が72歳で逝去したと記されています。
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冠掛の松

群馬県太田市新田木崎町の大通寺境内にある2代目の「冠掛の松」。元弘3年(1333年)、新田義貞が鎌倉幕府打倒のため生品神社で挙兵し、鎌倉へ向かう途中、ここの松に冠をかけて休憩したと伝えられています。
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ご神水(冠稲荷神社)

承安4年(1174年)、源義経は奥州の藤原秀衡のもとへと向かう途中、この神社へ参籠し、伊勢野で見つけた稲荷神像をこの清水で洗い清めたとのことです。また、自らもこの御神水にて斎戒沐浴したと伝わっているそうです。
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金木犀(冠稲荷神社)

群馬県太田市の冠稲荷神社境内にある新田義貞所縁と伝わる金木犀。元弘3年(1333年)、新田義貞が挙兵にあたり戦勝を祈願した際に植栽したと伝えられています。樹高約15m、葉振り約15mの大樹です。
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冠稲荷神社

天治2年(1125年)、源義国の創建と伝わる群馬県太田市に鎮座する神社。新田義貞が挙兵の際、社の前で兜(冠)の中に神霊を呼び、必勝祈願したことから「冠稲荷」、「冠稲荷大明神」と呼ばれるようになったそうです。
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義国供養塔

群馬県太田市岩松町に鎮座する義国神社の裏手にある古い供養塔。源義国は新田氏の祖である義重、並に足利氏の祖である義康の父にあたる武将で、晩年は新田に住み、そこで生涯を閉じたと伝わっています。
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