テーマ:品川宿

浜川橋(泪橋)

江戸時代、鈴ヶ森の刑場に向かう罪人は立会川に架かる泪橋を渡りました。 罪人にとっても家族や身内の者にとっても、泪橋は最後の別れの場であり、 お互いがこの橋の上で泪を流したことから泪橋と呼ばれていたそうです。
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釜屋跡

釜屋はかつて南品川にあって大変に繁盛していた建場茶屋の一つ。 慶應4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いに敗れた新選組隊士たちは、 同月15日に品川に上陸し、 しばらく釜屋に滞在していたとのことです。
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街道松の広場

旧東海道の旧品川宿の数カ所には街道松と呼ばれる松が植えられて いて、その中の一つ「品川宿の松」が「街道松の広場」に植えられています。 浜松市の有賀慶吉氏から寄贈された樹齢80年の黒松とのことです。
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品川橋

品川宿の中央にあり北品川宿と南品川宿を分けていた目黒川に架かる東海道の橋。 昔は北の天王祭(品川神社)と南の天王祭(荏原神社)の祭礼が同じ日で、 両社の神輿がこの橋で行きあった事から、行合橋とも言われたとのことです。
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品川宿本陣跡(聖蹟公園)

品川宿は東海道53次の第1番目の宿場街として発達した江戸4宿の1つ。 現在、本陣の跡地は公園となり、明治元年(1868年)に明治天皇の行幸の 際の行在所となったことに因み、 聖蹟公園と命名されています。
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土蔵相模跡

品川宿にあった「相模屋」という高級妓楼は、土蔵づくりから「土蔵相模」と 通称されていたそうです。高杉晋作など幕末の志士たちの会合場所としてよく使われ、 また、桜田門外の変を起こした水戸浪士たちも、前夜ここに投宿したとのことです。
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問答河岸跡

三代将軍家光がこの地にあった東海寺を訪ね、その帰り際に沢庵禅師と 「海が近いのに、東(遠)海寺とはこれいかに」 「大軍を率いても将(小)軍と言うがごとし」 と問答を交わした地とのことです。
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