テーマ:武蔵坊弁慶

武蔵坊弁慶立往生旧跡

武蔵坊弁慶は源義経に仕えた怪力無双の荒法師。衣川の戦いでは薙刀を振るって戦い、義経を守って堂の入口で雨の様な矢を受けて立ったまま死んだとされ、「弁慶の立往生」と後世に語り継がれています。
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弁慶石

京都市の三条麩屋町にある弁慶石。石の謂れについては、幼少の頃、三条 京極界隈に住んでいた弁慶が熱愛した石とか、弁慶が比叡山から投げた石、 衣川の合戦で立ち往生した弁慶がこの石になった、など様々あるそうです。
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五條天神社

延暦13年(794年)の 平安京遷都の折、空海が勧請したとされる京都市下京区松原西洞院西入天神前に鎮座する神社。「義経記」では、武蔵坊弁慶出生や義経・弁慶の出会いに深く関わる神社として登場しています。
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弁慶鏡ヶ井戸

源義経とその従者が奥州へ向かう途中に弁慶が見つけ、一行の喉を潤し たと伝えられている井戸で、「江戸志」など江戸時代の史料にも名水として記録があるそうです。また、 昭和20年(1945年)の東京大空襲などでは多くの被災者を飢渇から救ったそうです。
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円教寺

兵庫県姫路市の書写山にあるお寺で、天台宗の別格本山。 西国三十三所のうち最大規模の寺院で、「西の比叡山」と呼ばれるほど寺格は高く、中世には、比叡山、大山とともに天台宗の三大道場と称されました。
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弁慶硯の井戸

東京都府中市片町の高安寺境内にある井戸。平家滅亡後に鎌倉入りを許されなかった源義経が、京都に戻る途中か奥州への途上か、この寺に立ち寄り、武蔵坊弁慶が大般若経を書き写したと伝わっています。
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弁慶の鐘

神戸市須磨区の須磨寺に伝わる弁慶の鐘。 一の谷の合戦の際、武蔵坊弁慶が山田庄の安養寺からこの鐘を長刀の先に掛けて担いできて、陣鐘の代用にしたという伝説のある鐘です。
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神功皇后釣竿の竹

生田神社境内にある竹で、神功皇后が三韓征伐の帰途に使った釣り竿をこの地にさしたのが根付いた竹とのことです。また、武蔵坊弁慶が源義経の代理として生田神社に参拝した際に奉納した竹とも伝えられています。
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弁慶水

比叡山東塔近くにある「弁慶水」「千手水」「千寿水」などと呼ばれている湧水。比叡山の西塔に住んでいた武蔵坊弁慶が、千日間の「千手堂 (山王院)」参籠の際に、ここの水を汲んだと伝えられています。
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にない堂

比叡山西塔にある堂で、向かって右側の法華堂と左側の常行堂が渡り廊下で結ばれています。この渡り廊下を「にない棒」に見立て、武蔵坊弁慶が肩で担ぎ上げたという逸話から「にない堂」と呼ばれているそうです。
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弁慶塚

建久9年(1198年)、相模川に架かる橋の落成供養に参列した源頼朝は、その帰途、義経・行家らの亡霊のため、乗馬が暴れて落馬して、翌正治元年1月に死去したとのこと。後年里人たちが、義経一族の霊を慰めるため、弁慶塚を造ったそうです。
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