三角兵舎

南九州市の知覧特攻平和会館の敷地内にある復元された特攻隊員宿舎。 各地から集まった隊員は、2・3日後には沖縄に向けて出撃していきましたが、 出撃前夜にはこの兵舎で壮行会が催され、遺書を書き死地に赴いたそうです。
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霧島神宮

天孫降臨の霊峰高千穂峰の麓である鹿児島県霧島市に鎮座する天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を主祭神とする神社。 坂本龍馬が日本初と云われる新婚旅行で訪れたことでも知られています。
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上田城

天正11年(1583年)、武田氏の旧臣である真田昌幸による築城。 二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦が行われたことでで有名。 現在は上田城跡公園として市民に親しまれています。
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市村神社

市村の産土神で、口碑では文治年間(1185~90年)の創建とのことです。 木曽義仲が関与した記録に初めて残る戦いである治承4年(1180年)9月7日に起きた市原合戦は、このあたりで行われたと伝わっています。
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依田城跡

長野県上田市御岳堂にある山城跡で、山頂は標高804.6m。 平安時代末期の治承4年(1180年)、木曽義仲 の挙兵にあたり、 依田次郎実信は木曽義仲にこの城を明け渡したと伝わっています。
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根井行親供養塔

長野県佐久市の正法寺境内にある木曽義仲四天王の一人である根井行親の供養塔。 根井行親は義仲が治承4年(1180年)に信濃国の依田城で挙兵して以降義仲に従い各地に転戦し、宇治川の戦いで敗死したとされています。
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龍岡城址

元治元年(1864年)築城開始、慶応3年(1867年)完成の西洋式城郭。 函館五稜郭と同じく五芒星形の城で、龍岡五稜郭とも呼ばれています。 城跡は現在、佐久市立田口小学校として利用されています。
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盾六郎親忠館跡

楯親忠は根井行親の六男。義仲四天王の一人として数えられ、 義仲に従って横田河原の戦いや倶利伽羅峠の戦いなどで活躍しました。 宇治川の合戦に父・行親と共に参戦、六条河原で討ち取られたとのことです。
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徳川家康墓所

徳川家康の死は元和2年(1616年)4月17日巳の刻(午前10時頃)。 家康は始め駿府の南東の久能山(現久能山東照宮)に葬られていましたが、一周忌を 経て、江戸城の真北に在る日光の東照社に改葬されたとのことです。
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日光東照宮

徳川家康を神格化した東照大権現を祀る栃木県日光市にある神社。 絢爛豪華な社殿群は殆どが寛永13年(1636年)に建て替えられたもので、 陽明門、唐門などの国宝もあり、世界文化遺産にも登録されています。
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天王森泉館

横浜市泉区の南部にあるのが面積約35,000㎡の天王森泉公園。 その一角にあるのが横浜市認定歴史的建造物に指定されている天王森泉館で、旧清水製糸場本館を再現したものです。
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最上義光公御霊屋

最上義光は最上氏第11代当主で、伊達政宗の伯父にあたる戦国期の武将。 関ヶ原の戦いでは東軍につき、最上家を57万石の大大名に成長させました。 最上義光と家臣等10名の位牌が、立石寺(山寺)に安置されています。
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河崎の冊跡

天喜4年(1056年)、前九年の役の際、安倍貞任が源頼義軍を迎え撃つために兵を構えたのが「河崎の柵」。その場所がここであると擬定されています。 両者の戦いは「黄海の戦い」と呼ばれ、源頼義軍の大敗に終わりました。
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豊田館跡

奥州藤原氏の祖先・藤原経清が居館として築き、 経清の子、清衡が生まれ育った場所であると伝わる館跡。 清衡は康和元年(1099年)、豊田館から平泉へ移っていきました。
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鳥海柵跡

岩手県胆沢郡金ケ崎町西根にあった平安時代の豪族安倍氏の城柵跡。 前九年の役の際、安倍頼時は源頼義の勧誘に応じた安倍富忠と戦い、 流れ矢に当たり、この柵に帰ったもののその傷が故で落命したそうです。
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胆沢城跡

現在の岩手県奥州市にあった日本の古代城柵で国の史跡。 坂上田村麻呂が延暦21年(802年)に築き、永保3年(1083年)の 後三年の役の頃まで約150年にわたり鎮守府として機能したとのことです。
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巣伏古戦場

延暦8年(789)に起こった朝廷軍と阿弖流為率いる蝦夷軍との戦いの跡。 朝廷軍は兵数で圧倒的に劣る蝦夷軍に大惨敗して遠征は失敗しました。 現在は「巣伏古戦場跡公園」があり、そこに戦いの碑が建てられています。
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後藤新平像

後藤新平は明治~大正期にかけての医師・官僚・政治家。 台湾総督府民生長官、満鉄初代総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣等を歴任し、関東大震災後には東京の帝都復興計画を立案しました。
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一首坂

前九年の役の名場面、戦いの中、源義家と安倍貞任が歌を交わしたところ。   源 義家  「衣の館はほころびにけり」   安倍貞任  「年を経し糸の乱れの苦しさに」
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小松館跡

並木屋敷跡(衣川柵跡)から道沿い西方に少し行ったところにある館跡。 安倍貞任の叔父である僧良照の屋敷だったということです。 安倍氏の滅亡後は、室町時代に葛西氏の家臣砥石氏の館があったそうです。
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衣川冊跡

安倍氏の政庁があったところで並木屋敷と呼ばれていたとのこと。 前九年の役で敗れ、衣川を放棄し北へと撤退するまで安倍氏の本拠でした。 その後は奥六郡を支配した清原氏が政庁を置いたとのことです。
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接待館遺跡

奥州市衣川区にある平安時代の遺跡で国の史跡にもなっている遺跡。 藤原基衡の妻が関道を往来する旅人を接待したことが名称の由来とのこと。 また、規模の大きさから安倍氏の政庁跡とも推測されているそうです。
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阿久利川古戦場

天喜4年(1056年)、陸奥守兼鎮守府将軍源頼義が阿久利川畔に宿営中、 配下の武将の陣屋が何者かによって襲撃されるという事件が発生。 源頼義はこれを安倍貞任の仕業と断定し、前九年の役が始まりました。
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伊治城跡

奈良時代の神護景雲元年(767年)に大和朝廷により造営された城柵跡。 蝦夷の指導者であった伊治呰麻呂は宝亀11年(780年)、この城柵で 反乱を起こし、多賀城まで攻め込んで多賀城を焼き払ったととのことです。
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鉄の井

鎌倉の小町通りの北端にある井戸で鎌倉十井の一つ。この井戸の底から鉄の 観音像が出できたことからの命名だそうで、この観音像はかつて新清水寺に安置されていたものだったそうです。
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藤原仲能墓

藤原仲能は鎌倉幕府第6代将軍宗尊親王の命を受け、七堂伽藍を有する海蔵寺を創建した人物。死後、道智禅師と云われ、位牌は海蔵寺にありますが墓はこの場所(現在は源氏山公園)にあったそうです。
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厨川八幡宮

前九年の役で厨川柵が陥落後、醍醐顕実上人が安倍貞任を偲び、 貞任愛用の小太刀を祀って弔ったのが始まりのようです。 この周辺は安倍館町という地名で、厨川柵のあった所と考えられています。
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大宮神社(盛岡)

坂上田村麻呂が伊勢神宮外宮の豊受皇大御神を勧請して、志波城の鬼門鎮護として創建したとされる神社。 大宮神楽、多賀神楽で知られているそうです。また、平民宰相と呼ばれた原敬の生家に近く、原敬も度々訪れているそうです。
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徳丹城跡

徳丹城は現在の岩手県紫波郡矢巾にあった古代の城柵。 この地域には志波城がありましたが、水害を理由に徳丹城が造営されたとのこと。 弘仁3年(812年)の造営で、律令制最後の城柵だそうです。
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鬼切部城跡

陸奥国の豪族である安倍氏が現在の宮城県大崎市鳴子に築いた城。 永承6年(1051年)、陸奥守藤原登任が安倍氏への懲罰を試みた結果、 この付近で戦いが起こり前九年の役へと発展していきました。
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岩出山城跡

豊臣家による小田原征伐後、伊達政宗は米沢から岩出山に移封され、 その後12年間仙台城に移るまで、この岩出山城を居城としました。 伊達政宗の四男宗泰が岩出山伊達家の初代となり、維新まで続きました。
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城生冊跡

宮城県加美町城生にある奈良時代の遺跡。 八脚門跡などが確認されていることから、官衙の跡ということは確実で、 律令国家による東北地方支配の拠点の一つとみられるているそうです。
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大久保彦左衛門屋敷跡

大久保彦左衛門は三河以来徳川家康に付き従った徳川家古参の家臣。 家康死去後、他の家臣たちともに駿河からこの地に移り住んだとのことで す。晩年には武士の生き方を子孫に伝えた「三河物語」を書き残しました。
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築土神社

天慶3年(940年)に平将門の首を祀り、津久戸明神としたのが始まりとのこと。 かつては平将門の首が安置されていたそうで、将門信仰の象徴的神社です。また、北の丸公園にある日本武道館の氏神様でもあるそうです。
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靖国神社

戊辰戦争終結後に大村益次郎の働きかけにより「東京招魂社」として創建。 その後、明治12年(1879年)に社名が靖国神社と改められました。祭神は幕末以降、 日本の為に戦い尊い命を国家に奉げた数多の英霊です。
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大村益次郎像

大村益次郎は長州藩出身の医師、西洋学者、兵学者で維新十傑の一人。 戊辰戦争では長州藩の指揮を執って活躍し、また近代日本陸軍の創設に大きく貢献しました。 靖国神社の創建にも尽力し、境内には大村益次郎の像が建てられています。
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パール判事顕彰碑

ラダ・ビノード・パールは東京極東軍事裁判において連合国が派遣した 判事の一人で、被告全員の無実を主張したインドの法学者。平成17年 (2005年)に靖国神社の境内にパール判事顕彰碑が建てられました。
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旧陸軍大臣室

防衛省の市ヶ谷記念館の中に保存されている旧陸軍大臣室。 士官学校時代は士官学校校長室、昭和16年(1941年)以降は陸軍大臣室、 その後は陸上自衛隊東部方面総監室となり、ここで三島事件が起こりました。
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