テーマ:神奈川

箱根神社

箱根の芦ノ湖畔にある神社で、湖の中にある朱塗りの鳥居が有名です。ご祭神は、ニニギノミコト、コノハナサクヤヒメ、ヒコホホデノミコトの三神。古くから、交通安全・心願成就・開運厄除の神様として信仰されています。
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酒湧の池

横浜市泉区和泉町の第六天神社の傍にある小さな池。孝行息子がこの池の水を汲むと酒になり、一儲けしようとした村人が汲むと、ただの水になってしまったという昔話が伝わっている池です。
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政所跡

政所は、親王、三位以上の公家の家政を担当する機関のこと。鎌倉幕府では、源頼朝が従二位へ昇格したことにより公文所から改称されました。八幡宮三の鳥居の東側の建物の塀に、政所跡のプレート表示があります。  
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北条義時墓跡

鎌倉の源頼朝の墓から程近く、大江広元などの墓の下にある広場の部分。ここにはかつて、鎌倉幕府2代執権北条義時の墓があった法華堂跡とされているところで、1辺が8.4mの正方形の形をした「三間堂」があったそうです。
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蛇苦止堂

建仁3年(1203年)の比企の乱で、比企の娘の若狭局は井戸に投身自殺。その後、文応元年(1260年)、北条政村の娘が若狭局の霊に祟られたので、政村が若狭局を蛇苦止明神として、この蛇苦止堂に祀ったと伝わっています。
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北条政子供養塔

鎌倉の安養院境内にある北条政子の墓とされる供養塔。安養院の正式名は祇園山安養院長楽寺で安養院は北条政子の法名。長楽寺は元々は政子が頼朝の菩提を弔うために長谷に建立した寺でした。
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妙法寺

日蓮が安房より移り住んだ松葉ヶ谷草庵跡とされるところに、大塔宮護良親王と南方の間に生まれた日叡が開山したと伝わるお寺。境内には、大塔宮護良親王、南方、日叡の墓があります。
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安国論寺

長勝寺、妙法寺と並び、日蓮が鎌倉で布教した際の拠点となった草庵の跡。境内には、日蓮が立正安国論を執筆した岩穴(法窟)というのがありますが、その法窟の側に、弟子の日朗が安国論窟寺を建てたのが始まりとのことです。
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由比若宮(元八幡)

康平6年(1063年)に、源頼義が石清水八幡宮を勧請してできた神社で、鶴岡八幡宮はこの神社をここから移動させたものです。境内には、源義家が旗を立てたといわれる「旗立の松」も残っています。
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旗立の松(由比若宮)

前九年の役が終息してから21年後の永保3年(1083年)、後三年の役が始まりました。奥州に向かう源義家が鎌倉に立ち寄り由比若宮に戦勝を祈願しましたが、その際、源義家が旗を立てたとされる松の幹が由比若宮の境内に残されています。
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琵琶橋

鎌倉若宮大路の下馬交差点のすぐ近くにある橋で鎌倉十橋の一つ。橋名の由来は、昔この道筋に弁財天の祠があり、そのために道が琵琶のように曲がっていたという説と、弁財天の琵琶からとする説があるそうです。   
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津久井城跡

津久井城は現在の相模原市緑区にあった城。戦国時代には後北条氏の城で武田軍への最前線の城として重要視されていましたが、豊臣秀吉による小田原征伐の時に開城し、その後城は廃城となりました。
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クリーニング発祥の地

横浜が開港すると外国人相手のクリーニング業が始まりました。安政6年(1859年)の青木屋忠七に続いて、次々と業者が開業し、清水屋という大規模な洗濯屋のあった谷戸坂に記念碑がつくられました。
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左馬神社

横浜市泉区下飯田町に鎮座する神社で、境川沿いに多く見られるサバ神社の一社。ご祭神は左馬頭源義朝で、平安時代末期に飯田五郎家義が勧請したとも、小田原北条時代に領主川上藤兵衛が勧請したとも伝わっています。
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富士塚城址

横浜市泉区下飯田の富士塚公園に「富士塚城址」の碑が建てられています。飯田五郎家義の館があったとされているところで、飯田家義は石橋山の合戦で、大庭景親に従いながらも頼朝の危機を救ったと伝わっています。
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由比若宮遙拝所

鎌倉の鶴岡八幡宮はもともとは材木座にあり、由比若宮と呼ばれています。その由比若宮を現在の鶴岡八幡宮から遙拝できるのがこの場所で、舞殿から白旗神社へ向かう途中の右手にあります。
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白旗神社(鶴岡八幡宮)

鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿から東の方に100m程のところにある神社で、北条政子によって創建され、ご祭神は源頼朝と源実朝とのことです。黒漆塗極彩色の社で、武衛殿(武衛とは頼朝のこと)とも呼ばれています。
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若宮大路幕府跡

鎌倉幕府は当初、大倉の地に置かれましたが、その後宇津宮辻に移動。さらに、嘉禎2年(1236年)に若宮大路御所に移されました。そして、元弘3年(1333年)、鎌倉幕府はついに、この地で終焉を迎えました。
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東勝寺橋

鎌倉旧市街地最大の河川である滑川の中流部に架かる橋で、この橋を西から東へと渡ると、北条氏滅亡の地である東勝寺跡があります。また、この橋の付近は、青砥藤綱の故事伝承が残るところでもあります。
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東勝寺跡

東勝寺はかつて鎌倉市葛西ケ谷にあったお寺で、北条氏の菩提寺であると同時に城塞の意味をもった寺院であったと推測されているそうです。鎌倉幕府滅亡時には、北条高時ら北条氏一門多数が自刃したところです。
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腹切りやぐら

鎌倉幕府は元弘3年(1333年)、新田義貞による鎌倉攻めにより滅亡。北条一族とその家臣約800名は東勝寺に追い詰められて自害したとのことです。東勝寺跡の近くに当時の戦死者を弔ったと伝わる腹切りやぐらがあります。
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新羅三郎手玉石

新羅三郎は源頼義の三男、源義家の弟で、近江国の新羅明神(大津三井寺新羅善神堂)で元服したことから新羅三郎と称したとのこと。新羅三郎が勧請した鎌倉の八雲神社に「新羅三郎手玉石」なる石があります。
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八雲神社

鎌倉の大町にある1083年創建の鎌倉最古と云われている厄除け神社。源義家の弟・源義光が京都の祇園社から祭神を分霊して祀り祈願したところ、疫病が鎮まり、厄除け開運の神社として知られるようになったとのことです。
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源実朝公御首塚

源実朝公の御首塚が秦野市の田原ふるさと公園のすぐ近くにあります。 鎌倉で暗殺された源実朝公の御首は行方不明となりましたが、その後発見され、ここに埋葬されたとのことです。
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源義経首洗井

源義経は文治5年(1189年)、奥州平泉衣川高舘で自害し、その首は鎌倉に送られて腰越の浦で首実検されたとのことです。その後、その首は浜に捨てられ、ここに流れ着き、里人がこの井戸で洗い清めたと伝わっています。
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源義経首塚

腰越で首実検されたあと浜に捨てられた源義経の首級は土地の里人に手厚く葬られ、首塚がつくられたとのことです。その塚は現在ではなくなり、 首洗い井戸の傍らに石碑のみが残されています。
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江ノ島弁財天道標

遊行寺橋は此の地点から江の島までの約1里(4km)を結ぶ江の島道の起点。 明治初期まではこの橋の袂に江の島道の入口を示す江島神社の一の鳥居と呼ばれた大きな鳥居があり、鳥居の脇には道標が立てられていたそうです。
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江戸見附跡(藤沢宿)

旧東海道(現県道30号線)遊行寺の傍に藤沢宿の江戸見附がありまし た。見附とは宿場の出入り口のことで、江戸見附は江戸に近い方の見附 のこと。東海道を下ってきた旅人は、ここから藤沢宿へと入っていきました。
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一里塚跡(遊行寺坂)

日本橋から数えて12番目の一里塚の跡で、藤沢市大鋸の旧東海道、遊行寺坂の途中にあります。遊行寺坂は当時は道場坂と呼ばれていた可なりな急勾配の坂で、その坂の頂上に一里塚があり榎が3本植えられていたそうです。     
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戸塚宿上方見附跡

横浜市戸塚区の富塚八幡宮から西に200m程のところに碑があります。見付は主要な街道の宿場の出入り口にある構造物で、一般に江戸側の出入り口にある方を江戸見付、京側にある方を上方見付と呼んでいました。
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