冨塚八幡宮 源頼義・義家父子が奥州下向の際に、この地で応神天皇及び富属彦命の神託を授って戦功を収めたため、延久4年(1072年)に、両祭神をこの地に勧請したとのことです。また、境内山頂にある「富塚」が、「戸塚」の由来とされています。 トラックバック:0 コメント:0 2018年02月21日 続きを読むread more
陣ケ岡歴史公園 古来より数々の武将が陣を布いてきた場所。前九年の役の戦後処理の際には源頼義が安倍貞任の首級に八寸釘を打ち込みこの地に晒し、その130年後、源頼朝は藤原泰衡の首級に八寸釘を打ち込んで同じ場所に晒したそうです。 トラックバック:0 コメント:0 2016年08月13日 続きを読むread more
蜂神社 岩手県紫波郡紫波町に鎮座する神社で、厨川の戦いの際、勝利に導いた蜂を源義家が祀ったと伝わっています。 源義家は厨川の戦いで、蜂の巣を袋にとり、蜂を怒らせてから安倍貞任陣営に投げ込み、蜂が一斉に襲うと同時に攻めかかり勝利を収めたとのことです。 トラックバック:0 コメント:0 2016年08月13日 続きを読むread more
天昌寺 盛岡市にある曹洞宗のお寺で、安倍氏滅亡の地、厨川柵の有力な擬定地。 陸奥国の豪族であった安倍一族が厨川柵に祀っていた祈願所が発祥とされ、 前九年の役で敗れた安倍氏一族郎党の菩提を弔っているとのことです。 トラックバック:0 コメント:0 2016年08月13日 続きを読むread more
河崎の冊跡 天喜4年(1056年)、前九年の役の際、安倍貞任が源頼義軍を迎え撃つために兵を構えたのが「河崎の柵」。その場所がここであると擬定されています。 両者の戦いは「黄海の戦い」と呼ばれ、源頼義軍の大敗に終わりました。 トラックバック:0 コメント:0 2015年09月26日 続きを読むread more
鳥海柵跡 岩手県胆沢郡金ケ崎町西根にあった平安時代の豪族安倍氏の城柵跡。 前九年の役の際、安倍頼時は源頼義の勧誘に応じた安倍富忠と戦い、 流れ矢に当たり、この柵に帰ったもののその傷が故で落命したそうです。 トラックバック:0 コメント:0 2015年09月26日 続きを読むread more
陣場 延暦8年(789年)、紀古佐美が征夷の際に陣を構えた処。また、 天喜5年(1057年)の前九年の役では、安倍氏が布陣したと伝わる丘。 現在は、国民宿舎「サンホテル衣川荘」が建っています。 トラックバック:0 コメント:0 2015年09月25日 続きを読むread more
中の営跡 古戸古戦場 延暦8年(789年)、紀古佐美の征夷にあたり衣川に設けられた営の跡。 また、前九年の役の際には、天喜5年(1057年)と康平5年(1062年) の2度にわたり合戦が行われた場所と伝わっています。 トラックバック:0 コメント:0 2015年09月25日 続きを読むread more
一首坂 前九年の役の名場面、戦いの中、源義家と安倍貞任が歌を交わしたところ。 源 義家 「衣の館はほころびにけり」 安倍貞任 「年を経し糸の乱れの苦しさに」 トラックバック:0 コメント:0 2015年09月25日 続きを読むread more
安倍館跡 前九年の役の一方の当事者である安倍頼時の館跡と伝わるところ。 安倍頼時の祖父である安倍忠頼の代からの安倍氏累代の居城で、その地勢から、舞鶴館、落合館とも云われているそうです。 トラックバック:0 コメント:0 2015年09月25日 続きを読むread more
琵琶館跡 安倍氏一族の居館跡と伝わる処で、並木屋敷(衣川柵)の近くにあります。 衣川が琵琶状に蛇行する地形から琵琶館と名付けられたとのことですが、 今では館の面影は全くなく、路肩に標識が1本立てられているだけです。 トラックバック:0 コメント:0 2015年09月25日 続きを読むread more
衣川冊跡 安倍氏の政庁があったところで並木屋敷と呼ばれていたとのこと。 前九年の役で敗れ、衣川を放棄し北へと撤退するまで安倍氏の本拠でした。 その後は奥六郡を支配した清原氏が政庁を置いたとのことです。 トラックバック:0 コメント:0 2015年09月25日 続きを読むread more
阿久利川古戦場 天喜4年(1056年)、陸奥守兼鎮守府将軍源頼義が阿久利川畔に宿営中、 配下の武将の陣屋が何者かによって襲撃されるという事件が発生。 源頼義はこれを安倍貞任の仕業と断定し、前九年の役が始まりました。 トラックバック:0 コメント:0 2015年09月25日 続きを読むread more
厨川八幡宮 前九年の役で厨川柵が陥落後、醍醐顕実上人が安倍貞任を偲び、 貞任愛用の小太刀を祀って弔ったのが始まりのようです。 この周辺は安倍館町という地名で、厨川柵のあった所と考えられています。 トラックバック:0 コメント:0 2015年08月18日 続きを読むread more
鬼切部城跡 陸奥国の豪族である安倍氏が現在の宮城県大崎市鳴子に築いた城。 永承6年(1051年)、陸奥守藤原登任が安倍氏への懲罰を試みた結果、 この付近で戦いが起こり前九年の役へと発展していきました。 トラックバック:0 コメント:0 2015年08月15日 続きを読むread more
六郷神社 東京都大田区東六郷に鎮座する神社。天喜5年(1057年)、源頼義、 義家父子がこの地で石清水八幡宮に武運長久を祈願したところ、前九年の 役で勝利したため、後に石清水八幡宮の分霊を勧請し創建したとのことです。 トラックバック:0 コメント:0 2014年10月19日 続きを読むread more
多賀城跡 神亀元年(724年)、大野東人による築城と伝えられています。陸奥国府や鎮守府が置かれ、当時の東北地方の政治・軍事等の中心地で、平城宮跡、大宰府跡とともに、日本三大史跡に数えられています。 トラックバック:0 コメント:0 2012年08月08日 続きを読むread more
大國魂神社 東京都府中市に鎮座し、大國魂大神(大国主命と同神とされる)を 主祭神とする神社。景行天皇41年の創建と伝えられ、源頼朝が妻の安産祈願をし、また源頼義と義家が奥州に向かう際に戦勝祈願をした等の伝承があります。 トラックバック:0 コメント:5 2011年08月03日 続きを読むread more
源義家像 源頼義の長男で、後の源頼朝、足利尊氏などの祖先にあたる武将。八幡太郎の通称があり、前九年の役、後三年の役で活躍し、東国武士の信望を集め、東国における源氏勢力の基盤を築き上げました。 トラックバック:0 コメント:0 2009年07月29日 続きを読むread more
藤原清衡像 藤原清衡は平安時代後期の武将で奥州藤原氏の祖。父は藤原経清、母は安倍頼時の娘で、前九年の役では何とか生き抜き、後三年の役では何とか勝ち抜き、平泉の栄華の基をつくり上げました。 トラックバック:0 コメント:0 2009年07月29日 続きを読むread more
沼館八幡神社 京都の男山八幡宮の御分霊を勧請したと伝わる、沼の柵跡のすぐ近くに鎮座する神社。前九年の役の前後には、源頼義・義家父子が参拝したと伝わり、また、後三年の役の際には、この地で納豆が発祥したと伝わっています。 トラックバック:0 コメント:0 2009年07月29日 続きを読むread more